前人未踏のコンサート回数4,700回超え!さだまさしの音楽が全く懐メロにならない理由
50年以上トップアーティストとして活動し続けている さだまさし
2025年4月10日はさだまさし73歳の誕生日。
今では、70代で第一線で活躍しているアーティストと聞いてもそれほど驚かないかもしれない。けれど、それが実現できている人たちはすべて、ひとつの時代を象徴した存在であるとともに、今も現役として人々に求められている稀有な存在であることも事実だ。
さだまさしが吉田正美とのデュオ、グレープでレコードデビューしたのは1973年のことだから、すでに50年以上トップアーティストとして活動し続けていることになる。そして、アーティストとしてのさだまさしの受け止められ方は時代によって変化してしているように感じる。
デビュー当時のさだまさしには神経質で内向的な人というイメージがあった。もちろんそれは長髪で細身というルックスからくるイメージでもあったし、デビュー曲の「雪の朝」や大ヒット曲となった「精霊流し」「無縁坂」などの内省的な楽曲から来るイメージでもあった。
さだまさしがステージでギターだけでなくバイオリンを弾いていたことも、そうしたイメージを強める要因のひとつだったかもしれない。さだまさしがクラシックのバイオリニストを目指しながらその夢を果たせず、サイモン&ガーファンクルを知って自分でも歌い始めたことは知られていたが、バイオリンという楽器にある女性的なイメージが、初期のさだまさしへの先入観にもなっていたのてはないだろうか。
前衛的なアヴァンギャルドサウンドの志向が隠れていたグレープ
以前さだまさしに、グレープはマハヴィシュヌ・オーケストラのようなグループにしたかった、と聞いたことがある。マハヴィシュヌ・オーケストラは1970年代初頭にギタリストのジョン・マクラフリンが結成したバンドで、ギター、ドラム、ベース、キーボード、バイオリンという編成。ジャズ、ロックをベースとしたアヴァンギャルドなサウンドが特徴で、バイオリニストのジェリー・グッドマンの活躍も印象的だった。
その話を聞いて僕は、さだまさしはグレープをもっとロック色の強いグループにしようと思っていたが、「精霊流し」などのヒットでフォーク色の強い方向に進んでいくことになったのかな、という想像をしたりもした。なによりも、叙情派フォークと呼ばれたしっとりしたグレープの音楽の背後に、前衛的なアヴァンギャルドサウンドの志向が隠れていたということが、僕にはとても興味深かった。
喧騒の最中に感じる淋しさをクローズアップした「精霊流し」
さだまさしの楽曲には、そこで描かれている世界がけっして一面的なものではなく、その奥に違うエッセンスが潜んでいて、俯瞰で見るとまた違う表情が見えてくるというものが少なくない。だから同じ曲でも何回か聴くうちに違う世界を発見できたりすることもある。そんな奥の深さも魅力のひとつなのではないかと思う。
グレープの最初のヒット曲「精霊流し」もそんな多面性を持つ曲だった。静かでメランコリックな曲の雰囲気から “精霊流し” を “灯篭流し” のような静かな儀式と思った人も多かったはずだ。しかし、実際の長崎の精霊流しは、新盆を迎えた故人のために作ったかなりの大きさがある精霊船を仲間たちが担いで街を練り歩き、海に流すというもので、その間は爆竹や鳴り物が響く極めて勇壮な儀式なのだ。
さだまさしは、その “精霊流し” の喧騒の最中に感じる淋しさをクローズアップするために、あえてこの曲を静かなものにしている。だから、本当の “精霊流し” を知っている人と知らない人とでは、感じ方がかなり違う曲なのだ。僕自身も実際に長崎に行って “精霊流し” を知ってから、この曲の感じ方がかなり変わったことを覚えているし、曲の冒頭に爆竹や鉦の音が入っている意味も素直に感じられるようになった。
「関白宣言」の愛情あふれるメッセージ
ソロ転身後、1979年にリリースされた大ヒット曲「関白宣言」も多面性のある曲だ。歌詞の一部だけを取り上げて、女性蔑視だと騒がれたこともあるけれど、歌詞全体を見れば、少し強気を装ってはいるけれど生涯のパートナーになる人への愛情あふれるメッセージであることがわかる。
さらに、もう少し聴き込んでいくうちに、この歌詞は主人公が実際にパートナーに実際に伝えている言葉ではなく、一生のパートナーを迎えようとする主人公の心の中の声、男としての覚悟を歌っているのではないかとも感じられてくる。そう解釈すると、伝わってくるニュアンスがまた変わってくる曲なのだ。
さだまさしの楽曲には、聴き続けることでイメージが広がったり変わったりするものが多いのは、彼自身の実体験や実感をもとりしながらも、それをストレートに言葉にするのではなく、その曲の本質的なテーマに様々な角度から光を当てて、立体的にイメージを再構築して普遍性をもった物語として伝えられるからなのだろう。彼の歌は一時の流行に流されずに、いつ聞いてもリアルなメッセージが伝わってくる。だから、懐メロにならないのだ。
さだましの曲の深さが理解されてゆくにしたがって、彼自身に対する見方も変化していった。神経質そうな文学青年という最初のイメージから、幅広い音楽性とユーモアをもったストーリーテラー、さらには聴き手の人生を歌で支え続けてくれるシンガーソングライターへ。リスナーの受け止め方も変化していった。
ソロデビュー以来の通算コンサート回数が4,700回を超える
もうひとつ、さだまさしがデビューして50年以上も第一線で走り続けることが出来た大きな要素として、彼が徹底したライブアーティストだというところがあると思う。さだまさしが精力的にライブを行うひとつのきっかけは、映画『長江』(1981年)制作で負ってしまった膨大な借金の返済手段としてライブをしなければならないという事情もあったとは思う。
けれど、ソロデビュー以来の通算コンサート回数が4,700回を超えるというのはもちろん日本のアーティストでは圧倒的な1位だ(ちなみにグループの通算コンサート回数1位は2,900回越えのアルフィー)。こうした積極的なライブ活動を通して、「関白宣言」「防人の詩」といったヒット曲だけでなく「風に立つライオン」「主人公」など、ファンの中で名曲として愛される楽曲も増えていった。
さだまさしが愛され続けている理由
さらに、歌だけでなく、落語家顔負けの話術を駆使したトークも織り交ぜたさだまさしのライブは世代を超えたファンを魅了している。この充実したライブ活動こそが、さだまさしのゆるぎない人気を支える最大のポイントなのだ。
コンサートだけでなく、災害支援のための『風に立つライオン基金』、高校生の社会貢献を支援する『高校生ボランティア・アワード』などの社会活動も積極的に行うなど、さだまさしは、同世代だけでなく、若い世代に対しても見習うべき大人としての背中を見せている。そこもまた、さだまさしが愛され続けている理由なのだと思う。