生前葬でお披露目する「詩」─萩原 朔美の日々
—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第25回 キジュからの現場報告
知人の何人かが生前葬をやった。まあ、皆んな冗談半分だから、生前葬という名の飲み会みたいなものだ。盛大に騒いで終わる。生前葬でいいのは、滅多に会わなくなった人と話しが出来る事だろう。九條今日子さんの時も盛大で、劇団関係者が揃って集合したから、懐かしいメンバーとの会話は楽しかった。人数は、九條さんの葬儀よりも多く集まったように思える程だった。
私もキジュになったから、九條さんを真似て生前葬でもやるか、と思っている内に思い出した。九條さんは、自分の本当の葬儀に参列した人達に呼びかけるメッセージをちゃんと書いて保存してあったのだ。そこで私も見習って書く事にした。(笑)
「お疲れ様でした」
「楽しく遊んでくれてありがとう」
という拍手喝采で見送ってほしい。
皆んなの励ましに背中を押されながら
私は一人炎のステージに向かいます。
今まで踊った事が無いのに
軽やかに、伸びやかに、
気体になって空の彼方へ旅立ちます。
残った燃え滓は
私が脱ぎ捨てた衣装です。
「あいつ、脱ぎっぱなしで行っちゃったよ」
「急いでたんじゃないの」
そんな話しをしながら
白い壺にキチンと収めて下さい。
蓋をする時、潮騒のような拍手が
みんなの耳に蘇ってきたら嬉しいです。
私は気分よく漂いながら、
「今まで付き合ってくれてありがとう」
って、天空から手を振ります。
必ず振り続けます。
帰り道
あいつよりも激しく
あいつよりも深く
あいつよりも美しく
あいつよりも濃く
あいつよりも長く
生きていくぞ
と心に誓いながら
帰って下さい。
さよなら。
▲「演劇実験室天井桟敷」創立のメンバーの16人。九條今日子さんは前列右端。後列左から2番目が筆者。一人置いて横尾忠則。その隣は寺山修司(1967年)
書いている内に、これはいいわ、よく書けてるわ、などと思えてきた。(笑)
せっかく書いたのだから、読むために生前葬という飲み会がやりたくなってしまった。
第24回 我を唱えず、我を行う
第23回 老いは戯れるもの
第22回 引きこもりの愉しみ
第21回 楽しい会議は老化を防ぐ
第20回 記録はアートになりたがる
第19回 老いが追いかけてくる
第18回 気がつけばおばんさん気分
第17回 新しい朝が来た、希望の朝だ♪
第16回 年齢とは一筋の暗闇の道
第15回 今こそ<肉体の理性>よ!
第14回 背中トントンが懐かしい
第13回 自分の街、がなくなった
第12回 渡り鳥のように、4箇所をぐるぐる
第11回 77年余、最大の激痛に耐えながら
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。