川崎市平和館 空襲戦災写真をカラー化 3月から記録展で公開
戦後80年――。川崎市平和館では現在、川崎市市制100周年記念事業として「川崎大空襲」の戦災写真のカラー化プロジェクトを進めている。3月8日(土)から同館で開催する「戦後80年川崎大空襲記録展〜戦時下の市民生活と川崎大空襲〜」で展示する予定だ。期間は5月6日(火)まで。
1945年4月15日未明、米軍のB―29爆撃機が焼夷弾1万2748発(1072t)などを投下し、罹災者は10万人を超えた川崎大空襲。川崎市が空襲で出した死者約1千人、負傷者約1万5千人の大半はこの空襲によるものだったという。
川崎市平和館は、この「川崎大空襲」の記録と共に、「平和」と「戦争」の両面から考えてもらうきっかけにしてほしいと、毎年「川崎大空襲記録展」を開催。今年、同展で初めて企画されたのが戦災を写したカラー化写真の展示だ。
AIと体験者の証言で
川崎大空襲のカラー化プロジェクトは、昨年夏ごろにスタート。「10年前だとAI(人工知能)技術が今ほど進歩していない。10年後だと体験された方の証言が取れない可能性が高い。戦後80年、市制100周年の今だからできた」と企画の意図を語る北村憲司館長。複数のソフトを用いて、AIで白黒写真を自動着色。空襲体験者で証言活動を行っている川崎区在住の小川一夫さん(96)の記憶や体験談をヒアリングしながら写真の色彩を補正して進めてきた。
その結果、今回カラー化された写真は計9枚。当時は、戦局の悪化による配給制など、軍事統制中だったこともあり、憲兵による監視などで市井の人たちが街中の写真を簡単に撮ることができなかった。そのため、空襲前後の川崎のまちを記録した写真はほとんどなく、あったとしても空襲で焼けてしまったこともあり、残された写真は希少だという。そうした数少ない空襲直後の写真や、終戦直後の写真の中から、市役所3階から明治産業(現在のソリッドスクエア)方面を撮影したものや、市役所付近の焼け跡、焼け跡に建つバラック小屋などの写真をカラー化した。
80年前をリアルに
北村館長によると、カラー化を進める中で、空襲を避けるために白と赤茶色で偽装された市役所、防空壕を掘った際に湧き出た水をかき出した水で生えた緑の草など、AIの学習機能ではわかりえないことまで小川さんの証言で初めてわかったという。「人の思い、建物の被害状況など、よりリアルなものができた」と北村館長は今回の企画を振り返る。
「80年前の大空襲は川崎市の100年の歩みの一つ。展示を見て記憶を継承してもらい、未来に向けて平和について考えるきっかけになってほしい。今、自分ができることを考えてもらう機会になれば」と北村館長は話している。