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「誰かの安楽死」が“自分ごと”になる、美しき人生讃歌 ベネチア最高賞受賞『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

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「誰かの安楽死」が“自分ごと”になる、美しき人生讃歌 ベネチア最高賞受賞『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

あまりにも美しい余韻に浸る『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』

込められたテーマに深い部分で心を震わせ、俳優たちの最高レベルの表現を目撃。しかも監督のスタイルが貫かれている……。これらは映画が傑作となる条件だが、そのすべてが美しく重なり合うことは極めて稀だ。『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、その稀有な例として多くの人の脳裏にやきつき、沁みわたる作品ではないだろうか。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

2024年の第81回ヴェネチア国際映画祭では最高賞の金獅子賞に輝いたうえに、上映時に20分という異例の長さのスタンディングオベーションを受けたという。つまり傑作であることは保証されている。スペインの巨匠、ペドロ・アルモドバル監督は日本でも人気だが、世界3大映画祭での最高賞をようやく手にしたことも、映画ファンには感慨深いはず。

ここ数年のヴェネチアの金獅子賞受賞作は、社会的テーマや、映画芸術としてのクオリティの高さを認められながら、エンターテインメントとして多くの人が受け止めやすい作品が多い。『ジョーカー』、『ノマドランド』、『哀れなるものたち』、『シェイプ・オブ・ウォーター』と同じく、『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』にも観客層を絞らない“間口の広さ”が感じられる。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

「人はなぜ生きて、死んでいくのか」という誰もが直面する問題

まずストーリー自体が、極端なシチュエーションのようで、深く感情移入しやすいものであること。末期ガンのマーサが、延命的な治療を拒み、安楽死を決断する。何年かぶりに再会した親友イングリッドに、最後の願いを託すマーサ。それは、自分がこの世を去る時間に、隣の部屋(=ザ・ルーム・ネクスト・ドア)にいてほしい、ということ。親友が近くにいれば、安心して旅立つことができると、マーサは信じている。もちろんイングリッドは願いを受け入れるかどうか悩むが、自分にしかできない役割だと覚悟を決める……。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

日本では違法である「安楽死」を扱っているので、多くの人には身近なトピックではないかもしれない。しかし本作はマーサの悲壮な決意を、「人はなぜ生きて、死んでいくのか」という誰もが直面する問題にシフトさせる鮮やかなマジックを起こす。さらにイングリッドの心情を通して「自分にとっては辛いことでも、誰かのために役立つなら」という覚悟、思いやりの心を力強くアピールする。映画で描かれていることが、まったく異なる環境で生きる人にも“自分ごと”と感じさせる奇跡が起こるのだ。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

アルモドバルが極めた、人生のひとつの選択

こうして書いていくと、徹底してシビアな作品かと思われそうだが、ペドロ・アルモドバル監督の作風を知っていれば、別次元の「映画を観る歓び」に溢れることを期待するはず。そしてその期待は、美しくクリアされる。アルモドバル監督はこれまでも『オール・アバウト・マイ・マザー』(1998年)では息子を交通事故で亡くす母、『トーク・トゥ・ハー』(2002年)では昏睡状態になった2人の女性、『ペイン・アンド・グローリー』(2019年)では脊髄の痛みに苦しむ映画監督……と、悲劇的トピックを起点にしながら、作品は軽やかでエモーショナルな印象。それこそがアルモドバルの真骨頂だった。ストーリーとは裏腹に、超カラフルなプロダクションデザイン、つまり視覚的に、悲しみさえも人生の希望に転化させるのが、アルモドバルのスタイルだ。

この『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』も一目でアルモドバル作品だとわかるのは、家具や小道具の数々のおかげ。マーサ役のティルダ・スウィントンは「撮影で使われた赤や緑色のカウチ、ユニークなランプなどの家具には、ペドロのアパートから持ってきた私物も多かった」と告白している。アルモドバル作品はこうしたデザインを愛でるのもひとつの楽しみだが、この視覚的効果によって、シビアな設定も心地よく受け止められる安心感となることを、本作は改めて証明する。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

一方で、これまでのアルモドバル作品と大きく異なるのは、全編に漂う、スリリングで張り詰めた空気かもしれない。マーサの強い覚悟は前半からずっと貫かれるのだが、彼女が本当にその決断を実行するのか。それはどんなタイミングなのか。映画を観ているわれわれはイングリッドとともに、つねに緊張感に襲われる。アルモドバル作品でここまで後半の展開にドキドキさせられるのは異例かもしれない。マーサ本人の心情はもちろん、「その時」が訪れたらイングリッドはどう対処するのか。そちらにも心が持っていかれて終始、ザワザワと胸騒ぎが続く。その結果、ハイレベルの集中力が保たれるのが本作の持ち味だ。

本作には原作が存在するが、アルモドバルはその核を重視しながら、自分なりに脚本化したことを語っている。キャリアの長いアルモドバルにとっても、英語がメインの長編作品は本作が初のチャレンジだった。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

2人の名優が表現する“最期”、心に積み重なる“余韻”

そして本作の成功に欠かせなかったのが、メインの2人を演じたキャスト。マーサ役のティルダ・スウィントンは、もともと超スレンダーなボディの持ち主なので、病と闘う姿に違和感なくフィットする。そのうえで自らの重大な決意に対し、決して揺らがない強靭な意思や、病に対する精神的苦痛、混乱までを全身で表現する。人間を超えて、どこか神のような崇高さを放つ俳優としての魅力が本作で最大限に生かされた。これは観てのお楽しみだが、終盤のあるシーンではスウィントンの驚くべき才能に目に見張ることになるだろう。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

イングリッド役のジュリアン・ムーアは、“受け止める”側、つまり映画を観るわれわれの視点と一体化する演技に挑んだ。要所でイングリッドは溢れる感情を押し殺しながらマーサに接するが、こうした抑えた表現にムーアの真の実力が見てとれる。スウィントン、ムーアというオスカー女優による絶妙なセリフのやりとりから、2人の女性キャラの言葉では表せない信頼関係、友情が伝わってくるのは、さすがの一言!

愛した男性との苦い思い出、戦場ジャーナリストで世界を飛び回った日々、そして一人娘との関係……と、マーサの過去も盛り込まれながら、ゆっくり浮き上がってくるのは、彼女の人生への“讃歌”だ。さまざまな困難も経験しながら、自分の生き方を最後までコントロールしようとするマーサに、どこか一人の人間としての理想の姿を見出す人も多いのではないか。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』©2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. ©El Deseo. Photo by Iglesias Más.

作中に何度か引用されるのが、ジェイムズ・ジョイスの短編小説「死者たち」(「ダブリン市民」の一編)と、その映画化、ジョン・ヒューストン監督の遺作『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(1987年)。同作で象徴的に出てくる「雪」を、アルモドバル監督もこの『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』でも、繊細の極みのような演出で使っている。

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ゆっくりと降り注ぐ雪のように、この映画の余韻は静かに、いつまでも心に積み重なっていく。マーサの人生への喝采のような本作の余韻は、われわれ誰もがたどる人生の来し方、行く末へ地続きとなる。

美しい映画を観た――。そんな後味をじっくり噛み締めてほしい。

文:斉藤博昭

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は2025年1月31日(金)より全国公開

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