バスと電車と足で行くひろしま山日記 第82回柱島・金蔵山(山口県岩国市)
倉橋島(呉市)の南の安芸灘に、大小12の島で構成される柱島群島がある。行政的には山口県岩国市に属しており、柱島、端島、黒島の3島が有人島で、漁業と農業が主な産業だ。戦時中は柱島と周防大島の間の海域に柱島泊地と呼ばれる艦船の停泊地があり、呉軍港とともに旧海軍の一大拠点だった。島の歴史は古く、11世紀には京都の賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)の神領だったという記録が残っており、戦国時代にかけては忽那氏ら水軍の拠点でもあった。この島を訪れる機会があり、麓から中央にそびえる金蔵山(きんぞうざん 262.2メートル)を見ていると、どうしても頂上に立ってみたくなった。装備も何もなかったが、予定外の登山と相成った。
▼今回のルート
【行き】柱島港→(自転車)→戦艦陸奥慰霊碑→(自転車)→金蔵山登山口
【帰り】金蔵山登山口→(自転車)→柱島港
*岩国-柱島間の定期船は岩国柱島海運(http://ww4.et.tiki.ne.jp/~suisei-ihk/)が1日4往復運航(片道おとな1860円 こども930円)している。
賀茂神社から戦艦陸奥の慰霊碑へ
柱島に来たからには、柱島泊地を見てみたい。柱島港から自転車で南端に突き出した洲鼻に向かう。海岸沿いから峠の坂道を上り切ったところに賀茂神社がある。柱島をはじめ、上賀茂神社の神領になった島や浦には賀茂神社が置かれ、祭祀が行われたという。ちなみにグーグルマップで検索してみると、周防大島の西側にある室津半島には6社もの賀茂神社がヒットする。
道路沿いに一の鳥居があり、自転車を置いて参道を社殿に向かう。石段を上り切ったところに立派な社殿が立っていた。参拝を済ませて先を急ぐ。畑の中の道を下るとほどなく海岸へ出る。この前面の海、周防大島との間が柱島泊地だった海域だ。
道路を左折し、岬の先端まで行くと「戦艦陸奥英霊之墓」と刻まれた石碑が立っている。
戦艦陸奥は排水量39050トン、口径41センチの主砲6門を装備し、同型艦の長門とともに、大和・武蔵が建造されるまでは世界最大級の戦艦だった。
1943(昭和18)年6月8日、柱島泊地に停泊中だった陸奥は、原因不明の大爆発を起こして沈没。乗組員1121人が亡くなった。柱島や近くの続島の海岸にも多くの遺体が流れ着いた。島民は火葬に付した遺骨の一部を納めた墓を建てて命日には慰霊祭を続けた。現在の慰霊碑は、1993年に軍艦陸奥五十年祭の記念事業として元乗組員や遺族らが建立したものだという。石碑の前の防波堤に上り、眼前に広がる瀬戸内の海を見渡す。遠く以前行った「瀬戸内アルプス」こと周防大島・嘉納山(https://hread.home-tv.co.jp/post-269711/)の山影が浮かぶ。やや風波が強いけれども穏やかな風景だ。81年前、巨艦が爆沈を遂げた悲劇を想像することは難しかった。
金蔵山へ上る
慰霊碑を後に柱島港へ向かう。峠を越えたあたりで北側を見上げると、島の最高峰・金蔵山の山頂付近が見えた。公益財団法人日本離島センター(東京)が全国の島の山から選定している「しま山100選」(https://www.nijinet.or.jp/about/activities/tabid/201/Default.aspx)にも入っている。円錐形の山容から「周防小富士」とも呼ばれているそうだ。
そのつもりはなかったのだが、「ここまで来たら登ってみたい」という思いが込み上げてきた。柱島港の手前に「柱島案内図」の看板があり、大雑把だが山頂までの道が書いてある。その先には「金蔵山登山口」の看板。もういけない。予定を変更して山頂を目指すことにした。
登山道とはいっても、最初は斜面の住宅地を縫うように上る舗装路。山道になるまでと自転車は押して進む。15分ほどで休校中の柱島小・中学校の校舎に到着した。ここから先は山道になるので自転車を道路脇に置いて歩く。
登山アプリ「YAMAP」の地図によると、ここから山頂までは約30分の道のりだ。足元はレザースニーカーだが、地形図を見る限りそれほど険しくはなさそうなので何とかなるだろう。道端に落ちていた竹をトレッキングポール代わりにして進む。
間もなく登山道の中央が掘り返されて水が溜まっている場所に出た。イノシシが体に付いた寄生虫や汚れを落とすために泥を浴びるヌタ場だ。後で調べてみると、ここ柱島もイノシシが増え、作物を荒らしたり、道路や畑の石垣を崩したりする被害が出ているそうだ。
歩きやすい登山道で三角点へ
登山道はジグザグに道がつけてあるので傾斜はきつくない。快調に高度を稼ぐ。ほとんどは林間の道だが、標高200メートル付近まで上ると、東側の眺望が開けた。正面に広島県最南端の有人島・鹿島が見える。急斜面に石垣を積んで築いた段々畑で有名な島だ。いつか行ってみたいと思っているのだが、距離もあり時間もかかるのでなかなかハードルが高い。
山頂手前の分岐を左に向かい、三角点のある山頂に到着した。山道に入ってから約20分。海に囲まれている地形から360度の眺望を期待したが、南西側から北側にかけては樹木に覆われている。陸奥が沈没した南西側の海域も見えない。それでも、周防大島から松山市の津和地島や怒和島、四国山地まで見渡せる景色はすばらしい。
先ほどの分岐を右に行けば旧海軍見張所跡や、三角点はないものの最高地点となる283メートルの山頂に行けるはずなのだが、時間の関係もあり断念して下山した。
《メモ》
「陸奥爆沈」(新潮文庫) 小説家吉村昭(1927-2006)が1970年に発表。謎の爆沈を遂げた戦艦陸奥の資料調査や生存者、関係者からの聞き取りを重ねた作家が、過去に起きた軍艦の火薬庫火災や爆発の事例を調べるうちに真相につながる可能性のある事実に近づいていく異色のドキュメンタリー小説。電子書籍でも読むことができる。
2024.10.20(日)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》
ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラム「バスと電車と足で行くひろしま山日記」