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不登校のキミへ…タブレット純 イジメられ何度も死にたかったぼくが死ななかったワケ

コクリコ

不登校に迷う子どもと親へ。歌手・お笑いタレントのタブレット純さんのインタビュー第1回/全3回。小学生からイジメにあい自殺も考えたタブレット純さんが、子どもたちへ送るメッセージ。

【画像】幼少期のタブレット純さん

自殺で命を失った子ども(小中高生)は2024年の1年間で529人、不登校の子どもは小中学校で34万6482人、高校6万8770人(ともに文部科学省2024年度調べ)。どちらも過去最多を記録し、今の日本には悩んでいる子どもがたくさんいることがわかります。歌手でお笑い芸人のタブレット純さんは、子ども時代に何度も「命を捨てたい」と考えたと言います。最悪の一線を越えずにすんだのはなぜか。今、悩む子どもたちへ、メッセージを聞きました。

好きなことが救ってくれた

あらためて中学時代のことを思い出すと、我ながら「よく死ななかったな」と思います。

ぼくは地元の公立小中学校に通っていましたが、小学校時代からイジメを受けていました。いちばんひどかったのは中学2年生のころかな。今思うと、みんなのストレス解消の道具だったんですよね。

いろんな理由をつけて順番にデコピンされたり、「お前、生きてる価値あるの?」「ほら、そっから飛び降りたら死ねるよ」と言われたり。もっとひどい目に遭っている子どももいると言われるかもしれませんけど、ぼくにとってはハードな毎日でした。

それでも当時「学校を休む」という選択肢は思いつかなかったんですよね。そういう時代だったせいもあるけど、学校には行くもんだという思い込みが強かったのかな。

「もう死んじゃいたい」と思ったことは何度もあります。でも、もし自分が死んだら親がどうにかなっちゃうんじゃないかと考えると、行動に移す勇気は出ませんでした。

死ななかった理由として、没頭している趣味があったというのも大きかったと思います。学校うんぬんより、昭和歌謡という死ぬほど好きなものがあった。授業中も「今度の土日には、どこの中古レコード屋さんに行こうか」なんてことばっかり考えてたんです。

インターネットもなかったので、調べがいがあるというか、未知の世界があまりにも広大すぎた。知りたいことが山ほどあったから、まだ死んだらもったいないと思っていたんですよね。

趣味が自分を救ってくれたというか、昭和歌謡に救われたというか。学校と家庭が世界のすべてだと思っちゃうと逃げ場がないけど、そこはありがたかったですね。

幼稚園入学式のタブレット純さん。  写真提供:トルバ

タブレット純さんの小学校1年生のころ。  写真提供:トルバ

イジメた相手は覚えてすらいない

そもそも、ぼくはほとんど「死んでいるようなもの」だったんです。小学校のときから、自分のジェンダーはほかの人とは違うことに気が付いていた。大人になって幸せな人生を歩んでいくイメージはぜんぜんなくて、どこか人生を捨てていた部分があったかもしれない。

当時「霊界の伝道師」として人気だった俳優の丹波哲郎さんの本をよく読んでいたこともあって、「この世は地獄だ」と思っている節もありました。それに、大好きだった昭和歌謡には不幸な歌が多い。人生や世の中に対する期待値が低かったことも、死を選ばずにすんだ理由かもしれません。他人や自分に対しても、最初から多くを期待していませんでした。

大人になってから、中学時代にぼくを熱心にイジメていたクラスメイトと再会しました。ちょっと緊張してたら、彼は「俺だけはお前にやさしかったよな」と明るく言うんです。イジメをしている側なんて、その程度の認識なんですよね。そんなヤツらのために死ぬなんてバカバカしすぎる。イジメた側は家に帰ったらイジメてたことなんて忘れてますよ。

ぼくの個人的な経験が、今まさに「死」を考えている子どもたちの役に立つのかどうか、それはわかりません。でも、はっきり言えるのは、今がどんなにつらくても「死」を選んではいけない、必ず「生きていてよかった」と思える日が来るということです。

学校がすべてではない。学校の外に目を向ければ、自分が好きなもの、楽しいと思えるものが必ずあります。

それらは、今の苦しみをやわらげてくれるだけじゃなくて、あなたの人生の支えになるかもしれない。ただし、ネットやスマホをいじっていても、そういう出合いはないでしょうね。

何でもいいから、とりあえず行動してみることをオススメします。

取材・文/石原壮一郎

タブレット純はどのように誕生したかを綴る初の自伝。発売即重版に。『ムクの祈り タブレット純自伝』(著:タブレット純/リトル・モア)

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