特別支援学級で学ぶ理由は「発達障害だから」じゃない。診断名ではなく「特性」として伝える母の想い【障害告知】
監修:初川久美子
臨床心理士・公認心理師/東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
診断名ではなく、「特性」として伝える
わが家には、中2の姉子、小5のハジュ、発達障害のある子どもが2人います。けれど、今のところ「ASD(自閉スペクトラム症)」「発達障害」といった言葉を直接本人たちに伝えたことはありません。
その代わりに、本人の感じ方や得意なことや苦手に合わせた環境の話を、必要なタイミングで少しずつ伝えてきました。たとえば、ハジュは入学時点でまだオムツを履いていたので、特別支援学級の近くにある広いトイレのほうが使いやすいこと。また、大勢の中にいるよりも、少ない人数のほうが安心できて、自分の力を発揮しやすいことを話しました。
おしゃべりも上手で、特に算数が得意なハジュは一見何も困っていないように見えるので、周囲の一部の子たちから「なんでハジュくんは特別支援学級なの?」と聞かれる場面もあります。そんなときに本人が答えに困らないよう、私たち夫婦とハジュであらかじめ話し合っておくようにしていました。
私は、ハジュに「自閉症だから特別支援学級にいる」とは言ってほしくないと思っています。そういう理由付けが、自分の可能性を狭めてしまうかもしれないと考えたからです。むしろ「僕は少ない人数のほうが集中できるから」「この教室のほうが安心できるから」と、自分の特性に合った環境を自分で選んでいる、そんな前向きな捉え方ができるように日々の中で少しずつ言葉をかけるようにしています。
合う環境を一緒に見つける
長女の姉子も、途中から特別支援学級に転籍しました。小学校4年生頃までは、ほとんど母子登校や不登校で「学校がしんどい」と感じていた時期が長くありました。
そんな姉子には「姉子はいろいろなことの感じ方が人とはちょっと違うところがあるから、大勢の中にいると疲れちゃうよね。特別支援学級は、少ない人数で落ち着いて過ごせるところなんだよ」と説明しました。すると「そういう場所なら、学校に行ってみたい」と、自分から前向きな一歩を踏み出してくれたのです。
このように、わが家では「障害名」ではなく「特性」に焦点を当てて説明することを大切にしています。「あなたにはこういう特性があるよ」「だから、こういう環境が合うかもよ」「こうすればできるようになるかもね」と、その子自身の生きやすさを一緒に考えていく。名前をつけてラベルを貼るのではなく、自分の“らしさ”として知ってもらう。そんな伝え方ができればと思っています。
「受け止める」ってそんな簡単じゃない
もちろん、そのためには親自身がわが子の障害を受け止めることが大前提になります。でも……私自身、完全に受け止められているかと言えば、正直まだそこまで達していないかもしれません。育児を始めて14年目になりますが、今も心のどこかで「なにかの間違いじゃないかな」と思ってしまう自分もいます。否定と肯定、両方の気持ちを行き来しながら、それでも「この子たちの今」を大事にして前を向いていく……そんな日々です。
特性を知るための一つの手がかりとして…
最近はインターネットやSNSで検索すれば、診断名や特性などの情報を得ることができます。もしかしたら姉子も、自分が「ASD(自閉スペクトラム症)」であることを知っているかもしれません。でも、それによって「私は発達障害だからできないんだ」と思い込んでほしくはありません。だから日頃から「姉子はこういうことが苦手だけど、こうすればうまくいくよ」「工夫すればできるようになるよ」と伝えています。
障害名を伝えること自体を避けているわけではありません。必要なときには名前としての診断も一緒に受け止められるよう、少しずつ準備をしていけたらと思っています。
小さな一歩にたくさんの可能性
あくまで大切にしたいのは、名前よりも、その子が「どう感じて」「どうすれば自分らしく過ごせるか」を一緒に考えていくこと。「発達障害だから仕方がない」ではなく、「発達障害という特性があるからこそ、乗り越えるための工夫ができる」「苦手なことにも向き合える」そんな風に自分の特性と付き合えるようになってくれたら、と願っています。
苦手を理由に自信を失うのではなく、特性による壁を乗り越えるたびに「できた!」という経験を重ねていける子に。そのために、今できることは何か。その子自身が「私は私のままで大丈夫」と思えるような伝え方を、これからも模索していきたいと思っています。
執筆/スパ山
(監修:初川先生より)
お子さん方(姉子ちゃん、ハジュくん)にどう特性を伝えてきたかの経過と思いのシェアをありがとうございます。診断名で説明していくのではなく、まずはお子さんの特性について説明する。特別支援学級の所属していることを、環境的な得意不得意から説明していく。とても素晴らしい工夫ですし、私も子どもたちへの障害告知について保護者の方から相談を受けた場合にはそのあたりから進めていくことを提案することが多いです。
スパ山さんが書かれている通りに、診断名・障害名で説明することはお子さんにはまだ合わない(「早い」も含む)ように感じます。日々の生活の実態に応じて、困りごとに応じて、お子さんの特性について説明すること、それをフォローする(補う)ための手立てや工夫も一緒に伝えること。こうした生活や発達段階に即した伝え方がまずあると思います。
そして、診断名・障害名については、「発達障害だから」「自閉症だから」というのは、支援者の立場からすると、実はとても不足のある説明方法だと感じます。発達障害といえども、その特性や症状、困りごとの呈し方は人それぞれです。ましてや、環境側の工夫や調整によっても様子はだいぶ変わります。そうしたあたりに何も考慮のないままに、「発達障害だから」等伝えることは、発達障害やその他診断名が指し示すものがまだつかみにくい子どもたちにとってはやや乱暴な(自由解釈の余地がありすぎる)説明だと思います。
ただ、成長する中で、環境が変わる前後(受験、就職、あるいは新しい場での合理的配慮を求める時期)では、診断名等を持ち出して説明した方が、伝わりやすい場合、うまく対応していただける場合があることも事実だと思います。いずれそうした時期は来るかもしれませんが、まずは自分の得意不得意や自分にとってどういう環境設定なら良きパフォーマンスが発揮されるのかについての情報を、生活の中で積み上げていくこと。そのあたりが大事だろうと思います。
保護者の思いとしての障害への抵抗感も触れられていましたが、ごもっともだと思います。なかなか受け入れがたい気持ちもあって当然と思いますし、何より、環境によって様子が変わりやすい面もあるのが発達障害の一側面なので、周囲の理解を含む(広義の)環境調整をまず求めたいところもあるかなと思います。そういう意味でも、「発達障害だから」と考えていくのではなく、どういうところに苦手さがあり、どう調整したらうまく過ごせるか、そこを考えていくことをまず行っていただけたらと思います。お子さんは何か悪いことをしているのではなく、おおむね環境に反応してさまざま困ったり、周囲との齟齬が生まれたりしているのだと思います。できる限り、「あなたがダメだから(できないから)」というスタンスではなく、「どうしたら子どもがうまくやっていけるか」を(子が幼いうちは)大人側で調整・工夫しつつ、お子さんが(当然のことながら)子どもゆえに未熟でできないことも多々あったとしても、でもあなたのいいところはここだよ、と(苦戦が続くお子さんならなおのこと)声を大にして伝えてきたいところです。そうしたことの積み重ねで、最後にスパ山さんも書かれていたように、お子さん自身が「私は私のままで大丈夫」と思えるところへ通じていくのだろうと感じます。“私はこのままではいけない、私は周囲に迷惑な存在だ”と感じながら生きていくのは、とてもつらいことです。そうならないように、ご家族のみならず周囲の支援者の力も借りながら、できることを積み重ねていきたいですね。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年にようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケ公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。