来日記念!これだけは聴いておきたいエリック・クラプトンの歴史的名盤「アンプラグド」
2025年4月、80歳を迎えたエリック・クラプトンの日本武道館公演が開催された。1974年以来、半世紀にわたって日本のステージに立ってきたクラプトンの魅力とは何なのか。今回、Re:minder では『来日記念!これだけは聴いておきたいエリック・クラプトンの名作アルバム』と題して5枚のアルバムを紹介する。最後はもちろん、世界で最も売れたライブアルバムとしても有名な「アンプラグド〜アコースティック・クラプトン」(Unplugged)をピックアップします。
ライブアルバム「アンプラグド」
“こんなのクラプトンじゃねぇし、ブルーズでもねぇや!”
33年前、苦虫をかみつぶしたような顔で吐き捨てた、音楽好きの先輩がいた。私は当時大学を出て放送業界に入ったばかりの深夜番組のAD。その先輩はディレクターで、ロックとブルース(本人は必ずブルー “ズ” と言っていた)が大好き。特にクリームがお気に入りで、私も好きだったからお互いウマが合った。
当時は小室サウンドやビーイング全盛のころ。すぐハヤリに流される業界人たちの中で、古いブルースの話で盛り上がっている若いテレビマンなんてほとんどいなかった。今思えば先輩にとって、私は貴重な話し相手だったのだ。その先輩が怒ったのが、1992年、エリック・クラプトンのライブアルバム『アンプラグド〜アコースティック・クラプトン』(以下:アンプラグド)がリリースされたときのこと。冒頭のセリフは、その際に先輩が発した言葉だ。先輩はクラプトンを敬愛していたので、この発言には驚いた。
CD化の予定はなかったパフォーマンス
クラプトンの全アルバムの中で、最大のセールスを記録した『アンプラグド』。もともとこのアルバムは、米MTVの番組『MTVアンプラグド』でクラプトンが披露したパフォーマンスを収録したもので、CD化の予定はなかったという。『アンプラグド』とは “プラグを挿さない” という意味で、出演アーティストがスタジオライブ形式でアコースティック中心の演奏を聴かせるMTVの特番だった。
この番組は、まさにクラプトンのために企画されたんじゃないか? というぐらい彼のパフォーマンスは『アンプラグド』にハマっていた。今でこそ、普段エレキギターをかき鳴らしている大物アーティストがアコースティックライブを行う例は珍しくないが、それが一般的になったのは間違いなくクラプトンのおかげだ。『MTVアンプラグド』放送後、CD化の要望が殺到し、リリースしたら世界中で驚異的なセールスを記録。
『アンプラグド』は全米1位のセールスを記録しただけでなく、翌1993年2月に開催された第35回グラミー賞で “年間最優秀アルバム賞” と “最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞” を受賞。さらに収録曲の「ティアーズ・イン・ヘブン」は “年間最優秀レコード” に輝き、「いとしのレイラ」(Layla)は “最優秀ロックソング” に輝いた。他の賞も加えて最終的に6冠を獲得するなんて思ってもみなかっただろう。授賞式でトロフィーを腕いっぱいに抱え、“なんでこんなに売れたんだ?” とクラプトンが戸惑いの表情を見せたのも無理はない。
で、先輩の話に戻ろう。いま思うに、先輩はクラプトンの原曲アレンジの手法が気に入らなかったというよりも、こういうメジャーな売れ方をしたことがお気に召さなかったようだ。なんたって “世界で一番売れたライブアルバム” だもんね。でも先輩、申し訳ない。私はこのアルバムが気に入って、CDウォークマン(懐かしー)でこっそりヘビロテしていた。そんなことは先輩の前ではとても言えなかったけれど。
「アンプラグド」が驚異的に売れた理由
さて、時代背景とアルバム発売の経緯についてはこのぐらいにして、内容の話に移ろう。『アンプラグド』を聴くたびに思うのは、クラプトンと観客の “距離の近さ” だ。彼ぐらいのアーティストになると、そのへんのライブハウスで気楽に歌うわけにはいかないが、このアルバムではそれが実現されている。そして、この観客がまたいいオーディエンスなんだよね。このアルバムを名盤たらしめている重要な要素だ。
もし観客を入れず、クラプトンがスタジオで自分の好きなブルースをひたすら演奏し歌うだけだったら、もっと泥臭くマニアックな音になり、こんなに聴きやすいサウンドにはならなかったはずだ。顔が見える位置にオーディエンスがいることで、クラプトンのエンターテイナーとしての血が騒ぐ。“この観客をギター1本で、いっちょ沸かせてやろうじゃねェか”。先輩は泥臭さを抑えて淡々と歌うアレンジを大衆迎合と感じたようだが、私は “ブルースをこんなふうに演るなんて、すんげぇオシャレ!” と思った。本作が驚異的に売れた理由は、実はそこにあると思う。
それでいてブルースの本筋を外していないところが、さすがクラプトン。1曲目はボサノバ風の軽快なインスト曲「サイン」でサラッと入っておいて、2・3曲目は「ビフォー・ユー・アキューズ・ミー」「ヘイ・ヘイ」と1950年代のブルースナンバーを披露。ああ、水割りが欲しくなる(笑)
息子への追悼曲「ティアーズ・イン・ヘブン」
続く4曲目は、しっとり聴かせるオリジナル曲「ティアーズ・イン・ヘブン」。世界的大ヒットとなったこの曲の背景については、皆さんもよくご存じだろう。1986年、イタリア人女優との間に男児を授かったクラプトン。その愛児・コナー君は、1991年3月、高層アパートの53階にあった母親の自宅に遊びに行った際に誤って踊り場から転落。4歳半の短い生涯を閉じた。
悲嘆にくれ、自宅に引きこもってしまったクラプトン。全世界のファンが “酒やドラッグにまた溺れなければいいが…” と心配したが、クラプトンは息子への追悼曲を書くことで悲しみから立ち直った。その曲が、映画『ラッシュ』の主題歌となった「ティアーズ・イン・ヘブン」である。この話は有名だけれど、『アンプラグド』でのパフォーマンスはそんな悲劇があった翌年のことだ。だからこそ、天国の息子に語りかけるような歌と演奏は万人の胸を打つ。
6曲目「ノーバディ・ノウズ・ユー」(オリジナルは1923年、ジミー・コックス)と7曲目「いとしのレイラ」は、デレク&ザ・ドミノス時代にレコーディングした曲。この「いとしのレイラ」も先輩は “なんだよ、この歌い方!” と怒ってたなぁ。でもオリジナルバージョンよりもブルージーで、個人的にはこっちのほうがクラプトンの思いが伝わってくる。
ジョージ・ハリスンを全面サポートしたクラプトン
「いとしのレイラ」といえば… 1991年暮れ、クラプトンはこの曲を書くきっかけを作った親友ジョージ・ハリスンとともに来日。“日本限定” のジョイントライブを行っている。1974年以来、長らくライブから離れていたジョージをステージに復帰させ、全面サポートしたクラプトン。愛息を失ったその年に、である。自分が辛い時期でも、親友のためにひと肌脱いだ彼が歌うからこそ、このスローな「いとしのレイラ」は余計に心に沁みる。
ジャグバンドっぽい10曲目「アルバータ」、レイドバックしたピアノとカズーが印象的な11曲目「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」も聴いているだけで楽しくなるナンバーで、本当はクラプトン、こういう肩の力を抜いた曲が好きなんだろうなぁ。何より本人が演奏を楽しんでいるのがよくわかる。
ブルースはオーディエンスと一体となって歌うもの
そんなこんなを楽しんでいるうちに、最後の1曲がやって来る。ドブロギターで奏でる14曲目「ローリン・アンド・タンブリン」はクリーム時代にもカバーしたマディ・ウォーターズの名曲だ。最後をド直球のブルースナンバーで締めくくるあたり、クラプトンの “そこだけは譲らないぜ” という心意気を感じるし、この曲が始まると同時に拍手を始める観客も最高だ。クリーム好きの先輩も “この曲だけは許す” と言っていた(笑)。あのー、先輩、私は知ってますよ。あなたがこっそり弾き語りで「ティアーズ・イン・ヘブン」を『アンプラグド』風にコピーしていたことを。もう30年近く逢っていないが、今どうしているんだろう?
クラプトンが大好きなブルースを、ミニマルなバンド編成で、肩肘張らずに歌ってみせた『アンプラグド』。観客が名演をアシストし、クラプトン自身もあらためて “ライブを演る楽しさ” を実感したんじゃないか。でなければ、通算110回も日本武道館で演らないだろう。ブルースはオーディエンスと一体となって歌うもの。プラグなんか繋がなくても、アーティストと観客の心が繋がっていればそれで十分。『アンプラグド』はそのことを教えてくれる名盤である。