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出場歌手の平均年齢が29.1歳!実は非常に若々しかった40年前の「第35回NHK紅白歌合戦」

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1984年12月31日 「第35回NHK紅白歌合戦」放送日

紅組と白組の対決が大きな魅力だった40年前の「NHK紅白歌合戦」


今から40年前、1984年の『第35回NHK紅白歌合戦』(以下:紅白)はどのような様子だったのだろうか。当時は80年代アイドルが黄金期を迎えていた一方で、演歌や歌謡曲の実力派歌手も多く出場していた。放送時間は21時から23時45分と現在より短く、出場歌手は紅組・白組それぞれ20組。特別出場枠はナシ。

司会は紅組が森光子、白組がNHKの人気アナウンサー鈴木健二が務めた。 当時、『紅白』は紅組と白組の対決が大きな魅力であり、出場歌手の組み合わせも重要視されていた。以下に出場歌手、出場回数、歌唱曲を整理し、気になるポイントを考察していきたい。

『第35回NHK紅白歌合戦』出場者と曲目
【紅】早見優(2)「誘惑光線・クラッ!」
【白】シブがき隊(3)「アッパレ!フジヤマ」

【紅】堀ちえみ(初)「東京SugarTown」
【白】舘ひろし(初)「泣かないで」

【紅】高田みづえ(7)「秋冬」
【白】千昌夫(12)「津軽平野」

【紅】河合奈保子(4)「唇のプライバシー」
【白】西城秀樹(11)「抱きしめてジルバ-CarelessWhisper-」

【紅】研ナオコ(8)「名画座」
【白】山本譲二(4)「奥州路」

【紅】川中美幸(4)「ふたりの春」
【白】新沼謙治(9)「旅先の雨に」

【紅】中森明菜(2)「十戒(1984)」
【白】近藤真彦(4)「ケジメなさい」

【紅】松田聖子(5)「Rock'nRouge」
【白】郷ひろみ(12)「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」

【紅】水前寺清子(20)「浪花節だよ人生は」
【白】細川たかし(10)「浪花節だよ人生は」

【白】チェッカーズ(初)「涙のリクエスト」
【紅】小泉今日子(初)「渚のはいから人魚」

【白】村田英雄(23)「冬の海」
【紅】牧村三枝子(4)「冬仕度」

【白】沢田研二(12)「AMAPOLA」
【紅】髙橋真梨子(初)「桃色吐息」

【白】田原俊彦(5)「チャールストンにはまだ早い」
【紅】小柳ルミ子(14)「今さらジロー」

【白】芦屋雁之助(初)「娘よ」
【紅】石川さゆり(7)「東京めぐり愛」

【白】菅原洋一(18)「忘れな草をあなたに」
【紅】岩崎宏美(10)「20の恋」

【白】大川栄策(2)「盛り場おんな酒」
【紅】森昌子(12)「涙雪」

【白】三波春夫(27)「大利根無情」
【紅】島倉千代子(28)「からたち日記」

【白】北島三郎(22)「まつり」
【紅】八代亜紀(12)「恋瀬川」

【白】五木ひろし(14)「長良川艶歌」
【紅】小林幸子(6)「もしかして」

【白】森進一(17)「北の螢」
【紅】都はるみ(20)「夫婦坂」

ベテランばかりのように見えて出場者の年齢は低い


上記リストを眺めると、1984年の『紅白』には、昭和の大物歌手が多数出演していた印象があるかもしれない。しかし、実は出演者の年齢は現在よりも明らかに若い。出場歌手の平均年齢は、紅組が約28.05歳、白組が約31.71歳である。現在の『紅白』には多人数のアイドルグループがいくつも存在するので、平均年齢を比べることに意味は薄い。ただ、1984年の平均と、2024年の出場者と個々の歌手の年齢を比較すると、当時の出演者がいかに若かったかがわかる。

紅組の平均28.05歳は、TWICEのナヨン(29歳)、ジョンヨン(28歳)、モモ(28歳=2024年12月31日時点で28.14歳)、乃木坂46の吉田綾乃クリスティー(29歳)の年齢よりも低い。星野源が43歳、福山雅治が55歳であることを考えると、白組の平均31.71歳という数字にも驚かされる。1984年に最年長の三波春夫が61歳で、現在の郷ひろみ(69歳)より8歳も若く、紅組の最年長である島倉千代子は46歳で、現在のaiko(49歳)より年下で、椎名林檎(46歳)と同じ年齢だ。 高齢化社会である現代と比較すると、30年前の『紅白』は非常に若々しいものであったと言える。

グループの出場者が信じられないほど少ない


2024年の『紅白』は下記のようにグループ出場者の多さが際立っている。新旧のバンド、アイドルグループ、ダンス&ボーカルユニットを合わせて、実に19組に及ぶ。昨年出場していた新しい学校のリーダーズ、NiziU、Perfume、YOASOBI、Official髭男dism、SEVENTEEN、10-FEET、NewJeansなどが今回出演していないにもかかわらず、この数字に達しているのだ。

▶︎ 紅組:ME:I、ILLIT、緑黄色社会、櫻坂46、HY、乃木坂46、LESSERAFIM、椎名林檎ともも、TWICE

▶︎ 白組:Omoinotake、Da-iCE、JO1、BE:FIRST、TOMORROW X TOGETHER、Creepy Nuts、GLAY、Number_i、Mrs.GREENAPPLE、THE ALFEE

しかし、1984年の『紅白』ではグループ出場者は極めて少ない。シブがき隊とチェッカーズだけ。これは当時、アイドルがグループではなくソロで活躍することが主流だった点が大きい。また、前年末から「ワインレッドの心」が大ヒットしていた安全地帯が出場しなかったように、ロックバンドが『紅白』では冷遇される傾向も影響している。一方で、この年からサザンオールスターズが年越しライブを開始するなど、もともとバンド側も『紅白』を必ずしも目標としていない傾向も理由の一つと言える。加えて、現在は主流のダンス&ボーカルユニットという形態がまだ存在していなかった。

石川さゆりはあの2曲のどちらかを歌っていない


北島三郎はこの年、「まつり」を初めて『紅白』で歌った。この曲は1984年11月5日に発売されたばかりの新曲だったが、当初は特に大きなヒットを記録していたわけではない。また、『紅白』で歌われたことが直接的にセールスを飛躍させたわけでもなかった。しかし、その後、北島三郎は1993年、1999年、2006年、2009年、2013年と計6回この曲を披露し、そのうち5回は大トリを務めている(2013年は別枠
で究極の大トリ)。さらに、2018年には勇退後の特別枠で再び「まつり」を歌唱した。こうして “『紅白』でのサブちゃんといえば「まつり」” というイメージを多くの人に植え付けることになった。

一方、石川さゆりは前年の『紅白』を出産のため欠場し、この年は2年ぶりの出場となった。歌ったのは「津軽海峡冬景色」or「天城越え」ではない。「東京めぐり愛」という曲だ。この曲は力士・琴風豪規とのデュエット曲だが、琴風が出演せず、そのパートを紅組の他の歌手たちが代わりに歌ってサポートした。当時はまだ新曲を歌うのが通常のパターンで、「天城越え」は生まれる前だった。 石川さゆりが『紅白』で「津軽海峡冬景色」や「天城越え」を頻繁に歌うようになるのは1990年代以降のことだが、当初はそれがマストでもなかった。この2曲を交互に披露する形式が定着したのが2007年で、ここから16年続いたが、2024年にはこの形式が休止となり「能登半島」を披露することになった。

80年代アイドル黄金時代が楽しい


1980年代はアイドル黄金時代であり、『紅白』もその流れを無視できず、この時期から下記のようにアイドルに多くの枠を割り当てるようになった。

▶︎紅組:早見優、堀ちえみ、河合奈保子、中森明菜、松田聖子、小泉今日子

▶︎白組:シブがき隊、近藤真彦、チェッカーズ、田原俊彦

80年代アイドルのトップランナーである松田聖子と田原俊彦は盤石なポジションを築き、この年で早くも5度目の出場である。特に田原俊彦は、アイドルの定位置とされる前半ではなく、遅い時間帯に登場し、小柳ルミ子が対戦相手という “オトナ枠” に組み込まれていたのが特徴的だ。

初出場のチェッカーズはロックバンドではあるが、当時は低年齢層の女性に圧倒的な人気を獲得。頻繁にアイドル雑誌の誌面を飾るような存在となり完全にアイドルの扱いだった。

いわゆる “花の82年組" の存在が目立ち、計5組が顔を揃えた。デビュー3年目を迎えた82年組の中で、シブがき隊はデビュー年から連続出場しており、中森明菜と早見優は前年から、そしてこの年、小泉今日子と堀ちえみが初出場を果たした。80年代女性アイドルの中で、松田聖子、中森明菜に続くナンバー3的な存在に位置づけられる小泉今日子は、1983年にはすでにヒットチャートの常連だったが、『紅白』に関しては早見優に先を越されていたのだった。

一方、この年に薬師丸ひろ子は主演映画の主題歌である「メイン・テーマ」や「Woman “Wの悲劇” より」をヒットさせたが、もともと歌番組への出演には積極的ではなく、NHK側も出演を望んだだろうが『紅白』には不出場だった。薬師丸ひろ子が初めて出場したのは、それから29年後の2013年のことである。

紅組 vs 白組の対決の構図が鮮明だった


現在の『紅白』は、ジェンダーレスな方向性が顕著になっている。司会者も紅組・白組で明確に分かれるわけではなく、橋本環奈と伊藤沙莉が紅組、有吉弘行が白組といった形ではない。氷川きよしのように枠を超えた存在として出場する歌手も登場し、歌唱順も紅組と白組の交互でもなくなっている。しかし、1984年当時の『紅白』は “紅組 vs 白組” の対決ムードが色濃く、組み合わせや順番が注目される重要な要素だった。このような背景の中で、話題性の高いマッチメイクについて触れてみたい。

まず、河合奈保子と西城秀樹の対決が挙げられる。河合奈保子は “HIDEKIの弟・妹募集オーディション” というオーディション出身で、西城秀樹と同じプロダクションから “妹" として売り出されたアイドルである。この対決は、いわば “兄妹バトル” とも言える趣向だった。また、水前寺清子と細川たかしは、当時多数の歌手が共作した「浪花節だよ人生は」をそれぞれ歌い、同曲対決を繰り広げた。これは『紅白』において初めてのケースだった。

さらに興味深いのは、NHKの “攻めた” 演出だ。中森明菜 vs 近藤真彦、松田聖子 vs 郷ひろみといった、当時交際が噂されていた歌手同士による刺激的な対決を連続して組んでいる。このようなマッチメイクは、視聴者の関心を引きつける意図が明白だが、それは当事者OKを出したうえで実現したものだろう。芸能界というのは、そうした側面を持つ世界なのである。

都はるみの引退にまつわるあれこれ


今から40年前の『紅白』のトリは森進一、大トリは都はるみが務めた。そして、これが都はるみにとって引退前最後のステージとなった(*)。同年3月、都はるみは “普通のおばさんになりたい” という言葉とともに突如引退を発表。この『紅白』では引退の花道として、大トリの枠が用意された。紅組司会の森光子に送り出され、ステージ中央に立った都はるみは、その時点でラストシングルとなった「夫婦坂」を熱唱。歌い終えた彼女が涙をこらえて一礼すると、会場からの拍手は鳴り止まず、ついには “アンコール!” の声が広がるという、『紅白』では異例の事態が発生した。

これを受けて白組司会の鈴木健二アナは “私に1分間ください!” と視聴者に呼びかけた。そして、“実は事前に、もう1曲歌ってもらえるよう交渉したが、「夫婦坂」で燃焼したいという理由で断られた。しかし、この場でアンコールに応えてもらえるよう改めて交渉する” といった旨を語った。1分間とはステージ上での交渉の時間だった。結局、都はるみが明快な返答をする以前に、オーケストラが「好きになった人」の演奏を開始し、歌わざるを得ない環境が作られた。当人は涙に震えながら自らの代表曲を歌うことになった。他の紅組の歌手たちも次々にもらい泣きをしていた。

異様な盛り上がりの中、ステージは幕を閉じ、得点集計に進む段取りに。瞬間視聴率が80%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)に達したこの場面で、総合司会の生方恵一アナウンサーがマイクを握り、まさかの失態を演じてしまう。

“もっともっと、たくさんの拍手を、ミソラ…”

一瞬、時間が止まった。フリーズしかけた生方アナはすぐに言い直し “…ミヤコさんにお送りしたいところですが、何分限られた時間ですので、得点集計に入りたいと思います” と続けた。当然のように紅組が勝利。ミソラ発言については誰も触れることなく、出場歌手による「蛍の光」の合唱が行われ、番組は終了した。 除夜の鐘が鳴り、『紅白』終了から間もなくして生放送されたフジテレビ系『オールナイトフジ』特番で、とんねるずの石橋貴明が画面に映るや否や、最初に発した言葉は “ミソラ” だった。

以上は『NHK紅白歌合戦』が大晦日の国民的行事だった昭和の話である。

(*)1990年に歌手活動を再開し、『紅白』にも復帰した。

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