印象派の先を見たモネ晩年の夢を辿る“ぜんぶモネ作品”の大展覧会 『モネ 睡蓮のとき』レポート
印象派の代表画家、クロード・モネの晩年に光を当てた企画展『モネ 睡蓮のとき』が、2024年10月5日(土)に東京・上野公園の国立西洋美術館で開幕した。来年2月11日(火・祝)まで行われる本展には、世界最大級のモネ・コレクションを誇るフランス・パリのマルモッタン・モネ美術館から日本初公開作品7点を含む約50点の作品が来日。国立西洋美術館の基礎を築いた松方コレクションゆかりの作品など国内各地の所蔵品も交えた計64点で、印象派の先を目指したモネ晩年の画業を辿る。ここでは開幕前日に行われた内覧会の様子から本展の見どころをお伝えしていく。
ジヴェルニーの家で暮らしたモネ晩年の功績を辿る
ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》があるパリのルーヴル美術館、同じく彼が描いた《最後の晩餐》が残るミラノのサンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会、ミケランジェロが天井画を描いたバチカンのシスティーナ礼拝堂に、アントニ・ガウディの伝説的偉業であるバルセロナのサグラダ・ファミリア……。美術ファンならば一生に一度は訪れてみたい名所は数多くある。本展の主役であるモネが43歳の時に移り住み、晩年までを過ごした“ジヴェルニーの家”もそうした憧れの場所のひとつといえるだろう。『第1回印象派展』から150年となる記念すべき年に行われる本展は、そのジヴェルニーの家で制作活動に勤しんだ40〜50代以降のモネに焦点をあてており、まるで現地を訪ねるかのような気分にもさせてくれる“モネ三昧”の企画展だ。
32歳を迎えた1872年に『印象、日の出』を描いて印象派の旗手となったモネは、その後2度の転居を経た11年後、パリから北西に約80キロ離れた小さな村・ジヴェルニーに移り住んだ。庭造りにも精を出したこの家で、彼は『睡蓮』『積みわら』などの連作に取り組む。そして最晩年となった70代以降は、最愛の妻と長男の死、自身の目の病、そして第一次世界大戦の影響などの困難に見舞われながらも「大装飾画」の制作を構想。それが本展を貫く軸になっている。
睡蓮の装飾が美しいロビーから企画展示室の会場に入ると、右手の壁面には、「水と反映の風景に取りつかれてしまった。老いた身には荷が重すぎるが、どうにか感じたままを描きたいと願っている」という『睡蓮』に通じる67歳当時のモネの言葉が書かれている。そして全4章とエピローグで構成される本展の第1章「セーヌ河から睡蓮の池へ」は、1887年に描かれた《舟遊び》から始まる。後妻のオシュデの連れ子をモデルにしたもので、それまでの作風から一線を画し、人物像がモニュメンタルに描かれた作品である。モネが印象派から距離を置き、新たな方向性を模索しようとした表れであり、その探求の成果は後の『睡蓮』の制作に生かされていったという。
その近くにかけられているのは、《陽を浴びるポプラ並木》(1891年)。『ポプラ並木』は、1880年代末期から取り組み始めた連作の中で『積みわら』の次に着手したテーマであり、晩年に光をあてた本展にふさわしい1作だ。
その後、セーヌ河を描いた作品の展示に続く一角には、ロンドンのテムズ河にかかる『チャーリング・クロス橋』を描いた4点の連作が並ぶ。汽車が煙を上げて橋上を往く風景を描いた作品は、フランスのマルモッタン・モネ美術館、日本の国立西洋美術館、メナード美術館、吉野石膏コレクションと所蔵元がそれぞれ異なる。日本にあるモネ作品も集結している本展。多作で知られるモネだが、作家の手を離れて別々のストーリーを歩んできた連作をこうして一堂に鑑賞できることに、そこはかとない感動を覚えた。
次の空間には、50代後半から60代に描かれた『睡蓮』が7点展示されている。このうち、最初期の作品である《睡蓮、夕暮れの効果》は睡蓮の花が象徴的に描かれているのに対して、その後の作品は池を広く捉えた引いた構図で描かれており、モネの関心の変化を感じとることができる。
明るい色彩で描かれた水面と、そこに映りこむ緑の景色が美しい。偶然にも本会場の近くには日本屈指の蓮の名所である不忍池があるが、モネが描く睡蓮の池には、どこに住んでいても水が身近にある日本人の心を突く美しさがあることを再認識する。
最晩年のモネが構想した「大装飾画」への道
第2章「木と花々の装飾」は、モネがジヴェルニーの庭で育てた花々たちを描いた作品が集められた空間だ。
「装飾画」とは、室内を装飾するために造られる絵画のことだ。若い頃から装飾画を手がけていたモネは、妻の死や目の病に苦しみ一時空白期間を置いた70代半ばから、大画面の『睡蓮』で室内の壁を覆いつくす「大装飾画」の制作を構想。当初は睡蓮以外の花々もその中に取り入れることを考えていたといい、ここにはその習作が展示されている。
《黄色いアイリス》《キスゲ》《アガパンサス》と大画面の作品が続く中で、ひときわインパクトが大きいのがそれぞれ幅3メートルを誇る《藤》だ。本作はフランス国家に寄贈された『睡蓮』の装飾パネルに添えるフリーズ(帯状装飾)のために描かれた習作。ジヴェルニーの庭にかかる太鼓橋の藤棚をモチーフにしている。先ほどの『睡蓮』同様に吸い込まれそうな感覚を覚える大作は、寄ってみたり引いてみたり、いろんな視点から味わいたい。
階段を下り、第3章「大装飾画への道」に進むと、そこには「睡蓮の池を描いた巨大なパネルによって楕円形の部屋の壁を覆う」というモネの構想を模した凝った空間が作られている。
9点の『睡蓮』が見られるこの部屋の一角には、国立西洋美術館の基礎を築いた収集家の松方幸次郎が、1921年にジヴェルニーの家を訪れ、モネから譲り受けた《睡蓮、柳の反映》が展示されている。これは大装飾画に関する作品を外に出すことを嫌ったモネが、生前に唯一売却を認めた貴重な装飾パネルで、戦後に所在不明になりながら、2016年にルーヴル美術館にて画面の大部分が破損した状態で再発見された。モネがどんな思いで譲ったのか、また、松方がどんな風にモネを口説き落としたのか。そんなストーリーに想像をはたらかせながら味わいたい一点だ。
モネの「大装飾画」構想は、さまざまな花を取り入れる形から『睡蓮』だけで室内を飾る形に。そして、この時期の『睡蓮』は1900年代の池を広く描く構図から、水面と写り込む景色にフォーカスをあてた構図に変容している。『睡蓮』に360度囲まれる空間の感動と没入感は、写真で見るよりも会場で初めて感じる方が遥かに大きいはず。ということで、ぜひ会場を訪れてその全体像を体験してみて欲しい。
モネが“出迎えてくれる”最晩年の展示にも注目
そして第4章「交響する色彩」では、白内障による色彩感覚の変化と闘いながら制作に取り組んだ最晩年の連作が展示されている。手前の空間にはモネの生前の姿が映像で映し出され、入り口ではジヴェルニーの太鼓橋に立つモネの巨大パネルが我々を迎えてくれるようで、ちょっと嬉しい。
《日本の橋》《枝垂れ柳》《ばらの小道》など、それまでにない色彩と魂を削るような筆触で描かれた作品が集まる空間は最後の最後まで見逃せない。きっと大きな余韻を残して会場を後にすることになるだろう。
『モネ 睡蓮のとき』は、東京・上野公園の国立西洋美術館で2025年2月11日(火・祝)まで開催中。“全点モネ作品”で構成される大展覧会をお見逃しなく。
文・撮影=Sho Suzuki