人の“物語”に揺さぶられちゃダメ!?大竹まことが物語化を批判する識者の考えに迫る
お笑い芸人の大竹まことが同世代や全世代の男女に向けてお送りしているラジオ番組『大竹まことゴールデンラジオ』(文化放送・毎週月〜金曜13:00~15:30) 7月25日の放送は、講談社新書から発売中の『物語化批判の哲学』の著者である、美学者の難波優輝氏を迎え、金曜パートナーの壇蜜とともに、本の内容について伺った。
大竹「人は“物語”がみんな好きですよね。それで、例えば政治家の話でも、生い立ちとか、苦労したとか、その物語にほだされて一票入れちゃったりみたいなこともありますよね」
壇蜜「あります」
大竹「でも、難波さんは、ダメだと。物語に頼って、揺さぶられちゃだめだっていうふうに仰ってるってことですか?」
難波「はい、そうですね。物語って、人が自分のことを説明したり、人のことを理解した気になるのに一番、適しちゃってるなと思うんですよ」
大竹「そうですね」
難波「でも、本当は人間って、あんまり物語的な人生ちゃうんじゃないかなと思って。たまたま人に説明しやすいから、自分がこうで、みたいな説明ができちゃうんですけど、もうちょっと思いつきだったり、偶然で今ここに人間がいる、っていうふうなことをいつも思っていて。そういう物語に縛られちゃうと、なんか身動きがとりづらくなるんじゃないかなっていうのが一番考えたことでしたね」
壇蜜「がんじがらめになって先入観ができちゃう」
難波「そうです」
大竹「それは本人が? それとも周りの人が?」
難波「どちらもですね。意外と自分が語ってる物語に、人間はなんか信じ込まされるような気がしていて、最初は方便でもどんどん、その通りな気がする。例えば、自分はこういう経緯でこういう事業を始めたとか、こういう経緯でこの人と一緒になったんだ、みたいなことを喋ってるうちに、そうかなって自分で思っちゃうけど、でも実は全然違う偶然とかがあったり、全然違う理由があるんじゃないかな。それを物語に落とし込まれる仕方で、自分の人生とかを遊ばせておけたらいいんじゃないかなみたいなのがずっと思ってますね」
大竹「たださ、聞く方はね。聞く方はストンと腑に落ちたいわけじゃないですか」
壇蜜「そうなんですよ。起承転結をちゃんとゲットして、腑に落ちて、この人だって」
大竹「例えば、板東英二が卵を好きな理由とかね」
壇蜜「あ~、ゆで卵ばかりをいただくね」
大竹「この人、どっかから引き上げてきたかなんか知らないけど、それが食べたくてしょうがなかったっていうのがあって、っていうと、「あ、板東英二さんなんだ」っていう、とても単純だけども、腑に落ちちゃうっていうか。その部分をちょっと疑ったほうがいいぞっておっしゃってる?」
難波「そうですね。ある種、みんながみんな、不審者の世界の方がいいんじゃないかなと思って」
大竹「不審者?」
難波「卵いっぱい食べるって、板東さんじゃないですけど、ちょっと不審者じゃないですか」
大竹(笑)
壇蜜「ちょっとまあ、通常では難しいですよね」
大竹「普段からそんな卵ばっかり食ってるわけにいかないよね」
難波「説明されると「あ、そうなんだ」ってなるけど、でも説明せずに、互いの不審さを耐える世界の方が、すごく大人っぽいんじゃないかなって」
壇蜜「なんで、この人、卵ばっかりって思ってる時の方が」
難波「そうそう。で、聞きもしないし、自分もよく分かんないけど、多分卵を食べられてるんじゃないかな。で、人間ってなんかそういうことばっかりなんじゃないかなと思ってて。自分もわけわからず、飯を入れてるわけですし、特に理由はあるようなないような。で、説明しろと言われたらできちゃうけど、でもその説明って、まあ飯とか卵だったら、安全かもしれないですけど、例えば「日本」みたいなものを主語にしちゃうと、日本人としてのアイデンティティがこうでみたいな。こういうつらいことを、いろんな人にされたから、自分はこういう強硬な立場なんだみたいな。でも、それも本当かなみたいな。もうちょっと、がんじがらめからほどきたいなって思ってるところですね」
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