【スポーツ選手と引退】ピッチを去るサッカー元日本代表の歩みを振り返りながらセカンドキャリアについて考えよう
静岡トピックスを勉強する時間「3時のドリル」。今回のテーマは「スポーツ選手と引退」。先生役は静岡新聞の寺田拓馬運動部長です。(SBSラジオ・ゴゴボラケのコーナー「3時のドリル」 2024年12月26日放送)
(寺田)2024年はサッカー界で一時代を築いた名選手の引退が相次ぎました。今回は今年1年間で現役引退を表明した選手たちの歩みを振り返りながら、スポーツ選手と引退について考えてみたいと思います。
まずは長谷部誠さん。藤枝東高出身で日本代表で歴代最多の81試合で主将を務め、W杯は3大会連続で出場。J1浦和からドイツに渡って40歳まで第一線で活躍しました。
「難しい決断だったが、いつかこの時が来ると思っていた。今が正しいタイミングだと思う」と4月に引退を表明しました。引退会見では「自分のキャリアに全く後悔はない。大きな満足とともに終えられた」と22年の現役生活を振り返っていましたね。
長谷部さんのプレースタイルってどんな印象ですか?
(山田)真面目。リーダー。ミスが少ない印象ですね。
(寺田)敵陣にボールを運ぶ推進力だけでなく、読みの鋭さと確かな戦術眼を兼ね備えていました。決して派手さはないんですけど、代表でも所属チームでも、また指揮官が替わっても自身に求められている役割を理解して、ピッチで忠実に表現して信頼を獲得してきました。
(山田)ピッチの中にいる監督のようでしたね。
(寺田)藤枝東高で指導した恩師の服部さんに話を聞いたことがあるんですが、「1、2年の頃の長谷部は全く記憶にない」というほど影が薄い存在だったんですって。
長谷部さんと言えば、サッカーに対する真摯な姿勢ですよね。代表で活躍しても決しておごらない、そういうひたむきさと真面目さが原動力になったのではと服部さんは話していました。
第二の人生では指導者を目指すと明言していて、すでに日本代表のコーチに就任しました。ぜひ、経験と能力を生かし、将来は代表の指揮を執る監督になって日本サッカーの発展に貢献してもらいたいですよね。
オカちゃんも指導者に
(寺田)次は、代表で歴代3位の通算50ゴールを挙げた元J1清水のFW岡崎慎司さん。6月に38歳で引退会見を開きました。岡崎さんと言えば代名詞は?
(山田)最後まで走りぬいて、ガッツがあって…。失礼ですけど、ものすごいうまいイメージはなくて。でも、出てきたら何かやってくれそうな雰囲気がありました。
(寺田)がむしゃらなダイビングヘッドも持ち味でしたよね。清水から欧州に移籍した後、イングランドでも活躍し、プレミアリーグ優勝に貢献しました。
引退のタイミングについて、先ほどの長谷部さんは「実際はまだプレーできる自信はあるが、次のステップに進む時期だと思う」と引退を決めましたが、一方の岡崎さんはもう右膝が限界だったようです。
痛みがひどくて昨年末にはプレーできない状態になって、「サッカー人生で初めてやめたいと思った。今まで諦めたことは1度もなかった。これが引退なのかな」と振り返りました。
岡崎さんも次の夢はW杯で采配を振るうことだそうで、「日本代表の監督になって、あの舞台で優勝を目指す」と。ドイツでアマチュアクラブの監督に就任して指導を始めています。
テルさんは50歳で引退
(寺田)10月末には元代表でJ3沼津の現役最年長Jリーガーだった伊東輝悦さんが50歳で引退を表明しました。
テルさんは静岡市清水区出身で当時の東海大一高から清水に入団して18年間プレー。なんと言っても、1996年のアトランタ五輪のブラジル戦で決勝点を挙げ、日本が1−0で勝利した「マイアミの奇跡」の立役者ですよね。
(山田)印象深い人も多いでしょうね。
(寺田)50歳で、私と同じ年ですからね(笑)。Jリーグの初年度1993年からプレーを続けた鉄人は「50歳までプレーを続けられて幸せだった。サッカーに出会えて良かったし、やりきった」と晴れやかな表情の引退会見でした。
(山田)50歳までやれる選手はほんの一握りですもんね。
山田大記さんは社会貢献活動に尽力
(寺田)ジュビロ磐田の山田大記さんも引退しました。藤枝東高出身で、国内では磐田一筋で12年間プレーしました。
(山田)僕がSBSラジオで初めてインタビューしたのは山田さんでした。
(寺田)今季主将を務め、最後の最後まで残留を争ったんですが、残念。J2に降格してしまいました。引退を決めて臨んだ35歳の山田さんは最後にJ1残留を決めたかったでしょうが、引退セレモニーでは「最高に幸せなサッカー人生でした」とあいさつしました。
山田さんは経済的に困難な状況にある子どもを支援するための一般社団法人をチームメートと設立して、現役中から積極的に社会貢献活動をしてきました。今後はサッカー界だけじゃなく、幅広く活動するのかもしれません。この山田さんの第二の人生にも注目していきたいですね。
このほかにも、元代表の万能型ストライカー高原直泰さん。三島市出身で清水東高から磐田に入団し、23歳でJリーグ史上最年少得点王に輝き、最優秀選手(MVP)を獲得しました。
この高原さん、海外でもプレーしましたが、J1、J2、J3からJFLまですべてのカテゴリーでプレーを続けたんです。今季は自ら創設した沖縄SVで最高責任者(CEO)と監督、選手の「3足のわらじ」でクラブを率いていたんですが、選手としては今季限りということです。「好きなことばかりやっていられない。44歳までなんとかやれた。もう十分だろう」と来季からはCEOとして経営に専念するそうです。
ほかにも多くの名手たちが引退
さらに、元代表で国際Aマッチ歴代最多の152試合に出場した遠藤保仁さんも1月に引退表明しました。磐田で現役にピリオドを打ち、今季からG大阪のコーチに就任。同じく元磐田で代表でも活躍した松井大輔さんも引退。遠藤さんは43歳、松井さんは42歳でした。
県内関係以外だと、稲本潤一さん45歳、中村憲剛さん44歳、元スペイン代表で神戸に所属したイニエスタさんも40歳で引退しました。
(山田)最近は毎週のように引退試合が行われていましたね。
Jリーガーの平均年齢って?
(寺田)ところでJリーグ全体、J1からJ3までの選手の平均年齢って何歳くらいだと思います?
(山田)テルさんは珍しいとして…。30・5歳は⁉️
(寺田)実は26歳くらいなんですよ。つまり、多くの選手が30歳手前で引退というか解雇になるんです。引退試合を開催できる選手なんてほんの一握り。
有名な選手たちは40歳ぐらいまで現役を続け、その先もサッカー関連の仕事に就く道が開かれていますが、20代で引退というか、解雇になった選手は、ほどんどがサッカーとは別の道を自分で見つける必要があります。
例えば、島田市のお寺にはジュビロ磐田の下部組織出身でJリーグでもプレーした五藤晴貴さんという僧侶がいるんですよ。五藤さんは旧姓は梅村さんで、静岡市葵区の出身。まだ20代でユニホームを法衣に変えて、頭も丸めて第二の人生のピッチに立っています。
奥様がお寺の三姉妹の末っ子で縁があったそうですが、僧侶としての資格取得のため2年あまりの修行を経てお寺に入ったそうです。
「セカンドキャリアとして違った世界を見ることができ、わくわくの方が大きい。コロナ禍もあって寺でのイベントが減り寺離れが進む中、県内のJリーグクラブの選手やサポーターを応援する催しで、サッカーに恩返ししたい」って張り切っています。
中央静岡ヤクルト販売の社長に37歳で就任した中村祐輝さんも元ジュビロ磐田のFWでした。現役引退後、一からビジネスを学んで家業を継ぎました。中村さんは「引退後の人生の方が長い」と、現役時代からキャリアビジョンを思い描いていて、父から会社を継ぐことを意識していたそうです。入社後、ヤクルト本社に3年間出向し、営業、採用、物流などさまざまな業務を学んだんですって。
「サッカーチームも会社も所属する人それぞれに役割がある。誰もが頑張れて、勤めて良かったと思える会社にしたい」と。みんな、そういう会社で働きたいですよね。
セカンドキャリア支援策も
五藤さんと中村さんの第二の人生での活躍を静岡新聞で紹介したんですが、こういうJリーガーのセカンドキャリアが記事になるってことはそれだけ珍しいってことの裏返しでもあるんです。うまくいかない事例も数多くあるのが実情なんです。
これだけ人手不足が叫ばれる時代に、スポーツ分野で活躍した人材を活用できないのは社会として不幸ですよね。
(山田)僕はバスケットボール選手で、引退してサラリーマンをやっている方を知っています。「USBを差す場所が分からない、そこから始まった」と。スポーツ選手もワードやエクセルぐらいは使えるようにしておいた方がいいと話していました。
(寺田)静岡県も「しずおか版スポーツ産業ビジョン」を新たに策定し、スポーツ選手のセカンドキャリア支援に取り組む方針を持っているんですが、引退してからセカンドキャリアを考えるんじゃ遅いと思うんですよね。
インターハイの水泳の取材に行った時に、ある選手から「僕、大学で水泳を続けるか迷ってるんです」ってミックスゾーンで相談を受けたことがあります。「その相談、俺ににする?」って感じですけどね(笑)。高校3年なので競技をやめて受験勉強に専念しようか、もう少し水泳を頑張ってみようかって。
門努さんならどうアドバイスします?
(山田)難しいですねえ。
(寺田)僕はいきなりで面食らったんですが、私が伝えたのは「水泳か勉強かって単純な2択じゃないよ」と。「両方とも君の人生に必要な要素なんじゃないの?両立できないか、よく考えてみたほうがいいよ」とアドバイスしたんです。響いたかどうかは分かりませんが(笑)
デュアルキャリアの考え方
(寺田)「デュアルキャリア」という考え方はご存知ですか。「デュアル」って「二重」を意味する英語で、競技者としての人生と引退した後を含む「人」としての人生を並行して歩むっていうアスリートのキャリア形成の考え方なんですね。
スポーツ選手の道を歩み始めた時点からキャリア形成を開始して、引退後まで計画的にキャリアプランを進めていくことを目指すんです。
国のスポーツ庁もエリート選手を対象に取り組みを始めているんですが、まだ社会的な認知度は低いですし、「この人みたいになりたい」というお手本になるようなロールモデルはまだ見当たらない状況です。
海外のプロチームにはキャリアコーチという役割の人がいて、セカンドキャリアサポートを手厚くし、選手の不安を取り除くことでパフォーマンスが上がるのが常識という考えもあるそうです。
スポーツ先進国のフランスでは、「スポーツコード」という法律があって、公務員試験の年齢制限の排除とか、大学の学業期間の延長、試験でボーナス得点の加算とか、スポーツ選手がセカンドキャリアを得るために不利にならないよう法律で定められてるんだそうです。日本でも中高生からプロ選手まで、引退後を見据えたキャリア形成を支援する社会的な仕組みが必要だと思います。
全国高校サッカー選手権で藤枝東が準優勝した時
(山田)大学まで出たスポーツ選手が、自分の名前をアルファベットで書けなかったという話も聞いたことがあります(笑)
(寺田)元々日本には古来から「文武両道」って考え方がありますよね。スポーツ選手でもしっかり勉強して世の中のことを広く知っておくことは必要だと思います。
サッカー選手だって海外で活躍するには語学が必要ですし、チームメートはもちろん、監督やスタッフとのコミュニケーション能力が求められますよね。長谷部さんがチームや監督が替わっても求められていることを理解しピッチで表現したように、一流選手になるならなおさら学習能力が必要ですよね。
これまで私が取材してきた経験からも、人間として周囲と信頼関係を築くことができない選手は大成しないと思います。
これも長谷部さんの恩師服部さんの逸話でだいぶ前のことなんですが、藤枝東高の監督時代、全国選手権の決勝に進出した時、相手チームは試合前1週間を完全非公開で練習したんです。ところが、藤枝東は報道陣にフルオープンで練習を続け、選手たちは授業にも普通に出席していました。
もちろん、私立と公立の違いはありますが、「なぜ非公開にしないんですか?」と服部さんに尋ねたら「この中に将来は新聞記者になりたいって思う子がいるかもしれない。今後のためにも社会のことを知ることが重要だ」っておっしゃったんです。
(山田)いやー、いい話。
(寺田)藤枝東は残念ながら決勝は敗れましたが、やっぱり服部さんは監督というだけじゃなく、教育者なんだって思いました。勝敗だけじゃなく、選手の将来を考えてたんですね。
スポーツエリートを育てる幼少期からの指導も大切ですが、引退後まで自分の人生をどう歩むか、自分で考えることが大切なのではないかと思います。同時にスポーツを通じて自分がどう生きるか、学ぶことも多いと思うんですよね。
デュアルキャリアでスポーツに打ち込みながら、その先の人生についても考える。特に中高生に対しては、周りの大人が目先の結果だけではなく、将来まで見通した導きとサポートをするべきではないでしょうか。
(山田)なるほど。自分が“現役引退”した時のことも考えていかないと。今日の勉強はこれでおしまい!