アメリカを超越して日本が辿り着いた“ジャパントラッドデニム”の現在地
「宇宙一美しいデニム」。星の数ほどのデニムを見てきたであろうファッション ライフスタイル コンサルタント・大坪洋介氏が「コールマイン ギャランティード」のデニムを指してこう言った。「サンタセッ」のデザイナー・大貫達正氏と手掛ける同ブランドの作品に秘められた、美しさの秘密をふたりで語り合ってもらった。
日本が積み重ねてきた「匠」の技を継承する
日本デニム界の両雄がタッグを組んで始動した「コールマイン ギャランティード」(以下、コールマイン)。「日本でしか作れない世界最高のデニムを作った」と語るふたりも、かつてはアメリカに夢中だったはず。なぜいま「日本製」にこだわるのか。
大貫 確かに始まりはアメリカ製で、小学校3年生のころに[501]を買ったのがきっかけでしたね。
大坪 僕は60年代、中学生のころ。ジーンズ店のお兄さんお姉さんがかっこよくて通い始めて、色々教えてもらうなかで[501]を知った。というか、まだ日本製っていう概念がなかったよね?
大貫 なかったですね。むしろアメリカ製しかなかった。でも、ちょうどこのころ、60年代から80年代ごろにかけて、日本でも「いいデニムを作ろう」っていう考え方が生まれ始めてましたよね。
大坪 90年代に入ると、空前のヴィンテージブームで。そのころから旧きよきアメリカのジーンズを再現しようと試みる日本のブランドが出てきた。どのブランドも、ものすごい研究熱心でしたよ。
大貫 それでも僕にはアメリカ古着が一番だったので、日本の新品はあまり通らなかったんです。ただ、60年代ごろから徐々に高まっていった日本のものづくりに対する意識とか、90年代に爆発したヴィンテージ研究へのこだわりとか、それに伴う生産背景の進化とか。そうやって積み重ねられてきたものが、日本のものづくりの文化なんですよ。
大坪 「コールマイン」は、ただ消費されるためのデニムではなくて、そういう日本の「匠」としての文化を継承していくための伝統工芸品になっていかなくてはいけない。
大貫 むしろ普通のものを作ろうと思ったら、工賃も縫製も高いし、いま日本はどこの国にも勝てません。日本でものづくりをする意味は、その「匠」だけにある、と言っても過言ではない。僕らもヴィンテージは好きだけど、それを「再現しよう」という気はなくて、いまや「匠」になった日本の文化を継承していくために始めました。
「匠」としての日本製であり、それ以外に意味はない
大坪 「芸術」と「匠」の間と言えば伝わるでしょうか。作家さんが作る器みたいな感覚で作っているというか。
大貫 でもヴィンテージのいいディテールは取り入れたいと思っているので、デニムがもっとも美しかったころと同じ背景で作っています。デニムが良質な時代を、1900年代初頭から1970年代までと捉えているんですが、その期間「リーバイス」が持っていたものと同じ鉄製ミシンを、15台使って縫っています。
大坪 しかもそのミシンを使う職人がこれまたすごい人なんだよね。
大貫 そうですね。ものづくりに携わる人なら、知っている人は知っている鴨川陽介という職人で、「コールマイン」は、裁断、縫製、リベット打ち、彼がひとりで手掛けていています。とにかく彼のステッチワークは見惚れるほど美しい。「コールマイン」が求めるクオリティは、彼の力なくしてはあり得ませんでした。超頑固だけど(笑)。
大坪 大貫さんもすごい気を使ってるよね(笑)
大貫 とにかく僕らは、「ヴィンテージデニムを超える」ということをやっていかなきゃいけない。越えられないこともあるけど、ヴィンテージを完全に理解して、設備を最高の状態に整えて、それを美しいデザインやディテールで昇華させるってことをやってるから、いままでなかったものにはなってると思います。
大坪 「文化継承」というこれ以上ない美しい価値観で作っています。こんなこと、日本じゃないとできないよね。