戒厳令は“愛の不時着”だった…弾劾で韓国大統領夫妻を待ち受ける試練
◾️尹大統領が職務停止
韓国国会は12月14日、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領に対する弾劾訴追案を賛成多数で可決した。与党「国民の力」の12人が賛成票を投じ、弾劾案議決に必要な議員数200人を上回った。尹氏は韓国憲政史上、弾劾を受けた3人目の大統領となり、職務が停止された。今後は憲法裁判所が180日以内に弾劾の妥当性を審査する。憲法裁判所によって弾劾が認められれば、60日以内に大統領選挙が実施される。弾劾が棄却された場合は、尹氏は職務に復帰することとなるが、今のところその可能性は低いと見られている。
尹大統領弾劾の引き金となったのは、12月3日夜の唐突な非常戒厳(戒厳令)の発令だ。戒厳令は戦争や紛争、大災害など国家の秩序を揺るがす事態に発令される非常法である。直前まで韓国社会に特段異変の兆候はなく、何事が起きたのかと韓国国民は動揺し、国際社会にも衝撃が走った。非常戒厳の理由について尹氏は、野党勢力が「国家機関をかく乱させていて、これは内乱を企てる明白な反国家行為」だと説明。行政・司法を軍の支配下に移行し、国会やメディアの活動を制限すると発表した。これにより戒厳軍が国会周辺を封鎖し、国会への侵入を試みるなど事態は一気に緊迫していった。
一方、野党や国民は「非常戒厳の撤廃」求め、抗議のため続々と国会周辺に集まった。与党代表も「非常戒厳は間違っている」と尹氏を批判し、12月4日未明には与野党の議員により国会で非常戒厳の解除要求案が可決された。午前4時半過ぎには尹氏が非常戒厳の解除を発表し、非常戒厳はわずか6時間で終了することとなった。
韓国で非常戒厳が発令されたのは、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺された1979年10月以来45年ぶりとなる。当時、朴政権を引き継いだ全斗煥(チョン・ドゥファン)氏ら軍政の下で、多くの市民が犠牲となった光州事件が発生した。韓国国民にとっては暗黒の時代であり、民主化運動の弾圧によって多くの犠牲者が亡くなった。思想・言論の自由を奪い、民主化運動を弾圧するための手段であった非常戒厳を再び宣言する――これには保守も革新も関係なく、韓国国民にとって絶対に受け入れることのできないレッドラインと言える。
にもかかわらず、尹氏はなぜ今、非常戒厳の宣布に踏み切ったのか。
要因の一つとして妻・金建希(キム・ゴニ)氏に対する疑惑追及の阻止が挙げられる。金建希氏をめぐってはこれまでも、株価操作やブランドバッグの不正授受、論文盗作、高速道路の建設予定地変更など様々な疑惑が取り沙汰されてきた。疑惑の多くは検察などの捜査により嫌疑なしとして不起訴処分となったが、野党は納得せず、国会が設置を定める特別検察官による捜査を求めてきた。
国会は野党が過半数を超えているため、金建希特別検察官設置法案は何度も国会を通過したが、そのたびに大統領は拒否権を行使していた。
◾️会見で妻を徹底擁護
ダメ押しとなったのが、金建希氏の選挙介入疑惑である。2022年6月の国会議員補欠選で、金氏が与党「国民の力」の公認候補選びに不当に介入したとの疑惑が浮上し、世論の批判が一層厳しさを増した。さらには、尹氏が政治ブローカーとされる人物と交わした会話を録音した音声が暴露され、尹氏自身にも選挙介入の疑いが飛び火した。事態を鎮静化するため尹氏は11月7日に記者会見を開催し、国民に謝罪した。
「私の周りのことで国民に心配をおかけしもしました。大統領というのは言い訳の場ではありません。すべてが私の落ち度で、私の不徳の致すところです」
尹氏は具体的な謝罪の理由は明らかにしなかったが、自身と金氏に対する選挙介入疑惑やそれに伴う支持率の低下などについて謝罪したものと受け止められた。その後の質疑応答で尹氏は一連の疑惑について、「提起された疑惑とファクトが違う」と否定し、野党の「政治扇動」のせいで誤解がふくらんだと釈明した。
また、妻の金建希氏については、本人の気持ちとして間接的な謝罪を伝えた。
「妻が(自分をめぐる疑惑をめぐって)意図的な悪魔化や偽ニュース、針小棒大あり、悔しさも本人は持っているはずだが、それよりは国民に心配をかけて心を痛めていることに対する申し訳ない気持ちをもっと多く持っている」
「会見が発表された4日夜、家に帰ると妻がその記事を見たのか、謝罪をきちんとしろ、任期の折り返し点だからといって、これまでの国政成果だけを言わずに謝罪をたくさんしなさいと話した」
「これも国政関与で国政壟断になるのか」
さらに、野党が推進する「金建希特検法」には反対を表明したうえで、「妻に対する愛と弁護次元の問題では絶対にない」と強調した。併せて「特検は司法という名前を使って政治をしようとするもの」「司法作用ではなく政治扇動」と野党を重ねて批判した。特別検事制度そのものに対しても「基本的に特検をするしないを国会が決定し、国会が事実上特検を任命し、膨大な捜査チームを設ける国はない。明らかに自由民主主義国家の三権分立体系に違反するためだ」と、検事総長時代からの持論を展開した。
尹氏の会見は妻の金建希氏が自ら謝罪することや疑惑の解明には応じず、すべてを野党の政治的扇動と釈明する内容に終始した。妻を徹底的に擁護する姿勢が際立ち、この点で尹氏に一切妥協する考えはないことが強く印象付けられた。
◾️弾劾後の金建希氏捜査
尹氏は51歳で当時39歳だった金建希氏と結婚した。結婚当初の尹氏には貯金もなく、美術展などの企画会社を運営する妻の金氏が経済的に支える形で結婚に至った。2人の間には子どもがなく、ペットの犬や猫と暮らしていた。歴代のファーストレディのうち、キャリアウーマンは初めてで、金氏の美貌や洗練されたファッションセンスには常に注目が集まった。金氏が着用した服やバックはそのたびに人気となり、売り切れになるほどだった。金氏は率直な語り口でも人気だったが、度重なる疑惑の提起により海外公務以外は表舞台から姿を消していた。
弾劾案可決後の夫妻の前途には暗雲が立ち込めている。尹氏の弾劾案可決に先立つ12月12日、金建希氏に対する4度目の「特検法」が国会を通過している。過去3回は尹氏が拒否権を行使して実現しなかったが、大統領の業務が停止されたため、今回は拒否権の行使はできない。金建希氏は特別検事による捜査を受けなければならなくなる。
尹氏に対する捜査も急ピッチで進んでいる。非常戒厳の宣布をめぐっては既に金竜顕(キム・ヨンヒョン)前国防相や、警察のトップである趙志浩(チョ・ジホ)警察庁長官と金峰埴(キム・ボンシク)ソウル警察庁長官らが逮捕されている。金前国防相は戒厳令の草案を作成するなど内乱の「重要任務従事者」とされ、尹氏は内乱の「首謀者」として捜査が進められる見通しだ。
捜査は検察、警察、政府高官らを捜査する「高位公職者犯罪捜査処」(公捜処)の3機関が並行して進めている。公捜処のトップは国会で、尹氏について「状況が整えば緊急逮捕または逮捕状による逮捕を試みる」と述べており、複数の捜査機関が尹大統領の逮捕に向け、競い合っているのが実情だ。捜査機関が相互にけん制しあうことで捜査の重複などの問題も生じているものの、尹大統領逮捕の流れは避けられないと見られている。
44年前の非常戒厳宣布をテーマにした映画『ソウルの春』で、全斗煥氏をモデルにした主人公はこう檄を飛ばす。
「失敗すれば反逆、成功すれば革命じゃないですか!」
尹大統領が政治的命運を託した非常戒厳は結局、失敗に終わった。尹氏は最後まで戦うと語っているが、今後は妻の金建希氏とともに捜査の矢面に立たされることになりそうだ。