野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その7④」
(前回:野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その7③」)
2024年12月10日(火) ④カッパとアンコウ
朝から、むつ市街を出て同市大畑町の奥薬研温泉に向かう。合併前の大畑町は津軽海峡のイカ漁と青森ヒバを中心とした林業で知られ、むつ市の一部となったいまも地域を支え続けている。目指す奥薬研温泉は町の中心部から車で20分ほどの薬研渓流の最奥にある。
山道を車が上り続ける。道の左右にはうっすらと雪を被った木々が立ち並んでいる。冬にもかかわらず、木々の緑は深い。常緑樹、しかも針葉樹。青森ヒバの巨樹たちだ。車を止めてひときわ大きい樹を見上げる。
「青森ヒバには殺菌作用があるので、根っこに雑草が生えないという話を聞いたことがあります」
同行のYさんの言葉で巨樹の根元を見る。なるほどゼロではないが、雑草はほとんど生えていない。
そうこうするうちに奥薬研修景公園レストハウスに着いた。この中を通って「夫婦かっぱの湯」に入るというのが今日のミッションだ。
ところがレストハウスの玄関には「定休日」の看板がかかっている。冬場に限って火曜日が定休日になるのを失念していた。だが、このまま引き返すのも悔しい。何とか夫婦かっぱの湯が見えないだろうか。
そのとき、レストハウスの建物の横から一人の男性が現れた。この施設の指定管理会社の人だった。「施設の点検に来ています」
と言う男性に事情を話すと、温和な顔がうなづいた。
「いいですよ。どうぞ入ってください」
ラッキー!
案内されて無人のレストハウスを通り抜け、夫婦かっぱの湯の前に出た。湯船の左の高みから勢いよく源泉が流れ落ちている。お湯に手を入れてみた。かなり熱い。内湯もシャワーもなく、石鹸やシャンプーも不可だから、ただお湯に浸かるだけ。しかし考えてみればそれこそ温泉=湯浴みの原点ではないか。
屋根はなく全くの露天風呂だが、眼下を流れる薬研渓流の向こう岸はうっそうとした木々の壁になっている。春から夏にかけては新緑を、秋には燃えるような紅葉を楽しむことができる。
「渓流のあちこちからお湯が湧いています」
男性に教えられて渓流を覗き込むと、夫婦かっぱの湯のそばに源泉をくみ上げるポンプがあった。
入浴料は大人230円。車がなければたどり着けない秘湯だが、唯一無二の温泉だ。ちかくには「元祖かっぱの湯」があり、こちらは無料。長く混浴の湯として知られていたが、いまは男女時間制になっている。
青森の冬の寒さは厳しい。その代わり県内各地で恵みのお湯が湧いている。青森はいまだ知られざる温泉県なのだ。
次に訪れたのは大間町の東隣に位置する風間浦村。太平洋に沿って走る国道279号の両側の限られた平地に家々が立ち並んでいる。民家ばかりの中にあってひときわ大きな建物があり、「駒嶺商店」の看板がかかっている。その建物に入ると代表取締役の駒嶺剛一さんが出迎えてくださった。おおきな生簀があり、何匹ものアンコウが泳いでいる。生きたアンコウを見るのは初めてだ。
風間浦村のアンコウと言えば「雪中切り」が有名なはずだが、そのことを口にすると駒嶺さんは小さく笑った。
「昔はこの辺りでもアンコウは流通していませんでした。漁師がたまたま獲れたアンコウを雪の上に置いて肝を抜いて、身だけ切り取っていたんです。いまはそんなことはしません」
その言葉に応じるように職人がアンコウを生簀からまな板に移し、見事な包丁さばきで身と肝を切り分けていく。
村の沖合で獲れるのは「キアンコウ」という種類で、成長すると白身の魚を食べるという。そのことも味の決め手になっている。漁獲量は毎年60トン。「生きたままアンコウが揚がるのは珍しい」とのことだ。
アンコウは地域の宝であり、観光資源でもある。そこでブランド価値を高めるため風間浦漁協が権利者となって「風間浦鮟鱇(あんこう)」の地域団体商標を取得した。そのブランド基準は4つ。
1, 重量5キロ以上
2, 生きたまま水揚げされたもの
3, 12月~翌年3月に水揚げされたもの
4, 胃の内容物を取り除いたもの
「神田の『いせ源』で使ってもらっています。刺身には風間浦のアンコウしか使わないそうです」と駒嶺さんは胸を張る。「いせ源」は天保元年(1830)に創業した都内で唯一のアンコウ専門店だ。そんな店の厳しい眼鏡にかなったということだ。
いせ源がある東京・神田司町には空襲を免れて戦前の姿を残す店が数軒あり、いせ源はそのひとつだ。たまたま神田に行く用事があったので、建物の写真を撮ってきた。
席を駒嶺商店が経営する食堂「ばんやめし」に移して、アンコウ尽くしの御膳をいただいた。
刺身を食べるのは初めて。とも和えも初めて。唐揚げも初めて。鍋はよそで食べたことがあるけれど、こちらは別物。本物のアンコウ鍋は初めてだ。
冬場には村内の下風呂温泉郷の旅館やホテルでアンコウ料理を出す。鍋は旅館やホテルによって味噌、醤油、塩と味が異なり、好みの味を目当てに遠方からやってくる観光客で賑わう。
帰途、近くの桑畑温泉に寄った。村営の日帰り温泉施設「湯ん湯ん♪」があり、露天風呂から津軽海峡を一望できることで知られている。案内してくれた村役場の人が言う。
「週に一度、村内の高齢者を送り迎えしているんです」
広間を覗くとお茶菓子を前にしてお年寄りたちがおしゃべりに興じていた。スマホのカメラを向けたら、急に居住まいを正そうとする。
「そのままでお願いします」
これがそのときのほっこりする写真だ。
野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。食文化研究家。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。
◇店舗情報◇
店舗名
奥薬研修景公園
レストハウス・薬研温泉露天風呂
住所
青森県むつ市大畑町赤滝山国有林1−3
電話
0175-34-2008
営業時間
4月1日〜4月30日 9:00〜17:00
5月1日〜8月31日 9:00〜18:00
9月1日〜10月31日 9:00〜17:00
11月1日〜3月31日 10:00〜17:00
店舗名 海鮮直売所 食事処 ばんやめし 住所 青森県下北郡風間浦村蛇浦石積12-13 電話 0175-35-2865 営業時間 11:00〜14:00(火曜定休日)
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