咲貴流家元咲貴(さかき)晴若(はるわか)さん 文化や伝統を次世代へ 小学生踊り子と舞台へ
川崎市内を拠点に活動する日本舞踊咲高流の家元・咲貴晴若さんが大島劇場(川崎区大島)で開催された「鳳翔座」に弟子で小学1年=当時=の踊り子と特別出演した。咲貴さんは、子どもたちに貴重な経験を積んでもらいつつ、大衆劇業の灯を絶やさないようにしたいと文化継承に力を注ぐ。
咲貴さんは川崎市内で生まれ、市内を中心に約33年間、舞踊家として現在も活躍する。咲貴流は藤坂流の分家で2005年に独立。地域の祭りや文化祭出演など、文化を通じた地域への貢献が評価され、川崎市文化協会文化祭奨励賞を受賞。現在は舞台出演の傍ら、弟子たちを育成する。
大島劇場での3月26日の公演が決まった際、咲貴さんは、区内在住で小学2年の茂木(もてぎ)芽衣さんを踊り手として出演させることを決めた。茂木さんは4歳の頃に同劇場で大衆演劇に出会い「大衆演劇の役者になりたい」という夢を抱く。咲貴流には5歳から入門し、週に2回ほど、師の咲貴さんと稽古に励んでいる。咲貴さんは、音への反応が良く大人びた歌詞も少しずつ理解する茂木さんに期待をかけている。
大衆劇場の灯消さない
大島劇場は1950年に創業し、さまざまな劇団が月ごとに公演を行い、日替わりで演出を変えたりと芝居を楽しむことができる大衆劇場。川崎区内にはかつて18の大衆劇場があったが、ほかの娯楽の広がりなどにより、現在は同劇場のみとなった。咲貴さんは舞台出演を契機に何とか大衆劇場を盛り上げたいとの思いがあったと話した。
公演当日、咲貴さんは女形として2曲踊り、茂木さんは江戸時代から続く「木遣りくずし」という祭りを楽しむ町娘など全2曲を披露した。子ども8人含む約70人の観客が集まり、芽衣さんの妖艶な表現の踊りに魅了された。公演を映像で振り返った茂木さんは「楽しかったけど、ゼロ点だった」と自己採点。表情への意識が欠けたと反省した。5月25日(日)にはサロン・ド・バンブー(川崎区大師駅前)への出演に向けて茂木さんは稽古を重ねる。
国立劇場再開署名にも参加
現在、咲貴さんは公益社団法人日本舞踊協会(近藤誠一会長)らが中心となって展開する国立劇場の再開を求める要望書の活動にも賛同。市内を中心に100人の署名を集めるなど、精力的に取り組む。国立劇場をめぐっては再整備を行うため、2023年10月末から閉場。資材高騰などを背景に入札不調が続き、再開の目途が立っていない。公演を終え「小さな子の舞踊に興味を持っていただいたり、残された劇場への出演やご縁に感謝したい」と咲貴さん。「自分の出来ることから文化の継承を行っていきたい」と語る。