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「ファッションとアートの違いを知ったからこそ、 今は自分の素をさらけ出して絵に込めることができる」アーティスト・奥田雄太

Dig-it[ディグ・イット]

ビジュアルで魅了する各界のクリエイターに迫るTHE VISUAL PERFORMER。今回は花をモチーフに絵画作品を制作する、アーティストの奥田雄太さんが登場。ファッションデザイナーから画家へと転身し、「感謝」の思いを込めた花を描き続ける奥田さん。止まることなく描き続ける日々の先に見つめるものを、最新の個展会場で語ってくれた。

アーティスト・奥田雄太|1987年愛知県生まれ。日本とイギリスにてファッションデザインを学んだのち、ファッションブランドTAKEO KIKUCHIでデザイナーとして活動。2016年にアーティストに転向。以降、国内での個展やグループ展にて精力的に活動を続ける。初期には計算した線のみで構成された細密画を発表。近年は「偶然性」に着目し、流れるような色彩と線描を組み合わせた“花”の作品を中心に発表を続けている

アートは、自分を信じ何もない砂漠を水がある所まで歩くしかない世界。途中で引き返せば全て無駄になる

28歳でファッションデザイナーから画家へと転身し、年間40回近い展示を重ねてきた奥田雄太さん。代表作の「花」のシリーズは、種類を特定できない黒い茎の花を描くことで、誰もが自分の記憶や感情を重ねられるようにと考えられている。コロナ禍をきっかけに描き始めた花には感謝の思いが込められ、数を描くことで進化を続けてきた。そんな彼はいま、アートを「砂漠」に、社会を「ジャングル」にたとえ、もともと自分は後者から前者へとあえて飛び込んだ“ジャングルの民”だったと語る。資源も情報もない砂漠を歩くには、自分を信じる強さが必要だと知っているからこそ、戻らずに進み続ける覚悟がある。嫉妬から始まった絵画への道のりは、今では「裸の自分を肯定してもらう喜び」へと変わった。多作大作に挑みながら、自身の喜びと観る人の心を結ぶために花を描き続ける奥田さんに、制作の背景と未来への思いを聞いた。

★奥田さんは、ペイントした上から細密画を描くように線を走らせる。ペン先に神経を集中し画面に線を繋いでいくことで、絵の具の鮮やかさが一層浮かび上がる

──奥田さんはもともとファッションデザイナーとして活動されていた経歴もよく知られています。なぜその道を選んだのでしょうか。

高校の頃から本当は絵を描きたいと思っていたんです。でも美大のための予備校に通いはじめてから自分の実力を知って浪人を覚悟して。それは絶対嫌だったので、同じ「表現する道」としてファッションを選びました。描くことへの憧れはずっと心の奥にあったと思います。ファッションの専門学校に進み、イギリスに留学しました。修了後に就職して、TAKEO KIKUCHIのデザイナーを任せてもらいました。

──順調なキャリアのように思いますが、アーティストに転向したきっかけは?

きっかけは嫉妬でした。デザイナーとして働いていた5年目、知り合いの展示に行ったときに、一枚の絵が買われていく瞬間を見たんです。その光景に猛烈に嫉妬しました。テレビで芸能人が自分の服を着てくれていたり、街でも見かけることがよくありました。でも「一枚の絵がそのまま人の手に渡る」ことが圧倒的に羨ましかったんですね。その日家に帰ってすぐ奥さんに「画家になりたい」と伝えたら、「いつ言うのかと思ってたよ。私が一年くらいなら支えるから、やるなら本気でやって」と後押しされました。だからもう一度、子どもの頃から憧れていた描く世界に進もうと決めました。

──ファッションの経験は今の制作にどうつながっていますか。

ファッションの現場では「奥田雄太を消す」ことが求められました。ブランドや会社に合わせて服を作るから、自分の色を出さないのが正解。でもその経験のおかげで、アートでは真逆のことを意識できるんです。つまり「自分を出す」こと。ファッションとアートの違いを身をもって知ったからこそ、今は自分の素をさらけ出して絵に込めることができるんです。

Children Watching You|コロナ禍に生まれたシリーズの1枚。向こうからじっと見つめるのは、子どもと女性をミックスしたという人物。大人のモラルのあり方が問われる情勢のなかで、自身の子どもに見せるべき姿勢を表現したという

──初期は細密画を描かれていました。近年の「花」のシリーズはどのように始まったのですか。

コロナ禍で「当たり前が当たり前じゃなくなった」ときに出てきたテーマが「感謝」でした。ありがとうを伝える象徴として花を描こうと思ったんです。僕の花は茎を黒くして種類を特定できないようにしています。バラとかチューリップと限定してしまうと意味が狭まるけど、黒い茎なら観る人がそれぞれ思い浮かべる花に見える。誰でも想像を重ねられるからこそ、感謝の気持ちを託せるんです。

──アーティストになって最初の頃は、どんなふうに活動を広げたのですか。

右も左もわからなかったので、とにかく動きました。デザイナー時代の貯金が少しあったので、出展料を払う公募展に参加したり、「デザインフェスタ」に出たり、カフェや行きつけの美容室、病院にまでお願いして展示して。最初の一年で35回、その後も平均して年40回くらい展示を続けています。普通は年に2〜3回、そのうち一回個展をやれば十分という世界なので、かなり異例ですよね。でも、いい絵を描いていても出会えなければ存在しないのと同じ。だからとにかく数を重ねて、人と出会うチャンスを増やしました。これは「一次流通と二次流通」に対する考え方が背景にあります。作品は、最初に作家から直接買われる一次流通と、オークションなどで転売される二次流通がある。短期的には作品のレアリティが重視されますが、僕は長い目で見れば一次流通での認知度を積み上げることの方が大事だと考えました。そのためには数を描き、多くの人の目に触れることが必要なんです。

──そうした考え方への転機はなんだったのでしょうか。

大きかったのは、世界的なアートフェア「アートバーゼル」を初めて訪れたことです。世界中の作家の作品が集まっていて、どれも多作で、しかも大作だった。華やかな舞台で戦っている人たちは、緻密な表現を大きなスケールで何枚も描いている。そこで「自分もこういう舞台に立ちたい」と思いました。だからこそ数を描くことが、自分のキャパシティを広げることにつながると確信したんです。そうこうしているうち、コロナで展示が10本ほどキャンセルになり、初めて「何もない月」ができた。そのときにアシスタントを募集し、制作の中に人を入れることを試しました。どこまでを任せ、どこからを自分でやるか、線引きを探る試行錯誤もありました。デビューしてからこの10年は仮説と検証の繰り返しでしたね。

Brain Palette|配色を試すため絵具のチューブに紙を巻いて色を隠したり、直感で選んだ色をキャンバス上に作って描く「ブレインパレット」シリーズ。花を描く前のストロークを実験する場にもなる

──そういった考え方はファッションや商業的な世界にいたからというのが大きいのですか?

これは既存のアーティスト像を反面教師にしているところが強いんです。というのは、アーティストはスタートアップ、ベンチャー企業に近いと思っているんです。僕はアートの世界を「砂漠」にたとえています。社会で新しいビジネスを始める人は「ジャングル」を進む民。情報も資源もあふれていて、どう動くかが大事になります。でもアートは違う。何もない砂漠を、自分を信じて、水があるところまで信じて歩くしかない世界です。途中で引き返したらすべてが無駄になる。美大から進んだ人たちは、最初から砂漠に立っている“砂漠の民”。僕は社会を経験してから来た“ジャングルの民”です。ジャングルの豊かさを知った上で、あえて砂漠に入った。だから簡単には戻らないし、ここで生き抜く覚悟を持っています。砂漠は根性と信じ切る強さ、ジャングルは情報戦。どちらが正しいかではなく、方法がまったく違うんです。僕は自分が望んで砂漠に立ったからこそ、この生き方を大切にしています。砂漠を歩くことは孤独ですが、その分だけ一歩ごとに確かな足跡が残り、自分の存在を証明してくれるのです。

──ジャングルに戻ろうと思ったことはありませんか?

ありません。結局僕は幸せになるために絵を描いているからです。デザインの世界では「求められるものを作って喜ばれる」ことが喜びでしたが、僕の場合は違いました。おしゃれだねって言われても、おしゃれしてるんだから当たり前と思う。でも、自分が裸に近い状態で描いた絵を見せて「いいね」と言われると、より本質を肯定された感覚があって、ゾクゾクする。だから長く続けられるし、自分の喜びにつながるんです。ファッションを経て、やっぱり僕の居場所はアートだと確信しました。砂漠に立った以上、資源の豊かさを求めてジャングルに戻ることはありません。ここでこそ、自分のスタンスを貫いて生きられると思っています。

個展「Blooming with Gratitude」|2025年8〜9月、PARCO MUSEUM TOKYO(渋谷PARCO 4F)にて開催された最新個展。展覧会タイトルには、感謝の気持ちを日々大切にしたいという想いが込められている。過去最大規模となる400点以上の作品が展示され、代表的作品ともいえる「花」をモチーフにした「一輪」シリーズをはじめ、新作を多数発表。多くの来場者を魅了した。会場の一角には、奥田氏が実際に使用している作業台や制作道具によるスタジオが再現され、作家が作品に込めた熱量を感じられる場ともなった

──芯が強いですね。他のアーティストと比べて落ち込むことはありませんか?

ファッション時代にめちゃくちゃその経験をしたんです。イギリスに留学していた頃なんて、周りは才能もお金も語学力も全部そろった人ばかりで、何度も打ちのめされました。でもアートでは、他人と比べても意味がないと気づいたんです。僕の絵は僕にしか描けないから。嫉妬心がゼロになるわけではないけど、「いいな」と思った作品は買って手元に置くようにしています。それで満たされるし、自分の制作の刺激にもなる。

──今後、どんな活動を目指しているか教えてください。

一生絵を描き続けたいです。そのために社会との関わりも大事にしたい。アート業界は若手が食べていけない状況がまだまだ多い。でも1枚の絵を買う体験が広がれば、新しいコレクターも生まれるし、マーケットも育つ。僕の幸せのために周りも幸せになってほしいし、感謝を込めて花を描き続けたい。作品を通じて「花を受け取るように絵を受け取る」時間を増やせたら、社会の中でアートの役割はもっと大きくなるはずです。羨望から始まった物語は、今では「誰かの心に花を咲かせたい」という願いに変わっています。

Abstract Single Flower|365日それぞれの感謝のかたちを表現した、365輪の花。「感謝のかたちは人それぞれであり、たとえ1日ひとつでも何かに感謝することで、日々の景色は少しずつ鮮やかに変わっていく。作品を通じて、その彩りを少しでも感じてほしい」

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