放っておけないダメ男、太宰治 船橋で過ごした日々とは?【船橋市】
かつて船橋に住んでいた文豪、太宰治。昭和初期の船橋の写真を見ると、海老川に漁船が停泊し、海岸線は現在よりも千葉街道寄りでした。漁村・塩田が広がるのどかな田舎町だったため、太宰は船橋を療養地としたのでしょう。
船橋の家に最も愛着があった太宰治
1948年39歳で玉川上水に入水し早世した太宰。
1935年7月から1年3カ月の短い間ですが、太宰は今の船橋市宮本1丁目の借家で過ごしました。
その頃の太宰は盲腸炎をこじらせて腹膜炎となり、その痛みを紛らわせるための鎮痛剤パビナールの中毒になっており、1日十数本も注射するようなありさまだったといいます。
心配した家族が、太宰が師と仰ぐ井伏鱒二に説得を依頼し、ようやく太宰は病院に収容されることに。
これが船橋との別れになるのですが、太宰は後に『十五年間』という作品で船橋の家のことを次のように書いています。
「私には千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。(中略)どうしてもその家から引き上げなければならなくなった日に、私は、たのむ! もう一晩この家に寝かせてください、玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない。」
ダメ男にふさわしい代表作『人間失格』
1935年3月に自殺未遂騒動、4月に盲腸炎で入院、そしてパビナール中毒と、破滅、憐憫(れんびん)、堕落、陶酔の輪廻(りんね)の中を目まぐるしくもがいていた太宰。
船橋を離れてからも太宰はスキャンダラスな人生を歩み続け、そのダメ男キャラクターさえも彼の作品を一層魅力的なものに彩りました。
読者に作家の私生活をのぞき見ているような興奮を与え、さらに自分が作家の人生に関われるような共感を抱かせ、「私なら太宰を受け入れてあげられる」という妄想を抱かせる、今でいう「『太宰』沼にはめる」魅力を放っていました。
代表作『人間失格』は77年前に出版され、今では各国語に訳されて、世界で最も売れている日本の小説といわれています。
芥川龍之介に憧れ、芥川賞を熱望し、なりふり構わず芥川賞を与えてほしいとすがりついた太宰ですが、やはり「私がついていてあげないといけない」と思わせるダメ男には えも言われぬ魅力があるということでしょうか。(取材・執筆/福)