日本初の少女向けテレビアニメ「魔法使いサリー」語り継がれる強烈な2大エピソード
テーマ曲を作ったのは、“寺内貫太郎” こと小林亜星
私が小学生だった1970年代後期、夕方に観るテレビ番組といえば、アニメの再放送だった。なかでも夢中になって観ていたのが、日本初の少女向けアニメ『魔法使いサリー』。初回放送は1966年から68年とのことだが、1970年代には何度も再放送されていた。
サリーちゃんといえば、「♪マハリクマハリタ ヤンバラヤンヤンヤン」という魔法の呪文から始まるテーマ曲「魔法使いサリーのうた」を思い出す人が多いのでは。大人になって気づいたのだが、このテーマ曲、ほぼディキシーランド・ジャズなのだ。イントロのドラムがカッコいい。耳を澄ませば、しっかりとバンジョーやクラリネットの音も聴こえてくる。
アメリカ南部ニューオーリンズで生まれ、ジャズの原点といわれるディキシーランド・ジャズ。軽快でハッピーで温かみのあるメロディとリズムが、ちょっとお転婆な魔女、サリーが活躍する物語にぴったり。演奏しているのは、日本を代表するディキシーランド・ジャズバンドの薗田憲一とデキシーキングス。
そして、このテーマ曲はもちろん、エンディングの「魔法のマンボ」「いたずらのうた」等、劇中の音楽すべてを作曲・編曲したのは小林亜星。小林亜星といえば “寺内貫太郎” であり、“パッとさいでりあ" の恰幅のよいオジサンくらいに思っていたのだが、後々、多大な名曲を生み出した巨匠であったことを知った。
トラウマ級? 語り継がれる「魔法使いサリー」2大エピソード
『魔法使いサリー』は、毎回1話完結。全109話の中で、語り継がれている強烈な2大エピソードがある。
ひとつは「よっちゃんいぬになる」だ。勉強が苦手な、サリーの友達よし子。“犬は勉強しないでいいなぁ、私も犬になりたい”。よし子がそうつぶやいたのを聞きつけたサリーの使い魔・カブ(人間界では弟ということにしている)が、よし子を犬にしてしまう。このあとよし子は、何も知らない三つ子の弟たちに電柱にくくりつけられ、怪しい男に連れて行かれて、算数ができる犬として見世物にされる。
これはたしか、犬が算数を間違えたことで、サリーが “あんな簡単な計算を間違えるなんて、あの犬はよっちゃんに違いないわ” と気づくのではなかったか。いやいや、そもそも犬だったら間違えて当然だし、そんな気づき方って… と今は思うが、子どもの頃は “サリーちゃんが気づいてよかった!” とほっとしたのを覚えている。よし子が誰にも人間と気づいてもらえず、野良犬扱いされる描写がひたすら恐ろしかったのだ。カフカの『変身』に通じる怖さがあった。
もうひとつ、「ミスター雪ダルマ」もカブのいたずらが悲劇を生む。サリーが作った雪ダルマにカブが命を吹き込む魔法をかけるのだが、雪ダルマはカブではなく、サリーをご主人様と慕う。そして雪ダルマを脅かそうと、カブが魔法で出したタイマツが原因でサリーの家が火事になる。雪ダルマは身を挺してサリーとカブを守り、ぺしゃんこになって、カブに恨み言も言わずに溶けてしまう。初めて観たときは、大泣きした。
たしかラストは、雪ダルマがサリーの魔法で生き返り(水蒸気になった?)、北の国に帰っていく。一応のハッピーエンドにほっとするのだが、後々、あれ? なんで、サリーは魔法で火事を消さなかったんだ? と不思議に思った。なんで?
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続編でありながら、旧版とは大きく異なる1989年版サリー
『魔法使いサリー』は、1968年放送の最終回を踏襲した続編が1989年に制作されている。旧版の最終回で、自分が魔法の国からやって来た魔法使いであることを友人たちに伝えたサリー。1989年版の第1回では、窮地に陥ったよし子を助けるため、サリーが再び人間界にやって来る。
だが、魔法界の掟に従い、サリーはよし子たちの記憶から自身の思い出を魔法で消し、再び一から友情を育んでいく。みんなに魔法使いって知られていないほうが、ストーリーを展開しやすいのだろうが、あの思い出を消してしまったのか… と、旧版のファンとしては、ちょっと切ない気持ちになった。
小林亜星が作ったテーマ曲も使われているが、ディキシーランド・ジャズ風な旧版とはまったく異なる、いかにも80年代らしい打ち込みアレンジがされていた。なにより大きく異なるのが作画だろう。サリーがすらりとしていて、足首もほっそりしている。1989年版を観ていた人たちには、“サリーちゃん足” と言っても何のことやらなのだろうか。