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【ジープ島物語】〜ここには都会にある物は全てなく、都会にない物が全てある〜第7回「井の頭公園での決意」ジープ島開島者・吉田宏司(新潟県上越市出身在住)

にいがた経済新聞

当時の吉田宏司氏

日曜日に直近の記事をピックアップして再掲載します(編集部)

初回掲載:2024年10月1日

私は20年以上の東京での生活に区切りをつけ、新たにゼロから出発したいと思い、38歳の時に無人島に住むことを決めました。当時、私は吉祥寺の井の頭公園の近くのマンションに住んでいましたが、南海の無人島生活を送るのは、決して快適なものばかりではないだろう?と考え、管理費込みで20万円近かったマンションを引き払い、無人島に耐えうる生活を考え、1年間同じ吉祥寺の2万円のアパートに引っ越しました。駅から徒歩30分くらいの閑静な住宅街の中にある大きな家の2階がアパートになっていて、その1階には一人のおばあさんと太った猫が1匹いました。部屋数は4部屋で学生が入るような所で、他の部屋にはシャワーがついていました。私の部屋は一番安くシャワーはなかったので、おばあさんの自転車を借りて銭湯に通っていました。

井の頭公園からは少し遠くなりましたが、私の楽園構想は井の頭公園で練られていたので、引越し後も毎日公園に出かけるのを日課にしていました。ノートとペンを持って、いつものベンチに座り、噴水を見ながら、いろいろな事を考えていました。島に行ったら、食料や水はどうするか?着るものは…薬は…そうかと思えば、人が住んだ事のない無人島に住むことは、やはり無謀な事なんじゃないか?いろいろ考えた挙句、結論としてすべてのお金を使い果たして無一文でやってみよう!!持参するものは、最低限のGパン1本、下着2枚、海パン、Tシャツ2枚、タオルと歯ブラシ…小さなリュックそれだけで行きたい!という気持ちになり、その時はとても穏やかな気持ちになりました。

ところが8か月が経ったくらいから、私の中に迷いが生じてきました。無人島に住んで楽園を立ち上げるという事は私の夢であったわけですが、私の田舎には祖母と両親がいて、私には兄弟はいませんでした。そのことを考え始めると中々眠れず、すっきりしない毎日が続きました。既に家具などをほとんど処分してしまい、必要最低限のものしかありませんでした。
唯一つだけ私が手離しくないものがありました。それは数年前にギリシャのミコノス島に滞在した時に買った小さなイルカの置物でした。

ミコノス島最後の夕方、私は一人でミコノスタウンを歩いていました。海岸線にはペリカンや花売りのロバがいたり、風が強かったので港に並ぶ船は漁にも出れず、右に左に波で揺れていました。近くにしゃれたバーがあり、そこでジントニックを2杯ほど飲んで、またふらふら散歩していました。すると、まっ白な家が立ち並ぶ丘の方に登った辺りに小さな骨董品屋がありました。その店を横に見ながら、一度通り過ぎました。しかし、私はあるものがショーウインドーの中のものが目に留まり、また覗き返してそのウインドー越しに中を見入っていました。いくつか商品が並んでいる中に、とても小さな3㎝ほどのイルカの置き物を見つけました。たいへん型もよく整っていて、トルコ石のような青の中に少し白褐色があり、私は一目で気に入ってしまい、値段も聞かずに買ってしまいました。

当時のジープ島(ミクロネシア連邦チューク州)

そしてその日からそのイルカをいつもGパンのポケットに入れるようになりました。翌日アテネに戻り、パリに向かい、カフェの外のテーブルの上に置いておくと、陽の当たり具合で、イルカがまるで生きているかのような感覚を覚えました。数日パリに滞在し帰国しました。

そして、井の頭公園の中を何度も右に左に歩き回っていても私の心は落ち着きませんでした。無人島に行くべきか?どうすべきか?と悩みながら、Gパンのポケットからイルカを出してはベンチに置いてじっと眺めていました。

それから数日後に私の知り合いから連絡があり、五反田でジープ島に興味がある人達がいるから島の話をしてくれないか?という内容でした。私はそこに出向き数十人の人達に写真を見せながら、島の説明をしていました。すると、遠くの部屋の隅で小さな女の子が何かを描いている姿を目にしました。

説明会が無事に終わり、皆さん是非行ってみたいという事になり、私はほっとしてお茶を飲んでいました。そして、振り返ってその女の子を見ると、まだ一生懸命何かを描いている様子でした。私はたいへん気になり、その子のそばに寄り、「何を描いているの?」と聞くと「イルカの絵」という返事が返ってきました。「おじさんに見せてくれるかなー?」というと、うれしそうな顔をして「はい!」とスケッチブックを差し出しました。

私はその絵を見てびっくりしました。何故ならそれは小学2年生が描くような絵ではなかったからです。まるで生きているかのようなイルカの素晴らしい絵でした。「絵が上手なんだねー!おじさん感動したよ!!イルカが本当に好きなんだねー」(笑)といい、彼女が「イルカが一番好き!!」といい放った瞬間、私の脳裏にギリシャのミコノス島でのイルカとの出会い、パリのカフェでテーブルの上のイルカ、そして井の頭公園のベンチのイルカなどが走馬灯のようによぎり…

「Gパンのポケットのイルカを手放さないといけない!!」と思ったわけです。その瞬間、もしこのイルカの置物を持って、無人島に入ったら失敗する!何故なら、このイルカには日本や海外での良き思い出がたくさん詰まっている!その良き思い出の象徴がこのイルカなんだ!!このイルカを島に持ち込むことは日本に未練を残すことになる!!

無人島生活という新たな出発をする時に、偶像を崇拝してはならない!という聖書の言葉が蘇ってきて…。私はその小学2年生の女の子に「そんなにイルカが好きだったら、おじさんの一番大切にしているイルカをあげるねー!大事にしてねぇー!!」と云って手渡しました。

その日、五反田から帰る道すがら、井の頭公園の中を歩いて家に向かう途中で、私の心の迷いはすっきりと消えていました。「自分に率直になることが一番大切である!!」と思い、その時の思いは今でも覚えています。

それから8月に入り、私は毎日井の頭公園のベンチに座り、一つの節目として、無人島に住む目標年数を決めるべきだと思い、それまでの経験の中から、まず3年であると結論づけたわけです。何故なら、日本のことわざや仏典、旧約、新約聖書の中で、圧倒的に多い数字が「3」という数字になるからです。「石の上にも3年」「3年飛ばず鳴かず」「3度目の正直」「3日坊主」「三位一体」「3大天使」「イエスの三度の試練」…この「3」という数字は一つの戒めになっていて、3年はよほどの決意がないと乗り越えられる数字ではない!特に無人島生活に入った場合、嵐も来れば台風も来る!!決して生やさしいものではないと思い、更に断食をして一切の未練を残さず、小さなリュック一つでお金を使い果たして、ほとんど無一文同然で9月に成田空港の夜便に乗りトラック諸島に向かったわけです。機内の窓からの成田の夜景を見ながら、「もし失敗したら、日本に帰れないかもしれない!」という思いで出発したのを今でも鮮明に覚えています。

当時のままの井の頭公園ベンチに座る吉田氏

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