片岡愛之助、芸術選奨大賞に大河ドラマと、話題が絶えない1年の締め括りは『吉例顔見世』で「歌舞伎役者として生まれた特別な公演」
京都に冬の訪れを告げる師走の風物詩、『京の年中行事 當る巳歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎』が今年も京都・南座で上演、12月1日(日)より幕を開ける。昼の部は、新作歌舞伎「蝶々夫人」、世話物の「三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)」大川端庚申塚の場、舞踊劇の「大津絵道成寺(おおつえどうじょうじ)」、そして森鷗外原作の「ぢいさんばあさん」を上演。夜の部は赤穂浪士の事件を題材にした「元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)」より仙石屋敷、初代中村萬壽の京都初御目見得でもある舞踊劇「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」、片岡仁左衛門が監修を勤める河竹黙阿弥作の「曽我綉俠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」、日本舞踊の演目でもある「越後獅子(えちごじし)」を上演する。そのうち、昼の部の「大津絵道成寺」と夜の部の「色彩間苅豆」に出演する片岡愛之助に、『吉例顔見世興行』への思いや、舞台『西遊記』から始まり、2月には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するなど、話題も多かった2024年を振り返ってもらった。
――まずは演目の見どころを教えてください。昼の部は「大津絵道成寺」ですが、「愛之助五変化」ということで、藤娘、鷹匠、座頭、船頭、鬼の五役を演じられますね。
「大津絵道成寺」という題名からお分かりと思いますが、道成寺物の一つで、滋賀県の大津絵のキャラクターをモチーフにしています。この舞踊劇は藤娘から始まり、鷹匠、座頭、船頭、鬼と変わっていきます。役がぽんぽん変わったり、役と役を行ったり来たりする場面もありますが、どちらかと言うと踊り分けといいますか、パッと変身する早替りはそんなにありません。でも、「あれ? いつ変わったの?」という場面もあるので、見応えがあると思います。弁慶(中村鷹之資)が出てきたり、あとは犬(中村虎之介)も出てきたりします。「歌舞伎で犬ってどういうことなんだろう」と思われるでしょうが、それもご期待ください。そして矢の根の五郎(坂東巳之助)。歌舞伎のイメージ通りの隈取をした五郎が鏑矢(かぶらや)でもって鬼を押し戻すという、歌舞伎をご覧になったことのない方でも「歌舞伎を観たなー!」という満足感を得てもらえる、楽しめる演目です。
――そして夜の部が「色彩間苅豆」で、初代中村萬壽さんの京都初御目見得ですね。
萬壽兄さんが名前を変えられて初めて京都に来られます。萬壽兄さんは非常に美しい方で、うちの叔父(片岡仁左衛門)の相手役もずっとなさっています。大事な御目見得の舞台の相手役が僕でいいのでしょうかという感じですが、こんなにありがたいことはないですね。
――『顔見世興行』は愛之助さんにとってどういった位置づけにありますか。
やはり特別なものですね。と申しますのは、僕は片岡愛之助になる前の、千代丸という名前を披露させていただいたのが昭和56(1981)年12月の『顔見世』で、9歳でした。だから、僕が歌舞伎俳優として生まれたのは京都なんです。それから10年経って19歳で大阪の中座という劇場で愛之助を襲名させていただきました。僕という歌舞伎俳優は京都で生まれたので、『顔見世』は僕の中では特別な公演です。
――9歳の『顔見世』のことは覚えていらっしゃいますか?
覚えてますよ。「勧進帳」の太刀持でした。子供ってすごいですよね。2、3日見ただけで、全員のセリフを覚えて、当時は一人で「勧進帳」のセリフを全部言えましたから。今思えばすごいことですし、その能力が今も残っていればと思います(笑)。ありがたいことに、今になって、たとえば「勧進帳」の富樫をするときでも台本は必要ありません。全部覚えているから、どの役をやらせていただいても大丈夫です。
――公演は12月1日(日)から始まりますが、この時期に京都に来られて、師走だなと感じるような象徴的なことはりますか?
四条通りでクリスマスソングが聞こえてきたら、「ああ、今年も終わりだなあ」と思いますね。たくさんの人が歩いているので、この人々はどこに行くんだろうと、南座の上からいつも見ています(笑)。
――なんと、特等席ですね。
そうなんですよ。南座の上に小さなお社があって、そこから外の景色を見られるので、白塗りした顔で時々涼んでいます。四条通を歩く人の中で時々南座を見上げる方がいて、「ああ!」というリアクションされています。誰か分かんないんだろうなと思いながら、その方に手を振ったりしています(笑)。なので、12月、師走を感じるのは南座の屋上ですね。昔は『顔見世』の時期には雪が降っていたので、最近こそ少なくなりましたが、雪が降ると「ああ、もう1年も終わりで、京都の『顔見世』、12月だな、師走だな」と感じていました。それから、芸妓さん、舞妓さんたちの総見ですね。桟敷にずらーっと並ぶ姿というのは、東京の劇場ではないことですからね。総見があるのは南座の顔見世だけなので、ぜひ南座だけの華やかさを体験しに足を運んでほしいです。
――2024年の振り返りもお願いしたいのですが、今年は、令和5年度(第74回)の『芸術選奨文部科学大臣賞』(演劇部門)を受賞されました。受賞理由は、2023年に「夏祭浪花鑑」団七九郎兵衛、「廓文章」の伊左衛門、「三人吉三巴白浪」のお坊吉三、「弁天娘女男白浪」の弁天小僧菊之助などの演技と、新作歌舞伎を牽引する存在として評価されたとのことでした。
こんな大きな賞をいただけるなんて夢にも思っていなかったですし、受賞理由の一つが「夏祭浪花鑑」の団七九郎兵衛であったことも上方の役者としてとても嬉しく、ありがたかったです。受賞が発表された後に歌舞伎座で「夏祭浪花鑑」をやらせてもらえたのですが、それも思いもよらなかったので、本当にありがたい尽くしでした。
――『四月大歌舞伎』ですね。
一寸徳兵衛は前と同じく尾上菊之助さんでしたが、特に大きく変わったのは釣船三婦。いつも中村鴈治郎兄さんがお勤めになっていましたが、その時は中村歌六兄さんでした。周りの役者さんも変わったので、すごく新鮮な気分でやらせていただきました。この時は団七九郎兵衛と徳兵衛女房お辰の二役早替りをやらせていただきまして、これは2回目でしたが、お辰と団七が変わる時間が短くてなかなか大変で、いい勉強になりました。
――愛之助さん主演の新作歌舞伎『流白浪燦星(ルパン三世)』も好評でした。古典と新作、それぞれの魅力はどういうところに感じられますか?
まず、古典はやるたびに面白いですね。来年の2月に大阪松竹座での『立春歌舞伎特別公演』で「義経千本桜」をやるのですが、普段やらない場面をやります。大体は「鳥居前」をやって「道行初音旅」、「河連法眼館の場(四の切)」をやっていますが、「鳥居前」をあえて外して、そのもっと前、鼓のいわれのある「大内の場」から始めます。そういう皆さんがご覧になったことのない場面をやって、「四の切」のあとも「奥庭」までやります。誰もやっていないものを上演するのは大変といえば大変ですが、上方でやる人がいないことをやることが、(歌舞伎界の)外の世界から松嶋屋へ入れていただいた意義であり、恩返しでもあるのかなと思うので、あえてそういうものに挑戦しています。
――新作歌舞伎はいかがですか?
新作はもう、なくてはならないものです。新作があることによって歌舞伎の幅が広がっていくわけで。新作は1回上演して終わることが多いですが、古典の人気のある演目はずっとかかり、「忠臣蔵」も七段目ばかりかかる。それは人気があるから。再演される作品というのは、よくできていて、人々が喜んでくれる、納得させられるものがあるからなんですよね。だから、新作も再演ができるものを作っていくことを心がけています。歌舞伎は元々、現代劇なわけですから、それを忘れちゃいけないなと思います。かぶく心と、今やる意味と意義があるものを作ることが大事だと思うんですよね。やはり人の心は普遍であるわけですから。いくら文化が新しくなって、文明が発達しても、人の心は変わらない。今を生きる人たちに響くものを作っていくことは非常に大事じゃないかなと。それは歌舞伎であれ、普通の演劇であれ一緒だと思います。
――新作歌舞伎は歌舞伎が持つ見せ方の面白さも、わかりやすく伝わってきますね。
そうなんですよ。古典的な方法を使って早替りとかは昔からある手法ですが、それがかえって新しいという。結局、新作を作る人がいくつ引き出しを持っているかなので、引き出しが多ければ多いほど、面白いものができますね。
――今後も期待しています! 来年は大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』もスタートしますね。鱗形屋孫兵衛という、横浜流星さん演じる蔦屋重三郎とライバル関係になるお役です。
歌舞伎の公演の合間に大河ドラマの撮影が入っていて、もう大変です(笑)。撮影では江戸っ子のセリフをめっちゃ喋ってますよ。「てやんでぇバーロー、ちくしょー!」のべらんめぇの世界です。
――2024年は関西でお見かけする機会が少ない印象があったのですが、来年は『大阪・関西万博』もありますし、関西での公演をお待ちしております。
来年はガッツリですよ。南座では9月に『流白浪燦星』がありますし、その前には大阪松竹座で2月の『立春歌舞伎特別公演』があます。2025年も、古典も新作もしっかりとやっていきたいですね!
取材・文=Iwamoto.K 撮影=桂秀也