巨人と阪神の両方に在籍したプロ野球選手、極めて少ないライバル球団間の「禁断の移籍」
FA宣言の大山悠輔に巨人が興味?
プロ野球のFA権行使期間が終了した。14日にFA宣言選手が公示され、15日から全球団との交渉が可能になる。阪神では主砲として2023年の日本一に貢献した大山悠輔内野手(29)がFA権の行使を表明。巨人が調査に乗り出すと報じられている。
巨人が大日本東京野球倶楽部として発足したのが1934年。その翌年に創設されたのが大阪野球倶楽部、後の阪神タイガースだ。
以来、両球団はライバルとして日本のプロ野球人気を牽引してきた。「伝統の一戦」と呼ばれるのは両チームが対戦する試合だけであり、数々の名勝負を繰り広げた。
人気を二分する両チーム間の移籍は極めて少ない。同一リーグということもあるが、それ以上にファンのアレルギー反応が強いため、それを無視してまで望んで移籍する選手は少ないだろう。
もし、大山が巨人に移籍したら…。関西一円の筋金入りの虎党は「裏切られた」と感じるのではないか。巨人のユニフォームを着た大山が甲子園の打席に立てば、痛烈なヤジが飛ぶシーンが目に浮かぶ。
とはいえ、FAは選手が長年プレーして勝ち取った権利。悩みに悩んだ末の決断は尊重されるべきだ。いずにせよ、今後の交渉の成り行きが注目される。
では、巨人と阪神の両チームに在籍した選手はどれくらいいるのだろうか。途中、他球団経由で移籍した選手も含めると、主な選手は以下の通りとなっている。
太田幸司は巨人、阪神で1年ずつプレー
台湾出身の呉昌征は嘉義農林時代に甲子園に出場し、1937年に巨人入り。1942、1943年に首位打者に輝く強打者だったが、1944年に阪神に移籍すると、戦後は投手としてマウンドにも立ち「二刀流」として活躍した。
相羽欣厚は中京商(現中京大中京)から1962年に巨人入団し、南海を経て阪神に移籍。山内新一も三菱重工三原から1968年に巨人入団し、相羽同様、南海を経て阪神に移籍した。通算143勝を挙げた右腕だった。
三沢高時代に夏の甲子園で準優勝し、甘いマスクでアイドル的人気を誇った太田幸司も近鉄入り後、1983年に巨人、1984年に阪神で1年ずつプレー。阪神への移籍は鈴木弘規との交換トレードだった。
笹本信二は同志社大から1974年ドラフト3位で阪神入りし、阪急を経て巨人に移籍。笹本と同じ捕手だった笠間雄二は、1976年ドラフト6位で巨人入りし、阪急、阪神と笹本とは逆のルートを辿った。
江川卓は阪神のユニフォームを着ないまま小林繁と電撃トレード
今もオールドファンの脳裏に焼き付いているのは江川卓だろう。作新学院高時代に「怪物」と呼ばれ、法政大では東京六大学リーグ通算47勝をマーク。1977年ドラフトでクラウンライターの1位指名を拒否してアメリカ留学し、1978年ドラフトの前日に巨人と電撃契約を交わした。
野球協約の虚を突いた反則技に他球団が納得するはずもなく、翌日のドラフト会議では南海、阪神、ロッテ、近鉄が1位指名し、抽選で阪神が交渉権を獲得。しかし、入団を拒む江川の頑なな態度にコミッショナーは「強い要望」とトレードを提案した。
結局、キャンプイン前日の1979年1月31日、阪神は江川と入団契約を交わし、同日中に小林繁と交換トレードするというウルトラCで決着。急遽、タテジマに袖を通した小林は同年の巨人戦で8連勝、シーズン22勝を挙げて最多勝に輝いた。屈辱にまみれた男の意地だった。
石井雅博は箕島高から明治大を経て1982年ドラフト3位で巨人に入団。代打として起用されることが多かったが、1990年オフに鶴見信彦との交換トレードで阪神に移籍し、出番のないまま1年で戦力外となった。
初めて巨人と阪神で4番務めた広澤克実
広澤克実はヤクルトの主砲として活躍し、1994年オフにFAで巨人入り。20本塁打以上放ったシーズンもあったが、徐々に出場機会が減少し、1999年オフに自由契約となったため阪神へ移籍した。巨人と阪神で4番を務めた唯一の打者として、通算306本塁打をマークしている。
石毛博史は巨人時代にクローザーとして活躍したが、1997年に石井浩郎との交換トレードで吉岡雄二とともに近鉄へ移籍し、2003年から阪神で3年間プレーした。
野村克則は2000年、ヤクルトから父・克也が監督を務めていた阪神に移籍。2004年に金銭トレードで巨人入りし、楽天で現役を終えた。同じく捕手の鶴岡一成は横浜から巨人へトレード移籍し、FAでDeNAに復帰したが、FAで加入した久保康友の人的補償で阪神に移籍した。
智弁和歌山で主将として全国制覇した中谷仁は1997年ドラフト1位で阪神入りしたがレギュラーをつかめず、楽天を経て巨人に移籍。山田真介は巨人から広島を経て、喜田剛との交換トレードで阪神に移籍したが、2008年に戦力外となった。
伊達昌司はプリンスホテルから2000年ドラフト2位で阪神に入団。中継ぎとして活躍したが、下柳剛、中村豊との交換トレードで山田勝彦とともに日本ハムへ移籍し、2005年に巨人へ金銭トレードされた。
メイは巨人で2年連続2桁勝利
助っ人外国人にも両チームでプレーした選手がいる。ダリル・メイは阪神と巨人で2年ずつプレー。巨人では2年連続2桁勝利を挙げ、2002年からMLBに復帰した。
ジョージ・アリアスはオリックスの助っ人として来日し、2002年から阪神に移籍。2003年に38本塁打を放って優勝に貢献すると、2005年はアメリカに帰国し、2006年に巨人入りしたものの17試合の出場に終わった。
カイル・ケラーは阪神で2年間プレーし、2024年から巨人に移籍。52試合で2勝2敗1セーブ20ホールドの成績を残した。
山本泰寛は慶応義塾大から2015年ドラフト5位で巨人入りし、2020年オフに金銭トレードで阪神へ移籍。2023年オフに戦力外となり、中日入りした。
馬場皐輔は仙台大から2017年ドラフト1位で阪神に入団したが目立った成績は残せず、2023年の現役ドラフトで巨人へ移籍。2024年は1試合に登板したのみだった。
他球団を経由した移籍や戦力外になったための移籍、「空白の1日」によるトレードなどを除くと、直接の移籍はやはり少ない。過去、巨人と阪神が争奪戦を展開した大物のFAでは、巨人を選んだ清原和博や、近鉄に残留した中村紀洋ら の例がある。実力派のFA宣言が多い今オフは、どんなドラマが待っているだろうか。
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記事:SPAIA編集部