料理の仕上がりではなく、何かしら作って食べて、今日が無事に終えられたらそれで十分。──自炊料理家・山口祐加さんエッセイ「自炊の風景」
自炊料理家・山口祐加さんの「料理に心が動いた時」
自炊料理家として多方面で活躍中の山口祐加さんが、日々疑問に思っていることや、料理や他者との関わりの中でふと気づいたことや発見したことなどを、飾らず、そのままに綴ったエッセイ「自炊の風景」。今回はついに最終回です。
山口さんにとっての思い出の料理はお母さんが作ってくれた「めんつゆ炒め」。そのエピソードをひもとくと、家庭のふだんの料理ならではの理由とたたずまいが見えてくるようです。
※NHK出版公式note「本がひらく」より。
母のめんつゆ炒め
私の母は、26歳で私を産み、仕事では会社を経営する傍ら、プライベートではワンオペで子育てをしていました。父は週のほとんどは仕事の会食で外出しており、父が食卓にいたのは家族の誕生日くらいだったと記憶しています。私は幼い頃にアトピーを患っていたこともあり、母は食材選びや、健康な食事づくりに心を砕いていました。
そんな母が私によく作ってくれた料理が、めんつゆで味をつけた肉野菜炒めです。私が幼かった頃は、「一日30種類の食材を食べる」ことが推奨されていました(1985年に厚生省(現・厚生労働省)が指針を出したが、2000年には30という数字は削除された)。真面目な母は、それに倣ってたくさんの食材を料理に取り入れようとしていました。けれど、仕事で体力を使い果たしてしまっていることと、もともと大雑把な母の性格が相まって、細々と副菜を作ることは向いていなかったのでしょう。当時の母がたどり着いたベストアンサーは、一皿に複数の野菜を入れて、子どもも食べられて、味付けを考える手間や計量も必要ない「めんつゆ」で味を決めることだったのだと思います。
お腹が空くとあからさまに機嫌が悪くなる私を、できるだけなだめるために急いで作ってくれた炒め物は、まるで料理が汗をかいているような雰囲気が漂っていました。いつだったか、大人になってから母がこの炒め物をひさしぶりに作ってくれたとき、懐かしくて、愛おしくて思わず写真を撮った記憶があります。
この料理は、誰かに食べてもらいたいほど特別なおいしさがあるわけではありません。おいしいかおいしくないかで言ったらおいしいけど、キャベツはちょっと焦げているし、どこを食べてもめんつゆ味でちょっと飽きやすい。料理家としての厳しい目線で見れば、改善点はいくつか見当たります。けれど、当時、母が置かれていた状況や、彼女の性格、私が食べられる味や食材をいっぺんに叶えてくれるのが、めんつゆ炒めだったわけです。
料理に関する発信は、どうしても「どうしたらよりおいしくなるか」に偏ってしまいがちです。炒め物はシャキシャキのほうがいいし、チャーハンはパラパラのほうがいい。そのほうが大多数の人がおいしいと感じるのは間違いないでしょう。けれど、しなしなの炒め物も、米粒がうまくはなれないチャーハンも、自炊ならではの風情があり、愛嬌がある料理です。金銭の授受や評価が介在しない家のふだんの料理だからこそ、こういう料理が存在できるのです。
母のめんつゆ炒めを思い出すたびに、どうやってうまく作るかに気を揉むよりも、失敗や不器用さを愛したほうが、気が楽になる場合も多々あると感じます。料理の仕上がりに納得がいくとも、いかずとも、何かしら作って食べて、今日が無事に終えられたらそれで十分。一生懸命作ってくれていたという記憶は、その味を忘れてしまっても、食べている人の心には残ります。今日も台所に立つすべての人にエールを送り、連載を終わりにしたいと思います。
1年と3か月、読んでくださってありがとうございました!
※「NHK出版 本がひらく」では、エッセイ・小説など多様な連載やノンフィクションなどの読み物を毎週更新中です。
プロフィール
山口祐加(やまぐち・ゆか)
1992年生まれ、東京出身。共働きで多忙な母に代わって、7歳の頃から料理に親しむ。出版社、食のPR会社を経てフリーランスに。料理初心者に向けた対面レッスン「自炊レッスン」や、セミナー、出張社食、執筆業、動画配信などを通し、自炊する人を増やすために幅広く活躍中。著書に『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』(紀伊國屋じんぶん大賞2024入賞)、『軽めし 今日はなんだか軽く食べたい気分』、『週3レシピ 家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』など多数。
※山口祐加さんHP https://yukayamaguchi-cook.com/