ハロー、マイ・ユーミン ① 近未来を予見した1970年代の作品〜クルマとスキーとサーフィンと
スリー・ストーリーズ by Re:minder
ハロー、マイ・ユーミン ① 近未来を予見した1970年代の作品〜クルマとスキーとサーフィンと
松任谷由実作品の全作詞600曲以上を収めた歌詞集が発売
11月19日、松任谷由実のニューアルバム『Wormhole』の発売に合わせ、ユーミン作品の全作詞を収めた歌詞集『ハロー、マイ・ユーミン』がポプラ社から発売された。
ユーミン本人監修のもと、デビュー曲から最新アルバム『Wormhole』まで、さらに提供作品やコラボ曲も含め600曲以上の歌詞を完全収録した決定版である。1ページに1曲のシンプルで読みやすいレイアウトに加え、発表順に並べられた構成。そして、不二家ソフトエクレアのCMソングや、苗場スキー場の「ドラゴンドラのテーマ」、さらには『水の中のASIAへ』コンサートツアーで歌われた「REINCARNATION」の歌詞違いバージョンなど、様々なレア曲まで収録されている。また、6作については、直筆歌詞とともにユーミンが制作エピソードを語っている。
ということで、今回の “スリー・ストーリーズ by Re:minder” では、歌詞集『ハロー、マイ・ユーミン』の発売に合わせ、ユーミンが発表した未来を予見するような楽曲を中心に、トレンドセッターであり、時代の預言者とまで呼ばれている彼女の世界観を辿っていきたい。まずは、荒井由実時代を含めた1970年代の作品について。
クルマとリゾートの時代の到来を預言した「COBALT HOUR」
ユーミンの預言的な部分で、よく言われることが多いのは、時代に先駆けて流行しそうなものをいち早く取り上げる “先見の明” である。1970年代の諸作品でいえば “クルマとリゾート” である。それを思わせる楽曲は、すでに荒井由実時代から作られていた。
日本が本格的にクルマ社会に突入するのは1980年代に入ってからで、大学生でもクルマ(多くは中古車だったが)を乗り回し、2ドアのクーペスタイルの車が売れまくった。男はクルマを持っていないとモテない時代の始まりである。しかし、1970年代半ば、クルマはまだまだ仕事で使うもの。生活必需品と呼ぶには贅沢で、ましてや若者が遊びに使うなんて、リッチ層でなければあり得ない時代である。
ユーミンの曲に、最初にクルマが登場するのは1975年の「COBALT HOUR」である。
港へ続く高速道路
空を流れるミルキィウェイさ
海の匂いの冷い風が
白いベレG包みはじめる
この曲が発表された1975年、まだ横浜横須賀道路は工事中で、保土ヶ谷あたりまでしか出来ていない。東京都心と横浜を結ぶ首都高速横羽線もまだ羽田から金港ジャンクションまでしか開通していなかった。
あなたは昔 SHONAN-BOY
わたしは昔 YOKOSUKA-GIRL
なつかしすぎる海が見えたら
二人の胸によみがえる恋
歌詞に出てくる「♪SHONAN-BOY」は1965年に全通した第三京浜から、1968年に接続が完成した横浜新道を使って「♪なつかしすぎる海」= 湘南へ向かうイメージだろうか。いずれにせよ、この時代には夢物語のようなデートコースである。登場する車は「♪白いベレG」、『いすゞベレット』のスポーツグレード “1600GT” の愛称で、当時の若者層に人気があった。
50年の時を経ても同じ風景が見られる「中央フリーウェイ」
1976年に発表した「中央フリーウェイ」は、車種こそ出てこないが、中央高速道路の下り線をドライブするカップルの歌である。この曲で印象深いのはーー
中央フリーウェイ
右に見える競馬場 左はビール工場
この道は まるで滑走路
夜空に続く
ーー の箇所だ。驚くべきことに、ここで歌われた府中の東京競馬場と、サントリーのビール工場は、発表から約50年を経た現在でも、いまだにその場所に存在している。50年の時を経ても、同じ風景が見られるのだ。
それを言うなら1974年の「海を見ていた午後」に登場する「♪山手のドルフィン」もいまだ健在。1975年発表「雨のステイション」の舞台となっている青梅線西立川駅も、駅の構造は歌が書かれた時代と全く同じ形で存在している。ちなみにこの駅には同曲の歌碑が置かれ、ユーミンファンの聖地の1つになっている。その後もずっと残りそうな風景を、意図して選んで歌にしたわけでもないだろうから、その選択眼の鋭さにただただ脱帽させられる。
もう一方のリゾートに関しては、サーフィンを歌にしていること。1976年発表のアルバム『14番目の月』に収録されている「天気雨」が、最初に出てくるサーファーの描写である。
サーフ・ボードなおしに
”ゴッデス” まで行くと言った
“ゴッデス" とは茅ヶ崎にある1959年開業のサーフショップで、今も同地に健在である。サーファーの彼氏に、相模線を使って会いに行く、という可愛らしい歌だが、こういったリゾートスポーツが一般的になるのは、もっと先のこと。
近い未来のライフスタイルを予見したアルバム「流線形’80」
こういった “近い未来のライフスタイル” を予見したアルバムが、1978年発表の『流線形’80』だった。
タイトルに “80” とつけたのは “1980年代に流行りそうなモノ” を歌のなかで先取りしているからである。具体的には、「ロッヂで待つクリスマス」のスキーと「真冬のサーファー」のサーフィン。前者はナイタースキーの様子を描いているが、ユーミンは深夜のテレビで加山雄三の映画『アルプスの若大将』を見ていて、松明を持って滑り降りるシーンから題材を取ったという。
後者はユーミンの実姉が嫁いだ千葉県の銚子の飯岡海岸でサーファーたちの様子を見ていたのが曲想の元になっている。サーフィンが本格的に若者たちの間でブームになるのはこの直後。陸(おか)サーファーと呼ばれる、サーフィンをしないけれどサーファー風の格好をしてサーフボードを車に積んでいる人々が現れ、六本木のディスコでナンパに励む時代がもうそこまで来ていた。
また、ドライブという点では「埠頭を渡る風」。この曲は東銀座に今もあるレコーディング・スタジオ『音響ハウス』でレコーディングしていた際、ミックスダウンなどの空き時間に、松任谷正隆氏の運転で、まだ造成地が広がっていた晴海方面へドライブした時のイメージで書かれているそうだ。気がつけば1980年代の終盤から開発が盛んになった湾岸地域にいち早く視点を置いていたとも言えるだろう。
この『流線形’80』で描かれた楽曲たちが、より具体性を持った描写で再登場してくるのが、1980年発表のアルバム『SURF&SNOW』だ。トレンドセッターとして活躍する80年代のユーミンの源流は、こうした目利きの高さにあったのだと改めて思わされる。
「りんごのにおいと風の国」でユーミンが教えてくれたハロウィーン
1970年代で最後にもう1曲。その後トレンドになるキーワードを含んだ楽曲がある。それは、1979年発表のアルバム『OLIVE』の最後に収められた「りんごのにおいと風の国」。
ハロウィーン
木枯らしのバスが夕暮れの街を過ぎれば
うつむいた人々 どれもが似ている顔
ここに出てくる “ハロウィーン” は、もちろん万聖節(11月1日)のイブにあたる日のことだが、キリスト教徒以外よく知らなかった時代、早くもこのワードを取り入れている。ユーミンが教えてくれた異国の行事が、日本では “渋谷で仮装しながら楽しく過ごす日” として若者の間でイベント化するのは、はるか先のことである。
Information
ハロー、マイ・ユーミン 荒井由実&松任谷由実&呉田軽穂 歌詞集
本人監修のもと600曲以上収録。提供曲・コラボ曲も初めて網羅した歌詞集。直筆歌詞、コメント、レアな楽曲も掲載!
▶ 発売:2025年11月
▶ 判型:B5変型判 / 659ページ
▶ 定価:4,180円(本体3,800円)