べらぼう蔦重に学ぶ「人生を面白くする」仕事術。ビジネスパーソンが使える4つの力
‟江戸のメディア王”と呼ばれた蔦屋重三郎こと‟蔦重”(横浜流星)の生涯を描く大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK総合テレビ 毎週日曜夜8時ほか)。吉原で生まれ、義兄が経営する茶屋を切り盛りしつつ貸本屋を営んでいたところから版元になり、後世に語り継がれるところまでのぼりつめた彼の生きざまは、多くの視聴者の心を掴んでいます。
型破りでありながら、周りの人を巻き込んでいった蔦重の仕事術。時代や環境や仕事が違っても、現代を生きるビジネスパーソンにも取り入れられるヒントとなる部分があります。本記事では、そんな蔦重の原動力や仕事術について紐解いていきます。
※この記事には一部ドラマのあらすじや内容が含まれます。ご注意ください。
文・ぐみ(エンタメライター)
人との出会いや別れを原動力に、前に進んでいく
蔦重の強さは、人との関わりを自身の力に変えていった点にあります。物語では、蔦重がさまざまな人との出会いと別れをくり返す様子が描かれます。そのたびに、蔦重は彼らの想いや夢を背負い、本作りに向き合っていきます。図々しさや泥臭さもありながら、受けた恩は忘れない。そんな蔦重だからこそ、視聴者の心を引きつけるのです。
例えば、蔦重にとって「本」が特別な存在になったきっかけは、幼馴染である花魁・瀬川(小芝風花)との思い出です。親に捨てられ、励まし合いながら吉原で生き抜いてきた2人。蔦重は、子供時代に初めてもらったお年玉で買った『塩売文太物語(しおうりぶんたものがたり)」という本を瀬川にプレゼントします。瀬川はその本をずっと大切に持っており、つらい時に読んでは励みにしていました。
また、2人が共通して持っていたのは「育ててもらった吉原に恩返しがしたい」という思い。
ひと時だけ2人の思いが通じ合ったあと、瀬川はこの本を置いて蔦重のもとを去ってしまいますが、蔦重は「面白い本を作って人を笑顔にしたい」という思いを強く抱き続けます。
蔦重を奮起させた田沼意次の言葉
蔦重が本作りを始めるきっかけのひとつとなったのが、老中・田沼意次(渡辺謙)とのやり取りでした。吉原の人々が困窮していることを直訴しに行った蔦重に、田沼は「お前は何かしているのか?客を呼ぶ工夫を」と言います。田沼の言葉にはっとした蔦重は深く感謝し、吉原に客を呼ぶためのいろいろな手段を考えます。「吉原細見」のリニューアルを手がけ、初めてのオリジナル本「一目千本」を作り、本作りにのめり込んでいきました。
平賀源内と一緒に見た夢
「吉原細見」の序文執筆を頼んだことで親しくなり、「先生」と慕った平賀源内(安田顕)も、蔦重にとって大きな存在でした。「おめえさんはさ、これから版元として書をもって世を耕し、この日の本をもっともっと豊かな国にすんだよ」という言葉は、蔦重の本作りのひとつの指針となります。源内は志半ばで亡くなりますが、蔦重の言動に源内を思わせる部分が出てきて、胸が熱くなります。
「別れがきてもそこで終わりではない」と感じさせてくれる蔦重の生き方に、観ているこちらも励まされます。親に捨てられ、血のつながらない人たちとの関わりの中で生きながらえてきた蔦重だからこそ、人とのつながりを大切にし、人に興味を持つ気持ちが強かったのかもしれません。また、「吉原の人たちの暮らしをよくしたい」という想いも、彼の大きな原動力でした。
蔦重の仕事術に見る4つの「○○力」
人との関わりを力に変えていった蔦重ですが、持ち前の能力や仕事術にも優れた点がありました。ここではそんな能力について掘り下げていきます。
1. 斬新なことを思いつく「アイデア力」
蔦重の注目すべき能力は、ほかの人が思いつかなかったようなことを次々と思いつくところ。本人も作中で言っていたように、「そうしないと生きてこられなかった」という環境によるものもあるでしょう。
蔦重を養子にした駿河屋(高橋克実)も、彼の商売への姿勢と才覚には一目置いていました。本作りを始めてからも借金がある状態で、次のヒット作を作らなければ首がまわらないという状況もありました。しかし、彼の“面白がる力”の強さと面白いことをキャッチする能力は、生まれ持ったものでしょう。何気ない人の言葉からひらめき、目をキラキラさせながらアイデアを語る姿を見ていると、ワクワクしてきます。蔦重のように、あらゆるものを面白がる視点を持てば、日々の仕事や人生も違って見えてくるかもしれません。
2. すぐ形にする「実行力」
蔦重は、アイデアを思いつくだけではなく、それを形にする実行力も持ち合わせています。思いついた瞬間から行動を始めるところは見習いたいものです。はじめからすんなりうまくはいかないのですが、すぐに行動を始めるからこそ、試行錯誤すべきポイントに気づくのも早いのです。自分だけでアイデアをあたためず、人に話してヒントを得る点も参考になります。
3. 才能を見出し、絶妙に配置する「プロデュース力」
いくら蔦重がアイデアマンだとしても、本作りは一人では成立しません。彼は単に考えつくことが面白いだけでなく、作家や絵師など、出会った人たちの能力やどんなものを書かせ(描かせ)たら活きるかという見極めが絶妙です。はじめは乗り気でなかった人が、蔦重の「あんたにこんなことをしてほしい」「一緒にやらないか?」という言葉に気持ちがうずいている場面もしばしばありました。クリエイター心をくすぐる能力に長けています。自分の個性をわかったうえで作る話を持ちかけられたら、作り手としてはうれしいですよね。
4. トライアンドエラーを繰り返す「あきらめない力」
「あきらめず続ける」力は、蔦重の一番すごい点かもしれません。蔦重の本作りは、すんなりいくことのほうが少なかったです。反対されたり、騙されたり、うまくいかなかったり……。加えて、先ほども触れたように大切な人との別れもたくさん経験しています。
しかし、どんなときも、落ち込みこそすれど、いじけたり諦めたりすることなく「次はどうしたらいいか?」を考え続けます。自分を疎ましく思っている人の言葉を逆手にとったり、めげずにアプローチしたりするメンタルの強さを持ち、本が売れなかったときは原因をしっかり分析します。
この「へこたれなさ」が、何よりの能力かもしれません。どんなに能力があっても、やめてしまったらそこで終わり。なかなか蔦重のように前向きにできないかもしれませんが、ある意味最も誰もが真似できる部分なのではないかと思います。
ライバルの心を動かしたエピソード
彼が行動し続けた結果、敵対していた人の心を動かしたことも何度もありました。
印象的なのが、片岡愛之助演じる鱗形屋とのエピソードでしょう。鱗形屋は蔦重に本作りを教えてくれた恩人でしたが、蔦重を騙して利用していました。また、火事による苦境から偽本作りに手を出してしまい、不正が露見した際蔦重の密告を疑います。結果的に後釜に入り、それを望む気持ちもゼロではなかったことから蔦重は弁解せず、2人の関係は決裂しました。
時が経ち、廃業することになった鱗形屋は蔦重が自分の店の本を大量に仕入れていた事実を知り、わだかまりが消えます。廃業で鶴屋に預けた作家の恋川春町(岡山天音)が、そこでは輝けないと悟った彼は、蔦重に「鶴屋から春町先生をかっさらってくんねえか?」と手紙で持ちかけます。春町をやる気にさせるため、手紙を通して本のアイデアを出し合う2人の姿から、本と本作りへの愛が伝わってきました。
一緒に本を作り上げた後、鱗形屋は蔦重に自作の赤本『塩売文太物語』の版木を託します。それは蔦重が初めてのお年玉で買い、瀬川にあげた思い出の本でした。2人の涙に胸を打たれた視聴者の方も多いことでしょう。
また、地本問屋(江戸で始まった娯楽書や浮世絵などを制作・販売する書店)の中で最も手強かった鶴屋(風間俊介)も、蔦重のことを認めます。浅間山噴火で苦労する中、蔦重が考案した「賞金付きゲーム」で人々は楽しく火山灰を片付けました。この一件で鶴屋は蔦重を認め、結婚式に祝いののれんを持ってきてくれます。
蔦重の言葉に思わず笑った鶴屋が「私はいつだってにこやかです」と言う場面は微笑ましく、蔦重はすごいなとあらためて思いました。「面白くねえことこそ面白くしねえと」という蔦重の台詞は、彼の人生そのものを物語っているようにも感じます。
まとめ
人との関わりを原動力にし、さまざまな能力やへこたれない姿勢をもって“面白い本作り”を実現してきた蔦重。特に、仕事に対する姿勢や人との関わり方、世の中に対する心の持ちようは、現代を生きる私たちにも取り入れられる部分があるのではないでしょうか。見方ひとつで、仕事や人生をもっと面白くできるかもしれません。
はじめは思いつきとなりゆきで本作りを始めた蔦重でしたが、米騒動の飢饉の際に「俺たちにできるのは、天に向かって言霊を投げつけることだけだろ」、意知(宮沢氷魚)が殺されたことへどう復讐するか問われて「俺は、筆より重いもんは持ちつけねぇんで」と言い、いずれもその困難への意志を本を作ることで示しました。蔦重の本屋としての矜持を感じさせる言葉に、視聴者として心を打たれます。現代に生きる自分たちは何ができるのか考えさせられ、何かやってみたいという気持ちになります。