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<選抜高校野球>常葉大菊川の2007年初優勝の立役者、元DeNAの田中健二朗(くふうハヤテ)が語る甲子園で勝つためのヒント

アットエス


3月18日に開幕した第97回選抜高校野球大会に、静岡県の常葉大菊川が出場します。今年の新3年生は、同校(当時は常葉菊川)が日本一に輝いた2007年に生まれた世代。当時の優勝メンバーで、初Vの立役者となったエース田中健二朗さんに話を聞き、試合や高校時代の思い出を振り返ってもらいました。

一問一答

ー2年夏まではどのような立ち位置だったか。
入学してすぐの4月の終わり頃に、上級生に交じって試合で投げさせてもらったが、そこからはけがもあった。2年生になるぐらいの時には腰の分離症をやってしまい、練習もできない状態だった。初めてのベンチ入りは2年夏。背番号は20番だった。その夏は浜松商に初戦敗退。新チームの始動が早く、練習試合をしていく中で少しずつ評価が上がっていった感じだったと思う。

ー東海大会優勝までいくイメージは?
そんなイメージは全くなかったし、1試合1試合必死だった。でもやっていくにつれてチームが成長していく感覚があった。

ーなぜ勝ち上がることができたのか。
いろんな要素がかみ合っていたのだと思う。目の前の1点よりも2点3点取りにいく。バントをしなくても走塁で1点が取れるよね、というイメージ。打球判断や一つ前の塁にいくために、どこを見なければいけないかなどの意識を持たされた。自分は投手だったが、全員が走塁に関しては相当な意識でやっていた。

ー選抜初戦は大会初日の第3試合で、相手は優勝候補の仙台育英だった。
緊張はしていたと思うが、最初にマウンドに上がった時の感覚は覚えていない。この試合に勝てば選抜がほぼ決まるという東海大会準決勝の大垣日大戦が一番緊張した。甲子園で野球をやれているというワクワク、楽しみの方が強かった。

ー相手が佐藤由規投手で意識はあったか。
もちろんあった。彼は下級生の時からエースで投げていて。自分も前年夏の甲子園を見て「すごいな、こんな投手がいるんだ」と思った。正直この試合は負けると思った。

ー結果は8回1失点の好投で勝利。投球を振り返って。
自分がパフォーマンスを発揮したというより、相手が打ちあぐねてくれた感じだった。自分の投球よりも、甲子園で校歌を歌っているという方が印象に残っている。今までに感じたことのないような高揚感だった。

ー2回戦の今治西戦は17奪三振の完封。
17奪三振は過去になかったと思う。この試合に関しては非常に良かった。自分のやりたいことが全部はまった。初めての感覚で、自信にもなった。

ー準々決勝は優勝候補筆頭の大阪桐蔭戦。強力打線に対し対策はあったか。
捕手の石岡(現・監督)とは特に話していなかった。石岡の頭の中にはイメージがあったと思う。自分はそこまで考えて投げるタイプではなかった。

ー中田翔選手には3打数0安打に抑えた。ほぼ内角での勝負だった。
「インコースに全部いってこい」と(当時部長の)佐野心先生に言われていた。外に投げたのは最後の打席ぐらい。でも力入って全く決まらなかった。

ー最後の打席は大きな左飛だった。
ヒヤっとした、なんてものではなかった。「やばい、行くな」と思った。体も大きかったし、彼は1年生から出ていたし、ものが違った。

ー実際に勝負して感じたことは?
スイングがどうというよりも、やはりパワーがすごいから少々詰まっていても飛ばされるという威圧感があった。投げるのが怖かった。最初から感じてしまい、1打席目は四球になった。

ー内角のサインに首振ることはなかったか。
甲子園の試合だけでなく、石岡のサインにほとんど首を振ったことはない。自分で選択した球を投げて良かったことがないから。このボールは投げたくないということもなかった。石岡とは、よく投げながらけんかしていた。要求通りに投げられないときには返球が強かったり、僕も「うるせえ」といった感じでむきになったり。言葉ではなく、その場だけでのやり合いだった。

ー中田選手の最後の打席の前に森下監督から「本塁打でもいいから真っ向勝負」と。
勝負といっていた覚えがある。僕自身も勝負しないと駄目だと思っていた。だれも逃げるという選択肢は持っていなかったと思う。

ー自身の中でも大きな試合だった。
大きかった。ここまで投げて2点しか取られていない。しかも優勝候補も相手にして。「俺できる、やれるんだ」と思った。ただその次の熊本工には打たれた。

ーその準決勝の不調の原因は。
日程が詰まってきて疲れがたまり、しんどかった。あまり体力ある方ではなかったので。

ー大垣日大との決勝は救援登板。
体がかなりきつかった。でも甲子園の決勝でやれることなんてなかなかない。ここまできたら優勝したいという思いしかなかった。

ー甲子園で優勝できた理由は?
理由は分からないが、日替わりでヒーローが出て、それぞれがそれぞれの仕事をして、バントをしないというインパクトもあったと思う。

ー2007年選抜優勝の前までで、プロから注目されることは?
多分見られてもいなかったと思う。(見られるようになったのは)選抜が終わってから。選抜は野球人生での非常に大きなターニングポイント。仮に早い段階で負けていたら今とは違う野球人生になっていたかもしれないし、もっと言えばプロ野球選手にもなれていないかもしれない。それぐらい僕にとって2007年の選抜は人生が変わる分岐点だった。

ー大会を通し、何を学ぶことができたか。
小学校6年生の時に人生の設計を立てた。そこで「甲子園に行って活躍し、プロ野球選手になる」という目標を掲げた。腰椎分離症で3か月間投げられなかったり、良い感じで投げていたのにけがをしてチャンスを逃したり、自分なりに大きな挫折もあったが、自分たちの代になって結果を出せた。

思い続ける、やり続けることは大事なんだと感じた。もちろん技術、体力的な部分も大切。でも、今の時代は根性論が否定されがちだが、続ける根性や必死に前を向いてやっていく忍耐力は絶対に必要だと思う。そういった部分が今につながっている。

ー高校で飛躍の一番の要因は?
2年の冬にど真ん中に投げる練習しかしなかったのが良かった。佐野心さんの指示で。今思えば再現性を養う意図があったのかなと思う。ストライクゾーンに強く投げなさいということ。それからストライクゾーンに多く投げられるようになった。ストライクを取れなかったら勝負にならないから。プロでも真ん中に投げることはあった。

ーバッテリーを組んだ石岡さんが母校の監督。石岡監督の野球を見てどう思うか。
石岡は厳しい。先生が厳しくできない時代だが、野球部だからこそ厳しさは絶対にあった方がいい。今後の人生の中で絶対に生きてくる。野球だけでなく今後の人生に必要なことを教えているのではないかと思う。彼もENEOSという社会人の名門でもまれて、挫折して。いろいろ感じている部分があると思う。石岡なりの教え方がそういった部分なのではないか。

ー選手に向けては甲子園でどのようにプレーしてほしいか。
観衆が何万人も入って強豪校がいて優勝候補がいて、ものすごくプレッシャーのかかる場面が絶対にどこかである。その壁を越えていった先に勝利や優勝がある。一人の力では難しいと思うが、壁を越えて優勝してもらいたい。

ー甲子園で投げる上でのアドバイスを。
投手に限らず、甲子園は風が重要。いろんな所に旗があるが、場所によって風向きが全く違う。風が分かって、「このコースなら長打はないな」などと思って投げられば結構楽になる。強打者が来ても引っ張らせなければ何とか戦えるとか、自分にとって気持ちが楽になる情報はとても大事で、それによって投げる球が変わる。いろんな情報を増やして戦ってもらえれば。

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