川あり丘あり水路あり!新撰組ゆかりの「日野市」はダイナミックな地形の箱庭【多摩のA面】
東京都の西側、多摩地域全30市町村を歩き回って徹底調査する【多摩のA面/たまらんB面】。第1回は「日野市」。起伏に富んだ地形に、名だたる企業の拠点、動物園に新撰組のふるさと、アニメ『しかのこのこのここしたんたん』の舞台も日野市!?初めて訪ねる人にもおすすめの街の見どころ、【日野市のA面】をレポートします。
高幡まんじゅう松盛堂 本店(たかはたまんじゅうしょうせいどうほんてん)
【多摩のA面/たまらんB面】とは
東京都の西側、23区以外のエリアにあたる多摩地域。このエリアに越してきて日が浅い筆者が、30市町村を1つずつ歩き回って調査!1つの市町村ごとに街の見どころを紹介する【A面】と、気になるテーマを深掘りする【B面】の二部構成でレポートします。
日野市 DATE
面積……27.55平方㎞
人口……18万8477人
多摩モノレールからの見晴らしに心を奪われる
いきなりですが!筆者が多摩地域に越してきて好きになったのが、多摩モノレールからの見晴らし。とりわけ日野市あたりを走るとき、車窓から目を離せないんです。大きくカーブしながら2本の川を渡るあたりのパノラミックな眺望は見もの。遠くの小高い丘の住宅に夕方、灯りがともるのにも生活が感じられ、エモいんです。
最近でいえば、OPテーマがTikTokをにぎわせたアニメ『しかのこのこのここしたんたん』の舞台が日野市。1999年発売、現在入手困難な都市伝説ゲーム『夕闇通り探検隊』にも、日野をモデルとした背景が多用されてるとか。もちろん、外せないのは地元出身の土方歳三……新撰組関係のトピックは、のちほどたっぷりお出しします!
浅川をはさんで北に中央線、南に京王本線
モノレール話の延長で、まずは交通機関のおさらいを。
市の北西部を斜めに通るのがJR中央線。立川駅から多摩川を越えて一駅西が、市名を冠した日野駅。もう一つ西の豊田駅も、車両基地があるため「終点・豊田止まり」でおなじみですね。
一方、市の南部を走るのは、京王線。うち、高幡不動駅は特急停車駅で、京王の多摩動物公園への支線・動物園線も分岐しています。
1998年に開通したのが、冒頭の多摩モノレール。公共交通が手薄だった東部をカバーするように走っています。
クルマ面では、中央自動車道が市を横切り、高速バスに途中から乗れる「日野バス停」も存在。下道の主要道は、国道20号日野バイパスで、夕方通ったところロードサイドの鮮魚専門店『角上魚類』が激混みしていました。
もう1枚、地質の図にお付き合いください。改めて、日野市の形は「左を向いた犬の頭」に似ている(市内ではよく知られたネタだそう)。
市内には、2本の川が貫流。犬の耳から首筋への輪郭を描くのが、多摩川です。一方、犬の「食道」みたいなラインをなぞって多摩川に流れ込む川は、上流の八王子から続く浅川です。
こう見ると日野市って、浅川を境に南北で市域が分かれており、両岸それぞれに小高い丘がある。鉄道路線も浅川の北が中央線、南が京王線で別々ってのもあり、地元の方いわく、南北の行き来は「そんなにない」らしい。カルチャーも微妙に違うのだとか。
せっかくなので、北の丘(日野台地)・真ん中あたり(川沿いの沖積地)・南の丘(多摩丘陵)と3ブロックに分けて、それぞれ歩いてみましょう!
【北の丘】日野台地には名だたるメーカーの拠点がいっぱい!
まずは、北の丘(日野台地)エリアへ。中央線の日野駅はこの高台の東端に位置し、そのホームは、築堤上の高い位置にあります。
駅に近い神明(しんめい)というあたりには、市役所などの公的機関や、実践女子大学のキャンパスが。
立ち寄りたいのが、市が運営する『新選組のふるさと歴史館』。郷土史がよくわかるうえ、ロビーで貸し出しているダンダラ模様の新撰組隊服を羽織れば、気分は一隊士!
いざ西へ、日野台地から極力下りずに散歩してみましょう。
進んでいくと、出た! CM「ヒノノニトン」でおなじみ、トラックなど商用車両メーカー・日野自動車の拠点がありました。
さらに西には、コニカミノルタの研究・生産部門も。ここの行政町名「さくら町」は、同社の前身が開発した「さくら天然色カラーフヰルム」にちなんでいるとか。かと思えば、富士電機の敷地も出現……なんか、大企業の拠点が多くないっすか!?
ここで市の社会科副読本を開いてみると、「日野5社」というキーワードを発見。
前述の3社もその仲間で、いずれも関東大震災後、京浜工業地帯への集中を避け、日野台地に進出してきました。かつてはそれぞれ旧社名のもとに軍需物資を製造していましたが、戦後は民間向けに切り替わったようです(例:戦車を作っていた日野重工業が → 戦後はトラックを作る日野自動車に)。
さて、豊田駅に近づいてきました。筆者は最近まで降りたことがない駅でしたが、これまたバランス型の面白い町なんです。
まずベースには、前述の工場群や車両基地があり「働く人の街」の雰囲気が。そのため、居酒屋やスナックが凝縮した飲食店街もあります。商業面では、「イオンモール多摩平の森」の存在がデカいですね。
豊田は住む場所としての歴史も長く、1958年に竣工した多摩平団地は当時の先進的集合住宅でした。近年はURが、現代的なライフスタイルに合うようリノベを進めています。こりゃ「オール in 豊田」で究極の職住近接ライフを叶えている方も多いのでは……。
【中央部】水路の宝庫! 川沿いの沖積地エリア
今度は真ん中あたり(川沿いの沖積地)を歩きます。このエリアの風景について、市内在住歴の長い知人から聞いていた特徴があります。それは「水路が多いこと」。
実際歩いてみると……本当に日野は水路だらけで、バリエーションも豊か! 親水公園風に整備された水路あり、個人の一軒家に私設橋が渡された水路あり。ところどころ藻なんかも水面に揺れていて、今も清流という証拠ですよね。
先ほど、ホームが高い位置にあると触れた日野駅ですが、実はそのすぐ下にも水路が通っています。この跨線橋に使われているのは、明治期に地元の産業として生産されていた「日野煉瓦」だそう。
川からの水利に恵まれた日野一帯はかつて「多摩の米倉」といわれた水田地帯。その用水の名残が、今の水路群です。同じ多摩地域でも、他の市史を読むと「水に乏しく麦作が主で」……などの記述が多く、これほど潤った土地は近隣じゃレアだったんですかね〜。
また近世、現在のJR日野駅あたりに、甲州街道の「日野宿」が置かれていました。幕府の防衛戦略上、多摩川には橋がなく、渡る手段は「日野の渡し」という船だけ。その手前で、それなりの需要があったのでしょうか。
土方歳三の義兄であり、新撰組の基盤を支えた佐藤彦五郎は、この宿場の名主。六番隊組長・井上源三郎の生家も近く、新撰組と「日野宿」の関係は深そうです。
もっと広域に足を延ばすと、よりバラエティに富んだ水路の数々が。これ以上は水路写真集になっちゃうので、駆け足で!
【南の丘】多摩丘陵を歩きながら動物と人の暮らしに思いをはせる
いよいよ、京王線ゾーン、浅川の南の丘(多摩丘陵)に踏み込みます。
日野市内の京王線で一番新宿寄りの駅として、同名の日本庭園を擁する百草園(もぐさえん)駅がありますが、今日は高幡不動駅からスタート。
高幡不動は正式に「高幡山明王院金剛寺」といい、真言宗の由緒あるお寺。駅からつづく門前街はちょっとした観光地です。また高幡不動が土方歳三の菩提寺ということから、PR面でも“歳三カラー濃厚”です。
生活面でも、暮らしやすそうなコンパクトシティの趣。京王線と多摩モノレールの結節点でもある高幡不動駅には、駅ナカ商業施設「京王高幡SC」や市役所の支所も直結しています。
さて、高幡不動の境内の、土方歳三銅像と五重塔の間に気になる坂道を発見しました。
急勾配を登るとみるみるうちに標高が高くなり、ところどころに設けられた見晴らし台の眺めがまぁいいこと! どうやら、そのまま高台を尾根沿いに「かたらいの道ハイキングコース」なるルートが続いているので、ズンズン進んでみると——。
やがて、立派な一戸建てが立ち並ぶ住宅地に。この辺はおそらく、戦後のとあるタイミングで一斉に丘陵を造成したとみえ、区画も整然としていて、自治会組織もしっかり残っているようでした(門に「班長」など役職の札を掛けたお宅多数)。
ハイキングコースは再び丘陵部の緑地に。そしてここは、多摩動物公園の外周をなぞるルートなんだそうです。へぇ〜、こんな丘の裏側が、まるごと動物公園なのか! 多摩動物公園といえば、コアラやユキヒョウゾーンにたどり着く頃には足がパンパンになるほど、起伏が激しいイメージ。こりゃ納得がいきます。
動物公園の向かいには、『京王れーるランド』など子供向け施設もあり、一帯は「ファミリーで一日楽しめる谷戸」の様相を呈しています。
加えて、付近の程久保という地域には江戸時代から残る伝承も。中野村(現・八王子市)の勝五郎という少年が、「自分は程久保村の藤蔵という子の生まれ変わり」だと告白。どうやらガチだった、という話(超要約)で、国学者・平田篤胤が『勝五郎再生記聞』としてまとめています。
話が脱線しましたが、ハイキングコースを進んでいくうち、夕方に。動物公園で飼育されている鳥のワイルドな鳴き声なんかも聞こえてきて、不安になってきたその時……突然視界が開け、「みはらし公園」と名のついた展望広場に出ました。おぉ〜、その名に違わず美しい! パノラミックに広がる住宅の明かりに、しばし見とれてしまいました。
いや〜本当に、どこを歩いても、息もつかせぬ地形散歩を楽しめる市!
帰りは、中央大学の学生寮があるという南平駅から京王線に。もう一つ西にある平山城址公園駅には、坂東武者・平山季重(すえしげ)ゆかりの史跡もあります。
『高幡まんじゅう松盛堂』の名菓に地元ヒストリーが
ちょっと高幡不動に戻り、地元の定番和菓子の紹介を。
大正7年(1918)、今の京王線が通る前から高幡不動尊の門前に店を構える『高幡まんじゅう松盛堂』の本店で、4代目にあたる峯岸妙華さんにお話を伺いました。
創業当時からある高幡まんじゅうは、つぶしあんの「茶」・こしあんの「白」の2種類。北海道産の小豆など国産原料にこだわり、優しい甘みで長らく親しまれています。
当初は手で包んでいましたが、戦後(1958年)のタイミングで機械を導入して増産体制を整備。同年、多摩動物公園の開園にともない、行楽客が増えることを見越してのことだったそう。
さらに店頭で目を引くのが、新撰組関連のお菓子の数々。自身も幕末史を愛する3代目・峯岸弘行さんが、平成期に次々開発したそうです。時を前後して、2004年の大河ドラマの題材になるなど新撰組コンテンツの勢いは止まらず。今でも聖地巡礼のみやげとして定着しています。
人形焼・土方歳三まんじゅうの中身には、こしあんとクリームのバリエーションが。型の元絵は、歳三と最期を共にした隊士・中島登による肖像画「戦友姿絵」とのこと。考証も本格派です。
そして、個人的に開発秘話を伺いたかったのが、多摩モノレールもなか! もなか一つ一つが、日野市の上空をスイスイ走る、実際の車両にそっくりなんです。
発案は、1998年のモノレール開通に先立つころ。3代目・弘行さんが、すでにあった「江ノ電もなか」「都電もなか」といった“車両系もなか”を作る和菓子店に視察を重ねたそう。他方、多摩モノレールの事業者サイドとも開業前に情報交換を進め、現在も走る1000系をきれいに模した金型が完成しました。
そして、4代目・妙華さんが展開中という、新しい試みも。
「本店から歩いて数分の本工場の隣に、週末の曜日限定で『あんこ屋』という新店舗を開いています。バンケーキ生地にあんをはさんだ『PANDORA』という和洋菓子が人気です」
なんと、令和・SNS時代の参道散歩のおともにふさわしいネオ和菓子まで……!
地元名菓の話を伺いつつ、なんだか日野市南部エリアの歴史を総まくりしたような!
感慨に浸りながら、またも多摩モノレールからの車窓に見とれつつ、家路につきました。
高幡まんじゅう松盛堂 本店(たかはたまんじゅうしょうせいどうほんてん)
住所:東京都日野市高幡1-1/営業時間:9:00〜17:00/定休日:無/アクセス:京王電鉄京王線・多摩都市モノレール高幡不動駅から徒歩3分
【オマケ①】産直チェック!「ひの樽トマト」
JA東京みなみが運営する直売所『Farmer’s market東京 みなみの恵み』にも立ち寄り。日野では、夏にはブルーベリー、秋には梨なんかもとれるようですが……「ひの樽(たる)トマト」という、市名を冠したトマトを買ってみました。
「樽」というのは樽状の特殊な栽培容器のことだそう。なるほど!甘みがあって、トマトの中の仕切りみたいな部分(隔壁というのか)もシャリシャリ!おいしいです。
【オマケ②】新撰組推しすぎて……こんなところにダンダラ模様
新撰組ゆかりの地、日野。ドラマなどで隊士たちが羽織る制服の柄として、浅葱(水色に近い青)の時に白いダンダラ模様(山型模様)がおなじみですが……街中のあらゆるデザインに取り入れられるのは日野あるある!? 一挙にどうぞ!
取材・文・撮影=イーピャオ
イーピャオ
ライター
1989年東京都生まれ。週刊少年ジャンプのコラム「巻末解放区!WEEKLY週ちゃん」を連載中。小山ゆうじろう氏との漫画『とんかつDJアゲ太郎』で原案担当。個人冊子レーベル「いきいき発信プラザ21」にてZINE「多摩と酒」などを発行しています。