なぜ沖縄尚学は夏の甲子園で初優勝を飾れたのか?「99年春V」との二つの共通点、沖縄球界の“潮流の変化”から見る要因は…
第107回全国高校野球選手権大会で夏の甲子園初優勝を飾った沖縄尚学が8月24日午後、凱旋した。 那覇空港の到着ゲートは大勢の人でごった返しに。満面の笑みを浮かべた眞喜志拓斗主将を先頭に、金メダルを首から下げた優勝メンバーらが姿を現すと、歓声と拍手が沸いた。キャプテンの両手には、海を越え、15年ぶりに沖縄へと渡った深紅の大優勝旗が握りしめられていた。 「沖尚おめでとう!」 「日本一!」 「ありがとうー!」 花道は屋外まで延々と続き、その後に関係者向けの優勝報告会が開かれた沖縄尚学(那覇市国場)の校舎敷地前でも、多くの人がヒーローたちを出迎えた。県内では優勝セールを実施する小売店や飲食店も。“沖尚フィーバー”は当分収まりそうにない。 2010年に興南高校が春夏連覇を達成して以来、甲子園では2014年春・夏の沖縄尚学、2015年夏の興南高校によるベスト8が最高成績だった沖縄勢。今大会においても、沖縄尚学は優勝候補に挙げられるほど前評判が特に高かったわけではない。プロ注目の左腕エース・末吉良丞を擁し、春のセンバツに出場したことを加味しても、中堅あたりの立ち位置を予想した人が多かったのではないだろうか。 にもかかわらず、優勝候補に挙げられていた仙台育英や東洋大姫路を撃破し、夏連覇を狙った京都国際を倒した山梨学院に準決勝で劇的な逆転勝ち。試合を重ねるごとに強さを増していった印象だった。快挙を達成した要因は何だったのか。比嘉公也監督や選手の言葉から探る。
26年前の1回戦と同スコア、比嘉監督「自信が深まる」
「1回戦の金足農業戦を1ー0で勝ち、接戦をものにできたことが、結果的に勝ち上がる要因になったと思います」 沖縄尚学の体育館で行われた優勝報告会。多くの在校生や保護者らが詰め掛け、熱気が漂う中、挨拶でマイクを握った比嘉監督は日本一に輝いた要因に初戦を挙げた。 この試合で強烈なインパクトを残したのは末吉だ。被安打3、14奪三振の圧巻の投球で完封。四死球も無く、ほぼ完璧な内容だった。バックの守りも無失策。打線はチーム全体で4安打と湿り気味だったが、プロ注目の右腕・吉田大輝から七回裏に虎の子の1点をもぎ取った。 報告会後のぶら下がり取材で、比嘉監督に改めて初戦の勝ち方が持つ意義を聞いてみた。答えはこうだ。 「点差が開いた勝ち方よりも、初戦でこういう厳しい戦いをすると、やっぱり次戦以降は楽になるとまでは言わないですけれど、接戦をものにできる自信が深まるという意味で、いい入り方になったと思います」 実は、沖縄尚学が県勢で初めて甲子園の頂点に立った1999年の春のセンバツも、1回戦の比叡山(滋賀県)戦は1ー0での勝利だった。当時、3年生の左腕エースだった比嘉監督が被安打3で完封。ちなみに、七回裏に1点を挙げたことも同じだ。指揮官の胸中には、26年前のいいイメージが残っていたのかもしれない。 左腕エースの系譜を継ぐ末吉は「めちゃくちゃ接戦の試合だったんですけど、ああいう1点差ゲームをしっかり勝つことによって、チームが勢いに乗ったような感じがします」。眞喜志主将も「2回戦、3回戦も厳しい戦いになったんですけど、そこで勝ち切ることができたのも、初戦の接戦を勝利できたことが非常に良かったんじゃないかと思います」と振り返っていた。
26年目は比嘉&照屋…左と右の「二枚看板」も共通点
1999年の春Vとの共通点という意味では、もう一つ大きなポイントがある。投手陣に左と右の「二枚看板」が揃っていたことだ。 今大会は末吉が1回戦と3回戦は完投したが、2回戦と準々決勝、決勝は右のエースに成長を遂げた新垣有絃が先発を務め、いずれも末吉が継投した。準決勝はその逆に、末吉→新垣という投手リレーだった。 一方、5試合で頂点に駆け上がった1999年のセンバツは、1回戦と2回戦、準決勝は比嘉監督が完投。準々決勝は右のエースだった照屋正悟が先発を担い、比嘉監督に継投した。水戸商業(茨城県)と対戦した決勝に至っては、照屋が被安打7の2失点で完投し、7ー2で勝って沖縄球界の新たな歴史を切り開いた。 以下も報告会の挨拶における比嘉監督のコメントである。 「沖縄尚学は、これまでは1枚のピッチャーで行くような戦い方になっていましたが、今回は末吉以外にも、新垣(有絃)が成長してくれたことが優勝につながったと思っています」 大会前から「夏は投手が一人では厳しい。2枚目、3枚目が必要です」と語っていた指揮官。どのチームにも共通して言えることではあるが、自らの実体験が、この教訓を強く心に留める要因になっているのだろう。 監督から名指しで称賛を受けた新垣は、以前は精神面の脆さが顔をのぞかせ、甘い球も散見されていたが、今夏は140㌔台半ばの直球、大きく曲がるスライダーなど多彩な変化球がことごとく絶妙なコースに決まった。走者を出したり、失点をしたりしても崩れることがなく、春までとはまるで別人のようだった。 指揮官は「甲子園というよりかは、地方大会の準決勝の興南戦で、甲子園を見据えて先発をさせたところが彼のターニングポイントじゃないかと思っています」と分析する。3ー1で勝利した興南戦、新垣は五回を投げて被安打2の1失点という粘投を見せた。 一方、当の本人は自信を付けたタイミングをこう振り返る。「興南戦もありますが、自分としては(2回戦)の鳴門戦で自信が付いたと思っています」。この試合も先発で五回を投げ、被安打4の無失点という好投だった。夏の前から「軸足に体重を乗せることや、リリースまでにどう効率良く力を出していけるかを意識していました」と鍛錬を積み、そこに結果が着いて来たことで、大会中により自信が深まっていったのだろう。 7回2/3を投げて被安打6の1失点という内容だった決勝は、終盤で右足が攣りそうになったというが、内容的には26年前の照屋のように完投してもおかしくないような快投ぶりだった。
エナジックなど新鋭校も台頭「群雄割拠」でレベル向上
今春のセンバツでは、沖縄尚学とエナジックスポーツが九州地区から選出された。沖縄から2校同時出場を果たすのは11年ぶり3度目のことだった。県内では近年、強豪の一角である興南に加え、私立の新鋭校であるエナジックやウェルネス沖縄も存在感を強める。宜野座やコザ、宮古など公立高校も奮闘しており、群雄割拠の状態だ。 甲子園で勝負強いバッティングが目立った宜野座恵夢は、県内のレベル向上が自分たちの優勝の一因になったと見る。 「全国に行く前に、地区大会のレベルが非常に高いので、そのレベルを勝ち抜いたからこそ、自分たちのいい結果につながったと思います。地区のレベルが高いのは非常にいいことだと思っています」 もともと野球熱の高い沖縄では、小中学校の年代に熱心な指導者が多い。8月22日に決勝が行われた全国中学校体育大会で宜野座中学校が準優勝を飾ったように、沖縄のチームが全国大会で上位に食い込むこともしばしば。今回の沖縄尚学のメンバーもほとんどが地元出身の選手であり、地域的なレベルの高さを証明する一つの要因になったはずだ。 一方で、有望な選手を継続して輩出しているため、県外の強豪校から誘いを受けて高校進学と同時に沖縄を出る選手も以前に比べると増えた印象だ。もちろん進路選択は個人の自由であり、それ自体が否定されるようなものではないが、沖縄の高校からすると、強さを維持する上での課題の一つになっている。 ただ、前述したエナジックとウェルネス沖縄は、まだ創部から10年未満にも関わらず、既にプロ野球ドラフト会議の支配下指名選手を生み出している。エナジックは選手寮や練習環境の整備に注力したことも、創部3年で初めて甲子園の土を踏むことができた要因だろう。地元の有望選手の受け皿が増えているのは間違いない。 眞喜志主将も「以前は沖縄から全国のチームに行く中学生も多かったのですが、今は上手い選手も沖縄に残ってくれて、強くあり続けることができてるんじゃないかと思います」と、潮流が変化している実感を語る。今までもなかったわけではないが、沖縄尚学が夏に全国制覇を達成したことで、県外の有望選手が沖縄の学校に入学する事例も今後増えるかもしれない。 競争環境が激化する中、沖縄尚学は特に他校からのマークが厳しくなるはずだ。それでも、2年生の新垣は「マークされても、自分の良さを生かして、一段と成長していけたらなと思います」と話し、進化の糧にするつもりだ。 各校が切磋琢磨しながら、沖縄全体のレベル向上がさらに進んでいくことに期待したい。