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父子二代で蒐集した茶道具の逸品 ― 静嘉堂@丸の内で特別展「眼福」(レポート)

アイエム[インターネットミュージアム]

東京・丸の内にある静嘉堂文庫美術館。絵画、彫刻、刀剣、陶磁器、漆芸、書跡などさまざまなジャンルの美術品を所蔵していますが、定評があるジャンルのひとつが茶道具。現在では約1400件を所蔵し、質量ともにすぐれたコレクションとして知られています。

将軍家、大名家旧蔵の由緒ある茶入や名碗をはじめ、著名な茶人たちの眼にかなった格別の名品を紹介する展覧会「眼福 ― 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」が、静嘉堂文庫美術館で開催中です。


静嘉堂文庫美術館「眼福 ― 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」会場入口


展覧会の冒頭では岩﨑彌之助、小彌太父子が蒐集した名碗を紹介。茶碗は茶の湯の道具の中で、もっとも親しまれ、重きがおかれる道具といえます。

鉄質黒釉を用いた天目茶碗は、中国由来の唐物茶碗のひとつ。「油滴」は「曜変」に次いで高く格付けされた茶碗で、なかでも本作は油滴の中の稀品とされ、世界的にも著名です。昭和4年に大阪藤田家から岩崎家に入りました。


重要文化財《油滴天目》建窯 南宋時代(12~13世紀)


続いて茶入。茶入は濃茶用の抹茶を入れる陶製の小壺です。象牙の蓋(牙蓋)、高価な中国製の裂地の仕覆(茶入を入れる袋)、映りの良い盆も添えられ、宝物として扱われました。

江戸後期の大名茶人・松平不味は、茶道具の名品を大名物、名物、中興名物に分類。今日まで踏襲されています。

ギャラリー2には静嘉堂が所蔵する大名物、中興名物の茶入が、由緒伝来を示す「次第」(付属品)も含めてずらり。その風景は圧巻です。


静嘉堂文庫美術館「眼福 ― 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」 展示風景(ギャラリー2)


静嘉堂文庫美術館「眼福 ― 大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」 展示風景(ギャラリー2)

静嘉堂の取材レポートでは何度か紹介していますが、静嘉室の茶道具コレクションの第1号とされていることもあり、やはり《唐物茄子茶入 付藻茄子》は外せません。

足利義満が愛蔵し、戦国時代には松永久秀が織田信長に献上。大坂夏の陣で大破しましたが、藤重藤元・藤巖父子が漆繕いで修繕しました。X線写真を見ると、驚くほどバラバラになっていますが、3カ月ほどで修繕したと伝わります。

明治17年に彌之助の所有になりましたが、借金をして購入したため、担保として本家(兄・岩崎彌太郎)の預かりに。昭和20年に、ようやく小彌太のもとに返却されました。


《大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子》南宋~元時代(13~14世紀)


静嘉堂が所蔵している茶道具のなかで、格の高い重要な作品群は、江戸時代・大名家が旧蔵していた茶道具。最初の核といえるのが、明治21年に彌之助が購入した伊達家旧蔵の茶道具です。

《大名物 唐物茄子茶入 利休物相(木葉猿茄子)》は、千利休が所持した茶入。徳川家光から伊達政宗に下賜されました。附属の《堆黒螭龍文菱盆》は、小堀遠州が斡旋した逸品です。


重要美術品《大名物 唐物茄子茶入 利休物相(木葉猿茄子)》南宋~元時代(13~14世紀)


伊達家ゆかりの品で、ユニークな作品が《猿曳棚》です。地袋板絵に猿曳(猿回し)の絵が描かれた棚で、仙台藩の茶道(頭)である清水道閑に渡されたものが、清水家に伝来。とりわけ大切にされたようで、明治期まで伝えられるなかでいくつかの写しがつくられました。

会場では「本歌」(元になった作品)とともに、3つの写しも並びます。


(右手前)《猿曳棚(本歌)》引戸板絵=伝 狩野元信 室町時代(16世紀)


最後は、淀藩主・稲葉家からの伝来品。あまりにも有名な国宝《曜変天目(稲葉天目)》は、昭和9年に稲葉家当主・稲葉正凱からの譲り状とともに岩﨑家に納められました。

茶道具の名品を揃えた岩﨑家ですが、意外なことに茶の湯を本格的に学んだのは岩﨑小彌太の代から。小彌太夫妻は本格的に学びましたが、「名器を私にうべからず」と、曜変天目で茶を服することは無かったと伝わります。


国宝《曜変天目(稲葉天目)》南宋時代(12~13世紀)


まさに「眼福」という展覧会名にふさわしい名品の数々。静嘉堂文庫美術館が展示ギャラリーを丸の内に移転してからは初めての、静嘉堂としても8年ぶりの茶道具展となります。

[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年9月9日 ]

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