【劇団静火の第16回公演「遭難、」】 納得感の「よるべなさ」。それを実感した時の絶望
静岡新聞論説委員がお届けするアート&カルチャーに関するコラム。今回は10月19日に静岡市葵区のMIRAIEリアンコミュニティホール七間町で行われた劇団静火の第16回公演「遭難、」から。20日午後1時からの上演もある。
過去の経験は現在の行動の基本原理となる。良かったこと、悪かったこと。成功したこと、失敗したこと。以前うまくいったから、こうしよう。あのときダメだったから、今回はこうしよう。
過去の出来事やその時の感情は、自分の「今」を解き明かすツールにもなる。ああいうことがあったから、今こういうことをするんだ。この納得感は意外に大事。そうでないと、場合によっては何をしていいか分からなくなる。
ただ、納得感の根拠を形作る「過去の経験」の目撃者は、自分一人だ。それは客観的事実ではないかもしれない。いや、事実ではないことの方が多いんじゃないか。
劇団静火の第16回公演「遭難、」は、この納得感の「よるべなさ」と、それを実感した時の絶望が巧みに描かれていた。登場人物の1人が、最終幕で叫ぶ「私から原因、取らないで」は、まさにそのことを言っていると感じた。
本谷有希子さんの原作、櫻木アヤネさんの演出の本作品は、すがすがしいほどの「胸クソ演劇」。登場人物の5人中4人は聖職者たる教師だが、全員「たたけばホコリが出る」身である。ある生徒の保護者「仁科」の無軌道な行動も、実は何かを覆い隠すための方便に過ぎない。
特に前半の3幕で「里見」の悪党ぶりがどんどん明らかになっていくくだりが、とてもスリリング。演じ手の鳥居初江さんの悪魔的な瞳の輝きが、とてもいい。(は)