【藤枝・鬼岩寺】背筋が凍る「鬼の爪痕」 涙ぽろり「黒犬物語」 伝説多き寺を味わい尽くそう!
静岡・藤枝市の「鬼岩寺(きがんじ)」は、鬼退治や心打たれる黒犬の話など、伝説にあふれたお寺です。特に鬼の爪痕が残る石は、背筋が凍る迫力。魅力満載の鬼岩寺を紹介します。
名前の由来は鬼が封じられた岩!?
鬼岩寺は蓮華寺池公園の西側に隣接しています。
行基が726年に開創したとされていて、現在のお寺の名前は、弘法大師が鬼を封じ込めた岩と伝わる「魔魅の岩(まみのいわ)」に由来します。
鬼がいたのかと驚くかもしれませんが、なんと鬼岩寺には鬼が爪を研いだと言われる岩「鬼かき岩」もあるのです。こちらもゾッとするほどくっきり爪痕が残っています。
その鬼退治の伝説を今に伝える、鬼封じの護摩を継承するのが53代目住職の上野祥弘さんです。
高野山で修業した後に古里の藤枝に戻り住職となりました。
鬼岩寺・上野祥弘住職:
鬼かき岩は境内にありますが、鬼を封じ込めた魔魅の岩は、山の中にあり危険な場所なので無断で入ることはできません。ゴルフボールやソフトボールくらいの小さい穴があり、不思議な形状の岩です。昔は神が降りた岩とも言われ、霊力がある岩なのかもしれません
弘法大師の鬼退治
時は平安時代、地域の人々を苦しませていた鬼を弘法大師が退治したという伝説がお寺に伝わっています。
弘法大師が7日間護摩祈祷をすると、昼なのにあたりは真っ暗になりました。そして、とどろく大きな雷鳴と共に鬼を岩に封じ込めました。封じ込めると、何もなかったようにまた空は晴れ、鬼はそれ以降現れなくなったそうです。
今でも鬼が出てこないように、大きな音を出して鬼を恐がらせ、岩の中に封じ込める護摩があります。その護摩が行われるのは8月20日、大きな花火を上げる「弘法大師縁日」です。
鬼岩寺・上野 住職:
鬼にも悪い鬼や良い鬼がいますが、鬼岩寺に伝わる鬼は悪い鬼でした。鬼かき岩を見ると、爪は相当鋭く、手は大きかったのではないでしょうか。村人だけではどうしようもなく、困り果てていたでしょう。そこに弘法大師様がちょうど立ち寄り、村人たちがお願いして鬼退治に至りました
寺に伝わる厳選3伝説
鬼の伝説以外にも、鬼岩寺には多くの伝説があります。お寺に行けば、その伝説にまつわる品、仏像など見ることもできます。いくつかある伝説の中から、鬼岩寺を代表する伝説を3つご紹介します。
武田軍から逃げた不動明王
戦国時代、武田軍が駿河の国へ進軍する中、鬼岩寺は戦火に巻き込まれました。寺には不動明王像ありましたが、戦火でお寺が燃える前に不動明王が逃げたという「逃げたお不動様」の伝説が残っています。
戦火を免れるため自ら甲州のお寺に逃げ、後に住職たちによって鬼岩寺に戻されましたが、逃げた時についたとされる土が今も足についているそうです。
逃げた不動明王がどのように見つかり、藤枝に帰ってくることになったのか、そこにも不思議な話が伝わっていました。行方がわからなくなってから60年、奇跡的に3人が同じ夢を見たというのです。
鬼岩寺・上野 住職:
当時の住職、近所の神社の神主が「吾、甲斐国甲府大泉寺にあり。汝等来たり迎えよ(私は山梨県甲府の大泉寺にいるので、あなたたち迎えに来てください)」と不動明王が告げる同じ夢を見ました。大泉寺に向かう道中の富士川の茶屋で、またまた同じ夢を見たという大泉寺の僧侶に会いました。お不動様を鬼岩寺に返しに来る途中でした
不動明王は秘仏として公開されていませんが、毎年1月28日の不動明王大祭にご開帳しています。
厨子の中では土が付いているという足元は見えないので、いつか御開帳の時があったら足元まで見たいですね。
不動明王をお守りするように、堂内には12体の「十二天」の像が安置されています。江戸時代に作られ、守る方角、役割、ご利益がそれぞれ違う神様です。護摩堂に入るときは説明の紙をもらってください。
鬼岩寺・上野 住職:
見るべきポイントの一つが、それぞれがまとう羽衣です。十二天には太陽の神、月の神など自然に関わる神から、閻魔大王もいらっしゃいますが、人間世界より1つ上の自然世界にいらっしゃるので、閻魔様にも空を飛ぶ羽衣がついています
田中城主とクロの「黒犬物語」
境内には、むかし鬼岩寺で飼われていた黒犬の「クロ」がまつられている「黒犬神社」があります。この黒犬にまつわる伝説「黒犬物語」は、鬼岩寺から西に2kmの場所にあった、田中城の城主が出てきます。
江戸時代の話です。鬼岩寺で飼われていたクロは闘犬のように大きくて強いイヌでした。田中城の城主は自らの愛犬シロとクロを強引に戦わせます。クロが勝つと怒って刀を抜き、家臣たちと一緒にクロを追いまわし、クロは自ら井戸に飛び込んでしまいました。
すると、井戸からは黒煙が湧き出し、何万匹もの黒犬が現れて城主たち吠え出しました。クロを追い込んでしまった城主は、自らのわがままを悔い改め、村人たちとクロをまつるため黒犬神社を建てたといいます。
闘犬のような姿であるがために過去にも闘いを挑まれたことがあるクロですが、本心では争いを求めず、自ら命を絶って犠牲となってまで、城主に大切なことを教えたかったのかもしれません。
黒犬神社をお守りするのは阿吽(あうん)の犬で、優しい表情で参拝者を迎えてくれます。
愛犬のための祈願はもちろん、多産のイヌにあやかり子宝・出産の祈願ができます。負けなかったクロの勝負運にも、あやかることができるかも。
黒犬神社の参拝方法は、ここならではの方法があるので、参拝される方は次の手順を覚えておいてください。
本殿の中にあるイヌのぬいぐるみを一体、持って帰るという珍しい参拝方法です。そのぬいぐるみは、願いが叶ったら自分で用意したもう一体のイヌのぬいぐるみと一緒に神社に戻します。
クロは何匹ものイヌを従えていたくらい、信頼されるイヌだったそうです。ごう慢だった城主を改心させるくらい心が強いイヌですから、ただ体が強かったのではなく、みなに慕われていたことでしょう。
光る玉「如意宝網珠(にょいほうもうじゅ)
江戸時代、夜に護摩堂の方を見た村人が、寺が真っ赤に光っているのを見つけ、火事だと思い近づくと何も異変はありません。しかし、また家に帰ってから鬼岩寺の方を見ると赤く光っていたそうです。
翌日光っていたあたりを掘ると、玉が出てきました。玉には網のような模様があったので「如意宝網珠」と名付けられ、お寺の宝になっています。
実物を持たせてもらった筆者は、手のひらにちょうど乗るサイズなのに、ガクっと手首が下がってしまい、想像以上の重さに驚きました。
鬼岩寺・上野 住職:
もしかしたら隕石かもしれないという説もあります。地球上の石には見えないし、謎が多いです。元々灰色だったようですが、現在は黒色になり、重いので鉄の玉のようです
足利将軍のために作られた「今字池」
伝説ではなく史実として、室町時代には時の将軍であった足利義満や足利義教が鬼岩寺に宿泊したという記録もあります。
義教が富士山を眺める「富士遊覧」の途中に宿泊した際には、当時の駿河国の守護職・今川範政が義教をもてなすために、草書の「今」の形になるよう池を作り「今字池」と名付けました。
現在大きさは3分の1に縮小されてしまいましたが、池は護摩堂の隣にあり、その名残を見ることができます。
鬼岩寺・上野 住職:
お寺は幾度か火災にあっているので昔の姿とは違いますが、かつては将軍が泊まるほど、鬼岩寺は地域を代表するお寺でした。山々に囲まれ、自然と一体化した池なので将軍に見せるほど優美な庭園だったのかもしれません
8月20日は花火大会
8月20日の大師の縁日は、弘法大師の鬼退治が由来の花火大会です。夜7時半より1時間ほど行われ、護摩をたいた後、花火が打ち上げられます。
境内には他にも、苦労して黒くなってしまったと伝わる黒地蔵尊や、今川家に仕えた武士たちによって建立された「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」など、見どころがあちこちにあります。
暑い夏、ぜひ深い爪痕が残る鬼かき岩を見て、ひんやりしてはいかがでしょうか。
■スポット名 鬼岩寺
■住所 静岡県藤枝市藤枝3-16-14
■問合せ 054-641-2932※黒犬神社での御祈祷、護摩堂の見学は問合せを