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『きらびやかな平安貴族』その裏で庶民の生活はこんなにも厳しかった

草の実堂

画像 : 池上曽根遺跡公園 小型掘立柱建物 photoAC
画像 : 鴨長明(菊池容斎画、明治時代)public domain

平安時代(794~1185年)は、貴族による華やかな宮廷文化が花開いた時期として知られている。

しかし、その裏側では、庶民の生活はきわめて質素で、厳しいものであった。

ここで言う庶民とは、主に農民、職人、商人といった下層の人々を指す。
彼らの暮らしは、貴族や僧侶が記した文献にはほとんど登場せず、直接的な記録は乏しい。

そのため当時の庶民生活を知るには、『今昔物語集』や『方丈記』『新猿楽記』、さらには寺社縁起といった史料を通して、間接的に読み解くほかない。

今回は、これらの文献を手がかりとして、平安時代に生きた庶民の実像を探ってみたい。

庶民の暮らしの特徴

画像 : 方丈記 大福光寺本(鎌倉前期写、伝 鴨長明自筆) public domain

平安時代の庶民の大多数は農民であり、平安中期以降は荘園制度のもとで土地を耕し、収穫物を領主や貴族に納めながら生活していた。

『今昔物語集』には、農民が貧しさのあまり盗みを働いたり、飢饉に苦しむ姿が描かれており、彼らの暮らしが自然災害や重い課税によって大きく左右されていたことがうかがえる。

一方、『新猿楽記』には、鍛冶屋や桶職人、商人など、村や都市で働く職人や交易従事者の存在が記されており、農民以外にも多様な職業が存在していたことがわかる。

また、寺社縁起には、農民が寺に労働力を提供したり、土地を寄進したとする記述も見られ、宗教が庶民の生活と深く結びついていたことが読み取れる。
ただし、土地の寄進については、庶民の中でも中小地主層によるものと考えられる場合が多い。

『方丈記』では、平安末期に相次いだ災害や疫病によって、多くの庶民が苦難にあえいだ様子が描かれている。
飢饉によって食料が尽き、道端に倒れる人々や、家族を失って嘆き悲しむ者の姿が記されており、庶民の暮らしが決して安定したものではなかったことが明らかである。

それでも、彼らは家族や村の共同体との絆を支えにしながら、厳しい日常を懸命に生き抜いていたのである。

住居と食事

庶民の住居は、貴族のような豪奢な邸宅とは異なり、きわめて簡素な造りであった。

一般的には木造の掘立柱式建物であり、屋根は茅葺き、壁は土や竹などの自然素材を用いていた。

画像 : 池上曽根遺跡公園 小型掘立柱建物 photoAC

床は板張りではなく土間が主流で、家の中央には囲炉裏が設けられ、暖をとったり煮炊きを行ったとされる。

『今昔物語集』には、農民の家が火災で焼け落ちる場面が登場し、当時の住居が火に弱く、非常に脆弱な構造であったことがうかがえる。

食事に関しても、庶民はきわめて質素な内容で日々を過ごしていた。

主食は米をはじめ、粟や稗といった雑穀であり、副食としては大根や山菜などの野菜、川魚や貝類が用いられていた。
肉食は、仏教の影響により忌避される傾向が強く、庶民が口にすることはまれであった。

『新猿楽記』には、商人が魚や塩を扱う様子が記されており、こうした保存食、すなわち塩漬けや干物などが庶民の食卓に上っていたことが想像できる。

貴族のように多彩で贅沢な料理を楽しむ余裕はなく、庶民の食事は腹を満たすことを第一とした、実用本位のものであった。

労働と社会

画像 : 農民イメージ public domain

農民にとっては、田畑の耕作が生活の中心であった。

春の田植え、夏の草取り、秋の収穫という一連の作業が繰り返され、一年を通じて農作業に追われる日々であったと考えられる。

収穫した作物の一部は、荘園の管理者や領主に年貢として納める必要があり、残りで家族を養っていた。
農民が労働力として動員されることもあり、重労働を強いられることが多かったようである。

また、鍛冶や織物、桶作りといった職人仕事に従事する者もおり、市場で商品を扱う商人も存在していたとされる。

『新猿楽記』には、都市で活動する職人や商人についての描写があり、都を中心に庶民の経済活動がある程度の広がりを見せていたことがうかがえる。

信仰と娯楽

画像:東大寺盧舎那仏坐像(撮影:高野晃彰)

庶民にとって精神的な支えとなったのは、仏教や神道といった宗教的な信仰であった。

村の鎮守の神や、身近な寺への信仰は日常生活に根付いており、困難な時代における心の拠り所となっていたと考えられる。

『今昔物語集』には、貧しい農民が仏に祈りを捧げて救いを求める場面や、霊的な現象に遭遇する話が多く収められており、当時の人々が超自然的な存在に強く影響を受けていた様子がうかがえる。

娯楽と呼べるものは限られていたが、収穫期の後や正月などには、村で祭りが催され、歌や踊りを通して共同体の絆を確かめ合う機会があったとみられる。

これらは、厳しい労働の日々のなかで、束の間の楽しみでもあった。

庶民の一日の流れ(農民を例に)

画像 : 農民 イメージ photoAC

ここでは、平安時代の農民を例に、典型的な一日の流れを『今昔物語集』などの文献を参考に紹介しよう。

季節や地域によって異なるものの、夏の農繁期を想定した。

朝(卯の刻:午前5時頃)

夜明けとともに家族全員が起床。囲炉裏に火を入れ、昨夜の残り物の粥や粟飯を温めて朝食をとる。
食事は簡素で、大根の味噌汁や塩漬けの魚が添えられる程度。
父親は田畑へ向かう準備をし、鎌や鍬を手に持つ。
母親は子どもの世話や家事を始め、年長の子どもは親の手伝いに駆り出される。

午前(巳の刻:午前9時頃~)

田んぼでの労働が始まる。夏なら草取りや水路の管理が主な仕事。炎天下で汗を流しながら、家族総出で作業を進める。
村の仲間と協力しながら作業を進め、時には水争いや、田の境界をめぐる小競り合いが起こることもあった。

昼(午の刻:正午頃)

田の近くの木陰で休息。持参した握り飯(米や稗を固めたもの)と水で昼食をとる。
貴族のような豪華な弁当はなく、腹を満たすだけの粗食。
少しの間、仲間と世間話や村の噂話を交わし、疲れを癒やす。子どもたちは近くで虫を追いかけたり遊んだりする。

午後(未の刻:午後2時頃~)

再び田畑に戻り、夕方まで作業を続ける。
太陽が傾くにつれ疲労がピークに達するが、年貢を納めるため手を抜くわけにはいかない。
母親は家で機織りや食事の準備を進め、収穫後の米を脱穀する手伝いもする。

夕方(酉の刻:午後5時頃~)

日没とともに作業を終え、家に帰る。家族で囲炉裏を囲み、夕食をとる。
メニューは朝と似ており、野菜の煮物や魚の干物が中心。飢饉の年は食事すら満足に取れないこともあっただろう。
夜は早めに就寝し、疲れを癒やす。灯りは松明や油皿で、貴族のような蝋燭は使えない。

夜(戌の刻:午後8時頃~)

家族が集まり、火を囲んで少しの団らん。子どもに昔話や神仏の教えを語り聞かせることも。
夜が更けると、藁や布で作った寝具に横になり、翌日の労働に備える。

おわりに

平安時代の庶民の生活は、自然とともにあり、朝から晩まで労働に明け暮れる厳しいものだった。
貴族の華やかな文化とは対照的に、彼らの日々は質素で過酷であったが、家族や村のつながりを支えに、懸命に暮らしていた。

一日の大半を占める労働と、わずかな休息の繰り返し。その単調な営みのなかにも、困難な時代を生き抜く力としたたかさが確かにあった。

きらびやかな歴史の陰で、そうした無名の人々が静かに時代を支えていたのである。

参考 : 『今昔物語集』『方丈記(鴨長明・著)』『新猿楽記(平安時代中期の学者藤原明衡・著)』他
文 / 草の実堂編集部

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