バスケが熱い今だから振り返る、Bリーグ創設の歴史【バスケ】
Bリーグ創設の歴史
今シーズン、開幕9年目を迎えたプロバスケットボールリーグ・Bリーグ。パリ五輪代表メンバーの活躍などで開幕から大きな盛り上がりを見せていますが、実はその創設までには紆余曲折の歴史がありました。今回は『ラブすぽ』読者のみなさんに、Bリーグ創設の歴史を解説します!
日本バスケットボール界の歴史は古く、公益財団法人日本バスケットボール協会(JBA)の前身である大日本籠球協会は1930年に設立されています。その後、名称変更などを経て1967年に国内トップリーグの日本リーグが発足。当時は「プロ」ではなく社会人トップリーグとして活動をスタートさせました。1995年には1部に該当するスーパーリーグ、2部に該当する日本リーグから成るJBL(のちにNBL)が設立。1999年には女子リーグのWJBLも発足しています。
しかし2005年、日本バスケ界に転機が訪れます。「プロ化」を目指す複数のクラブがJBAから独立する形で「bjリーグ(のちにTKbjリーグ)」を設立。ここからしばらくの間、日本のバスケ界にはbjリーグとNBLという2つのトップリーグが存在する時期が続いたのです。
この歪な形に懸念を示したのがFIBA(国際バスケットボール連盟)でした。FIBAは幾度となく、日本に「トップリーグの統一」を求めましたが、リーグ統合はなかなか進みません。すると2014年11月26日、FIBAはJBAに対して会員資格の無期限停止という重い処分を下します。これにより日本代表は国際試合への参加資格を失い、2020年に開催予定だった東京五輪での開催国枠での出場も白紙になってしまいます。
翌2015年1月、FIBAはトップリーグ統合を含めたJBAの諸問題を改善するために「JAPAN 2024 TASKFORCE」を発足。代表には1993年のJリーグ創設に大きく貢献した川渕三郎氏が就任します。川渕氏はJリーグで培った手腕を存分に発揮。わずか3カ月後の4月1日には両リーグの統合を検討したうえでジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(JPBL)を設立(川渕氏が初代チェアマンに就任)。これを受けて8月9日にはFIBAの資格停止処分も解除され、約10年に渡った「2つのトップリーグが存在する」時代は終焉に向かいます。
JPBLは新リーグの名称を「Bリーグ」と定め、B1、B2の2部制を採用(3部に該当するB3は準加盟クラブ扱い)。B1、B2所属チームはすべてプロチームとし、さらにはホームアリーナの収容人数や年間売り上げを条件としたライセンス制度を導入。これらは川渕氏が携わったJリーグのシステムを参考にして定められたと言われています。
さらに、チーム名には地域名を加え、ホームタウンを設定することで「地域密着」を提唱。川渕氏が率いるJPBLのもと、新リーグ発足は急ピッチで進められました。
そして迎えた2016年9月22日、前年のNBLレギュラーシーズン1位・アルバルク東京(元トヨタ自動車アルバルク)とTKbjリーグ王者の琉球ゴールデンキングスの一戦でBリーグが開幕。ちなみに開幕シーズンはB1、B2ともに18チームで行われましたが、B1は元NBLチームが8チーム、元TKbjリーグチームが10チーム参加。2つのトップリーグが見事に融合し、新リーグである「Bリーグ」が誕生したと言っていいでしょう。
開幕後は毎シーズン、細かなレギュレーションの変更などを経て「進化」を続けるBリーグ。2024‐25シーズンはB1が24チーム、B2が14チームの計38チームとなっていますが、観客動員数はもちろん、選手の待遇なども年々上昇中。リーグ全体の競技レベルも向上を続け、日本代表がパリ五輪で見せた健闘につながったのは間違いないでしょう。
2年後の2026‐27シーズンからは「B革新」の名のもと、新たなリーグが開幕予定。進化を続けるBリーグは、これからも多くのファンを楽しませてくれるはずです。
文・花田雪