戦後のうるく(小禄)に最初に誕生した映画館『小禄劇場』|那覇市高良
戦後復興の時代、現在の沖縄県・ローソン那覇高良二丁目店そばに『小禄劇場』という映画館がありました。戦後の小禄に最初に誕生した映画館です。(写真は1960年ごろの小禄劇場。『大嶺の今昔』(2008年発行)より出典)
始まりは“露天”劇場
戦後復興の中、字大嶺出身の平良雄一氏が「復興と慰安は不離一体」という信念のもと米軍監督官の了解をとりつけ1949年(昭和24)元旦に映画兼芝居小屋として劇場をつくったのがはじまりで、当初は露天の劇場でした。観客は縁台風の長椅子に座っていたといいます。
戦後の沖縄における劇場の始まりの一つともいわれ、沖縄芝居や映画で娯楽の枯渇していた村民を癒しました。
『大嶺の今昔』(2008年発行)によると、当時の小禄村役場(現・小禄南公民館)の斜面を利用してつくられた様子が描かれていることから、当初は現・小禄南公民館の北側に建てられていたと推測されます。
写真は小禄劇場で行われた「小禄村第一回産業共進会」の様子。戦争の影響でまだ大きな建物が少ない時代で、地域の”会場”的な役割も担っていたのでしょう。高良小学校・幼稚園の『創立50周年記念誌』(1996年3月発行)によると、1955年の第10回卒業式と1957年の創立11周年記念学芸会を小禄劇場で行ったという記述があります。
“娯楽の殿堂” として大いに賑わった
1952年(昭和27)に有蓋化した『小禄劇場』を字高良に建設。現在ローソン那覇高良二丁目店がある建物の東側に隣接して建てられました。
本格的な建物で小禄地域全体から多くの住民が訪れ ”娯楽の殿堂” として賑わったそうです。(のちに『小禄国映館』に改名)
『小禄劇場』の隣(現・ローソン那覇高良二丁目店付近)には大きなゆーふるやー(つばき湯)がありました。当時はまだ家に風呂がない家庭も多く、家族で風呂に入り、帰りには映画を観て帰るというのは当時の最大の娯楽だったようです。
1960年代(昭和40代)にかけて、各家庭にテレビが入るようになるまでは映画見物の客で毎夜賑わいをみせていました。
出入口はコンクリート、劇場は三角屋根だった?
『具志字誌』『高良の字誌』を見ると有蓋化された1952年以降の『小禄劇場』の様子が写っています。いずれも三角屋根で ”小禄劇場” と書かれた建物が写っていることから、正面入口はコンクリート造りで劇場部分は三角屋根の建物だったのではないかと想像しています。(建物の全体像がわかる写真や資料が無いため判明できていません。引き続き調査していきます)
現在は住宅街
劇場があったと思われる場所は、現在では住宅街となっています。
記事監修:シネマラボ突貫小僧・當間早志さん
参考文献:『高良の字誌』(2008年発行)、『具志字誌』(2019年発行)、『大嶺の今昔』(2008年発行)
『超ローカル「小禄 -OROKU- うるく」ホームページ』
【小禄劇場】
ローソン那覇高良二丁目付近
(那覇市高良2丁目8-2 付近)
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