芸能一家に生まれたお嬢様女優で、1970年代のテレビドラマで清純派ヒロインとして主役の顔となり、数々の倉本聰作品でも印象深い 仁科明子(女優)
プロマイドで綴る わが心の昭和アイドル&スター
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
企画協力・写真提供:マルベル堂
前回の中野良子同様、1970年代に花開いた女優・仁科明子の魅力についてご紹介したいと思う。現在も仁科亜季子として活動中だが、この章では、あくまで仁科明子時代に限定して、思い出すままに語ってみたい。
雑誌「文藝春秋」の「父と娘」というグラビア企画に父と一緒に写っていた写真を見たNHKのプロデューサーの薦めにより、芥川賞受賞作家・庄司薫原作のテレビドラマ「白鳥の歌なんか聞こえない」で72年に女優デビューを果たした仁科明子。父とは歌舞伎俳優の十代目岩井半四郎である。ちなみに姉は女優の岩井友見で、芸能の血筋の一家と言えるだろう。
©マルベル堂
「白鳥の歌なんか聞こえない」は、朝の連続テレビ小説と並び、夜のゴールデンタイムにも見応えのあるドラマを作るという趣旨で、69年4月にスタートした<銀河ドラマ>枠での放送だった。銀河ドラマ第一作は有吉佐和子原作、佐久間良子主演の「一の糸」で、その後も、五木寛之原作、浅丘ルリ子主演の「朱鷺の墓」、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を翻案した岩下志麻主演の「風の中の女」、松本清張原作、十朱幸代、長山藍子、奈良岡朋子、滝沢修出演の「ゼロの焦点」など数々の意欲作が放送された。月曜から金曜まで毎回30分の帯放送で、72年には<銀河テレビ小説>と改題され、岡田茉莉子、宇野重吉、伊丹十三出演「楡家の人々」、石坂洋次郎原作、石坂浩二主演で、松坂慶子が女子高生・江波恵子役をみずみずしく演じた「若い人」、橋田壽賀子脚本、嫁・山本陽子、姑・沢村貞子という配役で社会現象にもなった「となりの芝生」など、質の高いドラマが放送されていた。
「白鳥の歌なんか聞こえない」は、大学受験に疑問を持ち自ら浪人を選んだ主人公・薫くんと、周囲で起きる性、愛、死などをめぐる事件を通して青春期の心理を描いたドラマで、薫を当時ナイーブな魅力で売り出し中の荒谷公之が演じ、仁科明子とのフレッシュな新人コンビの主役が話題になった。
その後の女優・仁科明子の活躍には勢いを感じさせるものがあった。デビュー作に続いて同年に、倉本聰がメインの脚本を手がけたNHKの一年間連続のドラマ「赤ひげ」にも小林桂樹、あおい輝彦、浜木綿子、黒沢年男らと共にレギュラー出演が決まり、そのほかにも単発ドラマ時代のTBS系列の日曜劇場「田園交響楽」と「北の都に秋たけて」の2作に出演し、デビュー年から出演作が目白押しだった。「田園交響楽」はアンドレ・ジイドの名作を、北海道に舞台を移し倉本聰の脚本でドラマ化したもので、仁科明子のドラマ本格的な初主演と言える。木村功、久我美子というベテランを相手に、目の不自由な純粋な少女の細やかな心の襞をみずみずしく表現し、女優・仁科明子の印象を視聴者にしっかりと刻んだ。「北の都に秋たけて」は、戦争中の旧制四高で青春時代を送る二人の若者を描いた作品で、沖雅也、田村高廣、岡田英次らの出演だった。
日曜劇場で言えば、翌73年にも倉本聰脚本、奈良岡朋子と萩原健一主演の「祇園花見小路」に、八千草薫、大滝秀治ら倉本作品の常連の俳優と共に出演し、やはり倉本聰脚本のクリスマスイブの札幌を舞台に、あるカップルが遭遇する騒動を描いた恋愛劇「聖夜」に小倉一郎(現在は俳号の小倉蒼蛙に改名し連続テレビ小説「あんぱん」に出演中)と共演。「田園交響楽」「聖夜」がHBC(北海道放送制作)、「北の都に秋たけて」がABC(朝日放送制作)、「祇園花見小路」がCBC(中部日本放送)と、TBS系列(朝日放送は、75年3月にTBS=JNN系列からANN系列にネットチェンジし、毎日放送がJNN系列になった)の各局の作品で起用されている。
そして仁科明子出演の日曜劇場と言えば、HBC制作倉本聰脚本の「うちのホンカン」シリーズが記憶に残る。北海道のある小さな町の駐在所勤務の警察官「ホンカン」を主人公に、大きな事件や事故が発生するわけではなく、駐在さんとその家族、地元の人々との交流をほのぼのと、そして主演の大滝秀治の個性をいかしたペーソスを織り交ぜて描いた人気シリーズで75年から81年まで全6作が放送された。ホンカンの妻を八千草薫が、娘を仁科明子が演じ、いずれもいい味わいでドラマに花を添えていた。倉本聰の代表作のひとつでもある。
と、こうしてみてみると倉本聰作品に数多く出演している。75年に放送された若尾文子主演、藤田まこと、岸田今日子ら共演のコメディ・タッチのドラマ「あなただけ今晩は」も倉本聰脚本だった。
76年の石原プロモーションと日本テレビ制作の「大都会 闘いの日々」も、倉本聰がメイン脚本家であり、そのほか斎藤憐、永原秀一、大津晧一ら脚本陣が充実していた。仁科明子は、警視庁の刑事である渡哲也の妹役で、明るく人懐っこい性格だが、刑事である兄に対する報復で暴力団に輪姦されたという過去があるという、いままでにない役柄だった。石原裕次郎も新聞社社会部のキャップ役で出演しているほか、宍戸錠、佐藤慶、寺尾聰、篠ひろ子らも出演しており、神田正輝の俳優デビュー作としても記憶されている。
さらに、前夫である松方弘樹と知り合うきっかけとなった74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」のメインの脚本家を手がけたのは倉本聰だった。主演の渡哲也が病気で降板せざるを得なくなり、途中から松方弘樹が引き継ぎ勝海舟を演じるという、異例の主役交代劇があった。ちなみに仁科の父・岩井半四郎も出演している。
仁科明子がファースト・キスを体験したのはドラマの中だったという。「私のファースト・キスはドラマの中だった。十九歳のとき『愛よ、いそげ!』というドラマで、相手は恋人役の篠田三郎さん」と、自著で回顧している。「愛よ、いそげ!」は72年にTBS系列「木下恵介 人間の歌シリーズ」の枠で放送されたドラマである。同枠ではそのほかにも、寺尾聰、香山美子、草笛光子、森本レオ共演で、エディット・ピアフのために作詞した「ミロール」でも知られるフランスのシンガーソングライターであるジョルジュ・ムスタキの主題歌「私の孤独」が印象に残る74年の「バラ色の人生」、長野県・白馬を舞台に高校生が卒業式の後、男子の帽子の白線とセーラー服のスカーフを結んで川に流すという風習を背景に、〝白線流し〟で結ばれた人たちのさまざまな愛の変貌を描いた沖雅也、五十嵐淳子、細川俊之、倍賞美津子ら共演の76年の「早春物語」と、いずれも記憶に鮮やかだ。この時代のドラマを思い出すと、時を経てもしっかりと人々の記憶に残るドラマ作りがなされていたのだなと思える。特に「早春物語」の仁科明子は、けがれがなく、みずみずしく、美しかった。
そのほかにも、73年フジテレビ系列で放送の平岩弓枝原作・脚本でヒロインを演じ、ミヤコ蝶々、益田喜頓、加藤治子、有島一郎、山形勲、河内桃子、寺尾聰、浜畑賢吉ら共演のホームドラマ「あした天気に」、同じくフジテレビ系列で放送の平岩弓枝原作・脚本、若尾文子、山﨑努、山口崇、志村喬、沢村貞子ら共演の74年の「女の気持」、74年に開局15周年を迎えたフジテレビの記念作品で、小津安二郎・野田高梧作品集の連続ドラマ化であるオールスター・キャストの趣の「春ひらく」では、笠智衆、東山千栄子、芦田伸介、久我美子、加東大介、草笛光子、児玉清、長山藍子、あおい輝彦、三浦友和らと共に、松坂慶子、あべ静江、仁科明子の当時勢いのあった人気美人女優3人の出演が大きな話題になった。
次々と記憶がよみがえってきた。76年には主演として小川知子、あおい輝彦、連続テレビ小説「北の家族」のヒロインを演じ後には小説家デビューもした高橋洋子、木村功、久我美子、淡島千景共演によるNHKの連続ドラマ「その人は今…」、日本テレビ系列の長いタイトルシリーズ77年の「華麗なる大泥棒!四丁目の刑事の家の間借人」では、竹脇無我、左とん平、梶芽衣子、山田五十鈴らと共演している。まさにテレビドラマで引っ張りだこの女優だった。74年には、浅田美代子、島田陽子、萩原健一、三浦友和、桃井かおりらと共にエランドール新人賞を受賞している。
映画で記憶に残るのは石坂浩二が金田一耕助を演じ、市川崑監督がメガホンをとった横溝正史シリーズ第2作の『悪魔の手毬唄』だろう。劇場公開初日に友だちと観に行ったことを思い出す。岸惠子と並び、Wヒロインともいえるきらめきをみせていた。若山富三郎、草笛光子、渡辺美佐子、白石加代子、辰巳柳太郎、山岡久乃、三木のり平、中村伸郎ら豪華な出演陣だった。前年の豊田四郎と市川崑共同監督による映画『妻と女の間』(三田佳子、大空眞弓、酒井和歌子、梶芽衣子共演)で、確かな手応えを感じた市川崑監督のオファーだったのだろうか。
90年代以降は、4回もの大病に見舞われたが現在も現役で仁科亜季子として活躍を続けている。現在、出演映画『真夏の果実』が公開中である(5月17日より全国順次ロードショー)。スクリーンには、仁科明子の清純さに加えて、人生の時を重ねた奥行という味わいの芝居をみせてくれる仁科亜季子が輝いていた。
文=渋村 徹
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
マルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F
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