今、自国の民主主義の成り立ちを問う意味とは? 『「憲政常道」の近代日本』村井良太氏インタビュー【前編】
現代の出発点を政党政治が確立された1920年代に見いだし、日本のデモクラシー成立の経緯に焦点を当てたNHKブックス『「憲政常道」の近代日本 戦前の民主化を問う』。
今、自国の民主主義の成り立ちを問うことの重要性とは何か? 著者の村井良太さんに聞きました。
『「憲政常道」の近代日本』著者・村井良太氏インタビュー
私たちがいま生活する社会はどこから来たのか?
――本書のタイトルには、「戦前の民主化を問う」という言葉があります。戦前の日本政治が民主主義だったというイメージを多くの人は持っていない気がします。挑戦的なタイトルということになりますね。
村井良太(以下、村井): そうかもしれません。でも書いた本人にはあまり挑戦的という意気込みめいたものはなく、あるがままを表現したつもりです。歴史を見れば見るほど、私たちの現在の民主主義は、戦前の蓄積の上に形作られているからです。
――では、なぜこのような本を書こうと思われたのでしょうか?
村井: 先ほどの答えとも重なるかと思いますが、私たちがいま生活する社会はどこから来たのか?ということへの関心がそもそものきっかけでした。
言いかえれば「現代はいつ始まったか?」ということですね。開国や近代社会ということで言えば明治からと教わり、民主主義社会(デモクラシー)ということで言えば戦後の占領改革からと教わりましたが、大日本帝国憲法下でも1924年から1932年まで政党内閣が連続しました。
これは何だろう、なぜ連続し、途切れたのだろうと思いました。1924年から32年ごろは、のちの戦時とは違った多様さ、豊かさ、平和のある良い時代にも見えました。その時代を説明したいというのがもともとの出発点でした。
デモクラシーを議論をするには、戦後の80年間だけでは視野が足りない
村井: もう一つの理由は、私たちのデモクラシーを取り巻く世界的な環境の変化です。
私が中学生の頃にフィリピンや韓国が民主化し(1986~87年)、高校生の頃に中国で天安門事件が起こりました(1989年)。同じ頃、ヨーロッパでは独裁政治が相次いで崩壊し、日本でも湾岸危機・湾岸戦争(1990~91年)が戦後の平和主義を再考させることになります。次いで、政治改革を求める声も熱情のように広がりました。そして阪神・淡路大震災が起きます(1995年)。しばらく時間を置いて、東日本大震災です(2011年)。
さらに2020年からの世界大でのコロナ禍は政治を揺さぶりました。そこにウクライナ(2022年)、ガザでの戦火と破壊(2023年)です。あまりに多くのことが起こりましたので、デモクラシーをめぐる議論をするには、戦後の80年間だけでは視野が足りません。
また、かつては外国がお手本のようでしたが、米国では議事堂が襲撃されてしまいました(2021年)。それぞれの国がもがいています。今は、これさえ意識していれば大丈夫といった、デモクラシーの教科書というものはないんだと思います。
自国についての過大評価も過小評価も、はた迷惑です。今、民主主義について自らの来歴の中から問いかけることには大きな意味があるでしょう。18歳以上の有権者にとって特にそうだろうと思います。そんなときに考える素材を、この本によって提供できればと思いました。
YouTubeを毎日見ている人にこそ、この本を手に取って欲しい
――簡単に言えば、若者が選挙に行く前に読んでほしいということでしょうか? でも今はYouTubeで政治に関する情報を得ることが普通になっていますよね。
村井: 選挙に行く前に読んでいただいても嬉しいですが、投票の役に立つかは疑問です。本書を読むことによって選挙に行こうと思ってもらえると良いと思います。たしかに、投票は政治的な選択です。本書はもう一歩引いて、「政治的な選択ができる」ということの意味を、長い時間の中で訴えるものです。
また、情報にはファストとスローの大きく2種類のものがあると思います。目の前の選挙で誰に投票するかを考える上ではファストの情報が必要だと思います。YouTubeの中にも両方あるかも知れませんが、基本的にはファストに強いメディアではないでしょうか。新聞も同様と言われてきました。本書のような歴史書はスローな情報に強みがあると思います。物事をより長い時間軸でとらえることで、なぜ今そのようなことが起こっているのかを考える手掛かりとなります。YouTubeを毎日見ている人にこそ、この本を手に取って欲しいと思います。様々な角度の情報や知に接することは世界を広げますので。
そして大切なのは、民主主義にとって選挙が全てではないということです。選挙はとても重要で、投票率が上がることを願います。ですが、民主主義は生活そのものです。特に1回の選挙の勝敗が全てではありません。ある者を選挙で権力につけるのも民主主義ですが、ある者を選挙で権力から降ろすことも民主主義です。両方あって始めて民主主義と言ってよいと思います。それは長い時間軸で考えられるべきことです。
デモも民主主義社会のもとでの意思表示の一つの方法です。戦後の日本もかつてはデモの多い社会でした。しかし、デモの活発さを民主主義度の指標だと単純に考えることはできません。重要なのは政治の応答性であり、社会と政治のコミュニケーションです。
それでも異議申し立てのデモが整然と行われる限り、それが認められる社会が私たちには必要です。そしてその上で、デモが他者への暴力を伴わないよう互いに注意しなければなりません。暴力をともなっても目的が手段を正当化するというのは、本書の二・二六事件のところで書いたように、政治を大きくゆがめてしまいます。平和的変革の道を常に開いておき、その道を使わなければなりません。
つまり私たちは日々の政策とともに、どのような政治制度のもとで生きたいかを選択し、踏み固めていく必要があります。私たちが民主主義の下で生活していることは当たり前のことではなく、先人や私たち自身の努力の結果であって、将来には失われるかも知れないことを本書の行間からも感じて欲しいと思います。実際に失われるまで誰も失われるとは思わず、よりよくしようとする批判ばかりです。時には褒めてあげないといけません。
後編では、政党政治が民主化の時代の中で担った役割や、軍部との関係性など、本書で示した新しい視座について聞きます。
著者プロフィール
村井良太 (むらい・りょうた)
駒澤大学法学部教授。1972年、香川県生まれ。新潟高校卒業、神戸大学法学部卒業、同大大学院法学研究科博士課程修了。博士(政治学)。
著書に『政党内閣制の成立 一九一八~二七年』(有斐閣、サントリー学芸賞受賞)、『政党内閣制の展開と崩壊 一九二七~三六年』(有斐閣)、『佐藤栄作──戦後日本の政治指導者』(中公新書)、『市川房枝──後退を阻止して前進』(ミネルヴァ書房)など。共著に『日本政治史──現代日本を形作るもの』(有斐閣ストゥディア)、『立憲民政党全史 1927-1940』(講談社)など。共編に『河井弥八日記 戦後篇』1-5(信山社)など。