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長野県松本市で老舗銭湯「菊の湯」を承継したブックカフェ経営者。“カフェも銭湯も同じサードプレイス”

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長野県松本市にある老舗銭湯・菊の湯が承継された経緯を聞いた(筆者撮影 2025年)

菊の湯の相談に「自分がやります」と返事した菊地さん

菊の湯外観。首都園では宮造りの壮麗な建物が多いが、それ以外の地域ではシンプルなものが多い(筆者撮影 2025年)

松本駅から歩いて10分ほど、松本市美術館、まつもと市民芸術館などがあるあがたの森通り沿いに100年以上前に創業したという老舗の銭湯「菊の湯」がある。
通り沿いにはカフェや各種店舗もあり、その背後は住宅街という立地。駅から最も近い銭湯であることから、地元のお客さんに加え、登山客なども来訪してきた。

その菊の湯が3代目の宮坂さんから通りを挟んで反対側にあるカフェ栞日の菊地徹さんに承継され、改装を経て再オープンしたのは2020年10月のこと。だが、その年の5月に宮坂さんが「相談がある」と菊地さんを訪ねた時には宮坂さんは銭湯を閉業するつもりだった。

「宮坂さんにお目にかかってみると、銭湯を閉じることにした、でも、取り壊してただ更地にするのではなく、建物を残して何か違う用途で活かして欲しいと考えており、相談に乗ってもらえないかという話でした。栞日は以前の電気店の看板、外装をそのままの状態で使っているので、そうした使い方ができないかと思われたのでしょう」と菊地さん。

土地、建物は所有しており、水は湧水を利用、家族経営なので人件費は抑えられていて、日常の大きな経費はガス代のみ。とりあえず目の前の経営に問題はないが、新規の客が増えるわけではなく、これから設備の修理や更新が必要になったら継続は難しい。いつか損益分岐点を割る前に決断しなくてはと宮坂さんは長年悩み続けてきたというのだ。

あがたの森通りを挟んで菊の湯、カフェ栞日が向かい合う。栞日はかつての高橋ラジオ商会の外観をそのままに営業している(筆者撮影 2025年)
菊の湯から見たカフェ栞日。この距離なら互いにきになる(筆者撮影 2022年)

それに対して菊地さんは即答「自分がやるから銭湯を続けましょう」。その時、菊地さんの頭の中にあったのは開店前からおじいちゃん、おばあちゃんが三々五々集まってくる菊の湯の前ののどかな風景だった。

「市内には他にも銭湯はあります。だから、ここが無くなってもヨソに行く手はある。でも、おそらく、ここに来ている人たちにはここが自分にとっての風呂なんだろう、一人暮らしのお年寄りにはここだけが外出の機会、社会のすべてという人もいるだろう、だとしたら、ここを無くしてしまうのは良くない。一瞬のうちにそんなことを思いました」

地元での活動に注目し「菊池さんに相談しようと思った」

カフェ栞日の経営者で菊の湯を承継した菊地徹さん(筆者撮影 2025年)

菊地さんは静岡県出身で茨城県の大学に進学、松本にやって来たのは2010年のこと。学生時代にスターバックスでのアルバイトで同社が掲げる「サードプレイス」という考え方に感銘を受け、自らもそうした場を作りたい、そのために接客を学ぼうと松本市内の温泉旅館に就職。松本が気に入り、2013年に個人事業としてブックカフェ栞日をオープン、2016年には菊の湯の向かいに移転した。菊の湯については向かいでもあり、移転した時から目に入っていたそうだ。

だが、相談を受けるまでに宮坂さんと会ったのは二度だけ。一度目は宮坂さんがカフェ栞日を訪れた時、二度目は2018年に菊地さんが栞日のマンスリーレターのために宮坂さんを取材した時。それほど深い付き合いがあったわけではない。

そんな宮坂さんが菊地さんに閉業とその後についてという大事な相談をしに行ったのは菊地さんが最初にカフェを開いて以来、菊池さんの活動に注目していたから。
現在地に移転後、旧店舗の2階から上を松本への移住希望者が中長期滞在できる宿「栞日INN」として改装、運営するなどコロナ禍で一部の活動は縮小したものの、菊地さんの活動は年々広がっており、多くの人たちに支持されている。

宮坂さんは菊地さんのインスタグラムやフェイスブックなどSNSの発信をフォロー、栞日INN開業時のクラウドファンディングを支援しており、この人ならきっといいアイディアを出してくれると思って相談したのだ。

とはいえ、いきなり承継しますという返事はさすがに想定外だった。収益の上がっている、将来性のある仕事ならいざ知らず、現在はなんとかやっていけているものの、顧客の大半は高齢者。先が見えない仕事を家族でもない他人が継ぐ。建物転用のアイディアを求めての相談で、そんな答えが返ってくるとは思ってもみなかった。

しかも、銭湯好きが銭湯を継ぐという話は他にないわけではないものの、菊地さんは銭湯好きですらなかった。シャワーで育った世代で湯船にはほとんど浸からず、旅先で見かけて行ってみたことがある程度だったそうだ。

「カフェも銭湯も同じサードプレイスではないか」と考えた

新しくなった菊の湯ではオリジナル商品その他さまざまな品が販売されている(筆者撮影 2022年)

きつくて儲からない仕事を継いでもらうわけにはいかないと固辞する宮坂さんを菊地さんは収支計画書を作って説得した。リノベーションをしてデザイン、場の雰囲気を変えて子育て世代の若い層を呼び込む、レンタルのタオルなどを用意して手ぶらで利用できるようにする、オリジナルグッズを作る。その他あの手この手の案を提案、問答を繰り返した。それに宮坂さんが折れ、8月には菊地さんが銭湯を継承することが決まった。

その後は既存の利用者に配慮、改修のための休業はできるだけ短期にしようと驚くほどのスピードで承継が進められた。9月からは改修費用を賄うためクラウドファンディングがスタート。改修自体はわずか2週間。クラウドファンディングでは1ケ月ほどで500万円余が集まり、新生菊の湯は無事、10月15日にリニューアルオープンした。

まさに急転直下の承継劇だったわけだが、その背景にあったのは菊地さんがそもそもカフェで実現しようとしていたものの先に銭湯の未来もあったからである。

入ったところは明るく、新しくリノベーションされている(筆者撮影 2022年)
2階には本、雑誌などが置かれ、Wi-Fiも使える。湯上りにのんびりできるという意味では確かにカフェと通じる部分も(筆者撮影 2022年)

「スターバックスの提唱したサードプレイスとは現代人にとって自分自身を取り戻す場。一人一人が日常からはぐれてしばしリフレッシュするための場で一杯のコーヒーによってその場と時間が自分のものとなる。そこで自分を取り戻し、また日常に戻る。
銭湯にも同じような、いや、それ以上に幅広い人達にとって大事な場になれる余地があるのかもしれないと思ったのです。地域のサードプレイスの一形態として銭湯があるのだとしたらやってみようと考えたのです」

それにあたっては銭湯の価値、存在意義を再定義した。公衆衛生の一翼を担うという本来の役割は内風呂の普及ですでに失われている。その銭湯が今後も生き残り、愛されていくためにはそれに代わる価値、存在意義が必要と考えたのだ。

その昔の銭湯はまちの情報の発信源でもあったそうだ。そんなことを思わせる浴室内の広告(筆者撮影 2022年)

多世代がひとつの浴槽に浸かり、その関係がまちに滲み出していく

更衣室より先にはほとんど手を入れていない(筆者撮影 2022年)

菊地さんによる菊の湯の再定義はまちに開いていく銭湯、地域のコミュニティを編み直すハブとしての銭湯である。

「このところの銭湯再生例を見ていると大きくふたつの開き方があるように感じています。ひとつは若い人たちに向けて目新しいカルチャースポットとして開き直すというもの。そしてもうひとつは地域に向けて改めてコミュニティハブとして開き直すというもの。
そこで菊の湯は後者でいこうと考えました。これまでの常連さんたちを大切に、でもせっかくサードプレイスとして再定義したからにはこれまでとは違う人たちにも来ていただこうと考えました。そのため、改装ではロビーまでは手を加えたものの、浴場にはほとんど手をつけず、昔から通っている皆さんが違和感を抱かないように心がけました」

これまで通っていた年長者と新しく足を運び始めた年代がひとつの浴槽に浸かることで緩やかに縦に繋がり、その関係が地域に流れ出していく。それが菊地さんの再定義した菊の湯の未来である。

タイル画は銭湯の名まえでもある菊。シンプルな内装である(筆者撮影 2022年)
古いものも多く残されている。これは2階に置かれたマッサージチェア。懐かしい(筆者撮影 2022年)

今の20代、30代にとってコミュニティや互助の概念は子どもの頃から学校教育の中でも教えられてきたもので、その上の世代や高齢者などと比べてより身近なもの。その世代にコミュニティという観点から銭湯を再発見してもらい、地域と関わる第一歩になればという。

ただ、銭湯未経験者にとって初めての銭湯は意外にハードルが高い。そこで菊地さんは大学生が子どもの勉強をサポートする日(勉強の合間に風呂に入れる!)を設けたり、ワークショップや部活動を行ったりとファミリーや若い世代に銭湯に関心を持ってもらうためのきっかけづくりを続けてもいる。一度経験すれば気持ちの良さは伝わる。銭湯未経験者はぜひ、体験してみてほしいものである。

2階の畳スペース。こうした場があればイベントその他さまざまに使える(筆者撮影 2022年)

“湯の下の平等”が人の精神を健やかにしてくれる

地元の人に加え、遠来の客も。旅先で一風呂という習慣が広まると面白いのにと個人的には思うのだが(筆者撮影 2022年)

承継から5年。現状は「順調に低空飛行」と菊地さん。

「やりたいことはできてきており、これまで来なかった年代、属性の人達が来るようになりました。二度三度来ている人、常連さんもできてきていますが、その新しいレイヤーの層がまだまだ薄い。目標の厚さ、スピードに追い付いていないのが現状。設備の更新なども考えるともう少しスピードアップしたいところです」

その一方で銭湯という存在に対する解像度は上がったとも。

「銭湯について調べているとよく出会うのが湯の下の平等という言葉です。利用者の身分、肩書、社会的な立場その他一切は湯船の中では関係が無く、誰もが平等。多様性を感じる場でもあり、裸で湯に浸かることで一体感を意識することも。これまで学校教育が教えてきたものと重なるところもあり、銭湯の経験は多くの人に意味のあるものではないかと思っています」

菊の湯の営業状況、イベントの予定など。入口に掲示されている(筆者撮影 2025年)

分断や孤立などという言葉が身近にある今、少なくとも湯船の中ではそれを感じずに済むとしたら、銭湯はやはりいまだに公衆衛生の一翼を担う存在なのかもしれない。その昔の公衆衛生は身体を清潔に保つことを意図したが、公衆衛生が人々の生命を守り、健康の保持増進を図るものだとしたら、精神はそのために重要な要素のひとつ。銭湯の役割は身体から精神に深化したと言えるのかもしれない。

さて、最後に菊の湯に行ってみようと思った方へ。営業は15時~23時で、日曜日は朝7時から朝風呂に入れる。水曜日は休み。駅からは歩いても10分ちょっと、敷地内には駐車場も10台分あるので車で行くことも。タオルやシャンプー類はレンタルがあるので手ぶらでも大丈夫。2階には畳スペースがあってごろごろできる。入浴料は500円。旅行先で一風呂浴びてさっぱりするのは気持ち良いのでお勧め。特にハイキング、登山などで汗をかいた後にはたまらない経験になるはず。土産には菊の湯オリジナルグッズという手がある。

*写真については2022年、2025年撮影のものが入り交じっています。2022年時点から変わったものもある可能性があることを念頭にご覧ください。

■取材協力
ブックカフェ「栞日 sioribi」 https://sioribi.jp/

2022年の取材時に撮影させていただいた利用者のコメント。世の中はのびたくんを必要としている?(筆者撮影 2022年)

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