元参議院議員 斎藤文夫氏、逝く 96歳 葬儀に2500人参列
元参議院議員で川崎市観光協会会長の斎藤文夫氏が11月29日に96歳で死去した。12月4日と5日に宗三寺(川崎区砂子)で葬儀が営まれ、地元関係者をはじめ、政界関係者や大相撲友風関らが焼香に訪れた。
自民党元幹事長の甘利明氏は弔辞で「先生の生きざまは、壁にぶつかり挫折感に思い悩む多くの人たちに立ち上がる勇気を与えた。われらの指導教官として天上でお待ちをしていただきたい」と読み上げた。川崎大師平間寺貫首の藤田隆乗大僧正は「川崎大師風鈴市が年を重ねるごとに規模と盛況を増し、今や川崎の夏の風物詩と称されるまでの行事となった。まさに『観光カリスマ』の名に違わぬ先生の発想と手腕によってなしえた偉業」と称えた。
斎藤氏と長年の友人である藤木企業(株)取締役相談役の藤木幸夫氏は、お別れのあいさつに立ち、「あんたが東京湾の港の連携をつくったんだよ」と遺影の前に語りかけた。斎藤氏の川崎港振興協会会長としての功績を様々な場で語っていくと述べた。
出棺前には葬儀委員長を務めた元復興相の田中和徳衆議院議員があいさつ。「スーパーマンのような活躍。斎藤先生にお願いすれば何事も完璧にやり遂げた。人材育成でも功績を残し、国会、県会、市会議員や経済界をはじめ、きら星のごとく『斎藤文夫学校』を巣立って今日頑張っておられる」と語った。田中氏は10月27日の衆議院総選挙での当選翌日に報告した際、斎藤氏から「頑張れよ。みんなが期待しているよ」と握手して声をかけられたのが最後の会話だったとも明かした。
通夜、告別式にはあわせて2500人が参列。三原じゅん子こども政策担当相、浅尾慶一郎環境相、坂井学国家公安委員長らも弔問に訪れた。自民党川崎市連会長の嶋崎嘉夫市議は「多方面にわたって活躍された大変偉大な先生。ご冥福を改めてお祈りします」としのんだ。
日本有数の浮世絵収集家
斎藤氏は1928年、砂子で生まれた。宮前小学校で学び、慶応大学を卒業後、藤山愛一郎外相の秘書を経て神奈川県議会議員を務めた。86年には参議院議員に初当選。2期務め、通産政務次官や商工委員長などを歴任した。政界引退後は浮世絵収集に力を注ぎ、日本有数のコレクターとしても知られた。2001年には自宅を改築し、休館する16年まで無料で公開し続け、市の文化発展に尽力。川崎浮世絵ギャラリーの開設につなげ、同ギャラリーの名誉館長に就任した。また、川崎青年会議所(JC)理事長、川崎ロータリークラブ(RC)会長、神奈川県更生保護協会理事長なども務めた。
福田紀彦市長は歴代の市役所職員が指導と助言をもらい、自身も多くの相談をしたと回想。「深い見識と抜群の記憶力を駆使され、過去の経緯を踏まえ、常に正しい方向へと導いてくださった」とし、その一例として2019年に制定した「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」を挙げた。「制定課程においては、差別や分断が決してあってはならない強いメッセージを、幾度となく発し、真の保守政治家としての信念と優しさは私の心に深く刻まれ、大いに勇気付けられた」と振り返った。今後助言を受けることができないことから「次の100年は大きな試練となるが、職員とともに一丸となって先生の愛した川崎がさらによいまちとなるよう歩みを進めてまいりたい。志を引き継ぎ、今後も川崎の発展のために力を尽くす」と誓った。