初心者も楽しい!心がととのう能楽の世界
能楽というと古典たっぷりの難しい内容をイメージされるかもしれませんが、今回は能楽ビギナーのライターが能楽鑑賞や能面工房を見学してみて印象に残ったこと、グッときたポイントなどをまとめました。
能楽を見る前に押さえておきたい3つの特徴
「能楽」と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか? インパクトのある化粧が目を引く歌舞伎や笑点などでおなじみの落語はなんとなく想像できても、「能楽」となると途端にモヤがかかったようにわからなくなりませんか。ライターもその1人。でも、以下の3つの特徴を知ることでモヤが晴れて能の輪郭が浮かび上がってきました。
1)能は “ 和風オペラ ” のようなもの
シンプルな音楽とゆったりとした舞や動作で繰り広げられる日本のオペラのような演劇です。
2)面をつけて演じる
役者が「面(おもて)」と呼ばれる仮面をつけて演じるのも特徴です。
※面をつけない場合もあります
3)日本の古い文学をもとに作られた物語が多い
能で演じられる作品は200以上。京都の名所旧跡と関連した作品も多いです。
儚さを感じる演目『忠度』の一幕より
「能」と「狂言」はまるで兄弟
能と狂言を合わせて「能楽」と呼ばれますし、能の解説本に狂言が登場することもあり、どっちがどっちだったかしら? と混同することもあるかもしれません。実は、その歴史を紐解くと元は1つの芸能でした。
能と狂言のルーツは奈良時代にさかのぼります。
朝鮮半島や中国大陸から伝わった曲芸や手品などが合わさった芸能に、日本古来の歌や踊り、自然信仰や仏教信仰が結びつき、平安中期には能楽の前身である「猿楽」が成立します。
室町期に入ると、さらに花開いていく猿楽の文化。足利義満も豊臣秀吉も、みんな猿楽の愛好者。やがて猿楽は、歌と舞の部分が能に、笑える喜劇が狂言へと分かれていきました。能と狂言は1つの芸能から誕生した、いわば兄弟のようなものなのです。クールで寡黙な兄と、ひょうきんでお笑い好きの弟といったイメージでしょうか。
能はエンターテインメントであり、儀式でもある
さて今回、ライターが訪れたのは地下鉄「今出川」駅から徒歩約5分、京都御苑の西にある金剛能楽堂(こんごうのうがくどう)です。
烏丸通沿いにある金剛能楽堂 (画像提供:金剛能楽堂)
烏丸通の街路樹や、京都御苑に生い茂る草木の風情も相まって、自然の中にひっそりと佇む印象です。
堂内は南座などの劇場に比べれば小規模ですが、天井が高くゆったりとした造りで、何より舞台との距離が近く感じられました。
ほんのり漂う檜の香りはこの舞台からなのでしょう。清らかで整然とした白木の美しさの中に野趣を感じました。
屋内にもかかわらず屋根のある舞台
「室町時代、能は外で演じられていました。舞台はなく、見物客は芝生の上に座り、時には役者も芝に座りました。“ 芝に居る(座る)”、これが「芝居」の語源となりました」と案内くださった能楽師・宇髙徳成さん。
能楽師シテ方金剛流の宇髙徳成さん
現在の能舞台に屋根があるのは、かつて野外で行われていた名残なのだとか。では、舞台の奥の壁にシンボリックに松が描かれている理由も教えていただきました。
「松の木には神が宿るといわれています。能は神様に奉納するための芸能ですから、古くは松の木の前で舞っていたんですね。その古式にのっとり、舞台の前にある松が鏡に写っているという設定を絵で表現しています。松が描かれた板が『鏡板』と呼ばれるゆえんです」と徳成さん。
舞台の奥には鏡板
能楽堂で見つけた“推し”
今回、ライターが鑑賞した演目は『忠度(ただのり)』です。源平合戦で討ち死にした武将・平忠度(たいらのただのり)は武勇に加えて和歌にも優れた人物。しかし、逆賊の平家であるがゆえに、勅令で編集された和歌集に歌は載っているものの「読み人知らず」と紹介され、記名が許されませんでした。その無念を伝えるために幽霊となって現れるというストーリーです。
衣装の特徴を解説
今回は特別に衣装の着付けから見学させていただきました。
平忠度は紫紺の衣と白い袴をまとい、刀をたずさえます。弓や刀を持つために右袖を脱いで後ろへ垂らしたスタイルです。
源氏の衣装はギラギラとした派手な色彩ですが、詩人でもある平忠度は透け感のある優雅な装いが特徴です。大きい袖と大口袴を取り合わせ、あえて大柄に見せることで、“非日常の人間” を演出しているそう。
また、パリッとした張りを出すために染め物ではなく織物を用いるのが能の衣装の特徴なのだとか。袴の後ろがこんもり丸くなっているのも特殊な織物技術による、とも教えてくださいました。
役者の奥に座る地謡
能では音楽を奏でる囃子方(はやしかた)と、コーラスを担当する地謡(じうたい)が舞台上に座っています。ライターは、この地謡さんの美声に心掴まれました。どこか懐かしい、お腹の底に響いてくるような歌声。いつまでも聴いていられる麗しい声が堂内に響きました。
能は人それぞれハマるツボが違うのだとか。役者の舞や装いの華麗さはもちろんですが、人の歌声とシンプルな和楽器によって奏でられるライブ感も魅力です。
心持ち次第で見えてくる、無表情のイリュージョン
もう1つの注目ポイントは「面(おもて)」と呼ばれる仮面です。『忠度』で使用される面は、面長で切れ長の瞳、口髭をたくわえており、一見するとちょっと怖いのですが、よくよく見れば“イケメン”ではないでしょうか。
この面をつけて、金扇を手に舞う『忠度』は迫力満点。軽く口を開けた面立ちで、時に力強く戦い、時にうつろに嘆き祈るさまは悲哀に満ちていました。
『忠度』の面をつけた姿
今回は能面の工房も見学させていただきました。
「能は演目をただ見るのではなく、演者も観客も一緒に想像して完成するものなんです。イマジネーションを膨らませ、目の前のものに感情をゆだねることで面の表情は変わって見えてくる。想像力をプラスすると広がる世界なんですよ」とお話しくださったのは能面師の宇髙景子さん。どうやら能は想像力がカギのようです。
般若の面を持つ能面師の宇髙景子さん
般若の面
ほかに、般若の面も見せていただきました。額から2本の鋭い角が生え、ぎょろりとした目玉と耳までさけた大きな口。どう見ても鬼なのですが、実は嫉妬や怨念によって鬼へと変わってしまった女性だそう。人間、生きていれば一度や二度、そうした想いにかられることもありましょう。恐ろしい形相に一抹の哀愁を感じ、親近感を持ちました。
さらに、面の原木も見せていただいたところ、厚みにびっくりしました!
彫刻刀やノミで丁寧に削りだしていきます
難しい!だけど、自由で優しい能の世界
舞台上にわかりやすい小道具や装置はなく、背景も松のみで変わることもありません。スローテンポの舞と謡、そしてシンプルな和楽器演奏とコーラスだけで展開していく能の世界は、まさにミニマル。正直なところ理解するのに時間がかかります。
でも公演を見ているうちに、演目の一部となって漂っているような気持ちになり自然と肩の力が抜けました。鑑賞後は頭の中の老廃物が落ちたようなすっきり感が。まるで瞑想や、焚き火をしたときのような癒しの感覚に似ています。
能は見る人の気持ちや想像力で変幻自在であるとともに、懐の深さも持ち合わせていることが発見でした。神への奉納という儀式的な意味合いが“高尚な芸能”と、私たちのイメージを押し上げていますが、実はとても自由で優しい芸能なのです。
岡崎エリアにある京都観世会館
市民狂言会は、年に4回、京都観世会館で催されている定期鑑賞会です。
ここで鑑賞した『薩摩守(さつまのかみ)』は、旅する老僧が渡し船に無賃で乗ろうと、薩摩国を治めていた平忠度(たいらのただのり)の句を詠んで “タダ乗り” を試みるというストーリー。そうです、先ほど紹介した能の演目『忠度』の関連作品なのです。
『忠度』のアンサーソングというよりはスピンオフドラマのようなイメージで、ユーモアあふれるダジャレのオチに思わず笑みがこぼれます。
場面ごとに解説が流れる「能サポ」
能と比べると、狂言は軽やかなセリフ回しとアクティブな動きで、衣装の色使いや紋様は明るくポップなテイスト。
言い回しが現代語に近かったことに加えて、「能サポ」によるリアルタイム解説を読むことができたので、理解が深まりました。こちらのアプリをスマ-トフォンやタブレットにダウンロードすると解説が見られます。
※実施していない公演もあります
能と狂言、それぞれの面白さはもちろんですが、個人的には静と動、重厚と軽快、悲哀と笑い。このコントラストを体感して、人が生きる上での普遍的なテーマを題材に、互いに支え合う芸能であることを実感しました。
京都では上記作品の他にも、ほぼ毎日どこかで能楽が公演されています。初心者向けに解説付きのツアーもあるようです。京都には能楽作品に関連した神社や名所があるので、ゆかりの地を巡る楽しさもありますよ。
能楽の歴史や流派などについて、もっと詳しく知りたい方は「能楽入門の入門」をご覧ください。
能楽入門の入門
https://www.city.kyoto.lg.jp/digitalbook/book_cmsfiles/634/book.html
能楽のほかにも邦楽、日本舞踊、落語、歌舞伎、京の食などをわかりやすく紹介するWebサイトもあるので、京都の伝統芸能や文化を深掘りしたい!という方は、こちらもチェックしてみてください。
https://ja.kyoto.travel/traditionalculture/
記事を書いた人:五島 望
東京都生まれ、京都在住のライター・企画編集者。
京都精華大学人文学部卒業後、東京の出版社に漫画編集者等で勤務。29歳で再び京都へ戻り、編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。紙媒体、Web、アプリ、SNS運用など幅広く手掛ける。