石川ひとみ【2025インタビュー】① デビューから5年の軌跡を厳選したベスト盤が登場!
石川ひとみ初期5年間の軌跡を、高音質のUHQCD1枚にコンパイルした『石川ひとみ GOLDEN BEST 1978-1983』が4月23日にポニーキャニオンより発売された。同ベスト盤はシングルA面17曲に加え、現在Eテレで再放送中の人形劇『プリンプリン物語』のテーマソング2曲、DJの間で人気の「恋のディスコ」など全21曲を収録。オリジナルジャケット19枚がコラージュされたジャケットも評判を呼んでいる。デビュー47周年を迎える5月に横浜と大阪でライブを開催する石川ひとみへのロングインタビュー。前編はベスト盤に収録された楽曲への想いや、多忙を極めたアイドル時代のエピソードを訊く。
最初の5年間の楽曲を詰め込んだベスト盤
――ひとみさんがこの Re:minder に登場するのはデビュー45周年アルバム『笑顔の花』をリリースした2023年以来2年ぶり。今回は4月23日に発売される『石川ひとみ GOLDEN BEST 1978-1983』に関するお話を中心に伺います。
石川ひとみ(以下:石川):最初の5年間の楽曲をCD1枚にギュッと詰め込んだベスト盤です。通して聴くと、いろいろな想い出が甦ってきますね。
―― 初期5年間だけでシングル18枚、オリジナルアルバム8枚を発表されています。当時は歌番組が多かったですし、ひとみさんは声優や司会の仕事もされていたので、相当お忙しかったのではないですか。
石川:3ヶ月に1枚のペースで新曲が出ていましたから、今考えるとすごいことですよね。覚えなくてはならないことがたくさんありましたが、あの時代は私だけでなく周りの方たちもそうでした。若かったからできたのだと思います。
―― 1982年から司会を務めた『レッツゴーヤング』(NHK)など、持ち歌以外を歌う番組も多かったですよね。
石川:当時はプロンプター(演者のためにセリフや歌詞などを表示する装置)がありませんから、『レッツゴーヤング』では台本をすべて覚えて本番に臨んでいました。ゲストの方やサンデーズと一緒にカバー曲を歌うこともありましたが、皆さん、ちゃんと歌詞を入れて出演されていましたね。
―― コンサートでも、特に初期はオリジナル曲が少ないですから、カバー曲を歌う機会が多かったのでは。
石川:そうなんです。私はキャンディーズさんの解散直後にデビューしたこともあって、スタッフやバンドメンバーはお三方を担当されていた方が多かったのですが、キャンディーズさんはステージで洋楽をたくさん歌われていましたから、私のコンサートも1部はすべて洋楽で。私自身は学生時代から洋楽を聴いてはいたものの歌う機会はほとんどなかったので、覚えるのが大変でした。コンサート用の振り付けもありましたし、我ながらよく頑張ったと思います(笑)
ステージでは必ず歌っている「三枚の写真」
―― その忙しい時期にレコーディングした楽曲が今回のベスト盤に収められているわけですね。選曲はひとみさんのパートナーでプロデューサーの山田直毅さんがポニーキャニオンの制作担当者と一緒に進められたそうですが、これまでのベスト盤とは異なり、時系列ではない曲順が新鮮です。
石川:曲の雰囲気を大事にした流れですね。皆さんがよくご存じの「まちぶせ」(1981年4月)が1曲目なので、聴いていただきやすいのではないかしら。2曲目の「三枚の写真」(1981年10月)もステージでは必ず歌っている作品です。
―― シングルA面が17曲、カップリング曲が1曲、アルバム曲が3曲という構成ですが、「まちぶせ」「三枚の写真」以外にもライブの定番曲があればお聞かせください。
石川:ファンの方たちに人気のある「君は輝いて天使にみえた」(1982年5月)と「くるみ割り人形」(1978年9月)は外せません。「ひとりじめ」(1982年2月)、「あざやかな微笑」(1979年1月)、「ひとりぼっちのサーカス」(1979年4月)、「にわか雨」(1983年6月)も歌うことが多いですね。前回のインタビューでもお話ししましたが、私は青空の下を舞台にしたような青春系の歌が好きなので、シングルに限らず、そういう曲はよく歌わせていただいています。
歌えることがとにかく楽しかった
―― 作家の顔ぶれを見ると、2年目以降は西島三重子、谷山浩子、芳野藤丸、天野滋、玉置浩二など、気鋭のシンガーソングライターやミュージシャンから提供されたシングルが続きます。歌唱力があるひとみさんに様々なタイプの作品を歌わせようという制作陣の意気込みが窺えますが、ご本人はどう受け止めていらっしゃいましたか。
石川:歌えることがとにかく楽しかったので、与えられた楽曲は全部歌わせていただこうという気持ちでした。自分にはどういう歌が合うのか分かっていませんでしたから、1曲ごとに深く考えるのではなく、“次はこれだよ” と渡された曲を一生懸命歌っていたように思います。でも「ミス・ファイン」(1979年12月)や「夢番地一丁目」(1981年1月)、「君は輝いて天使にみえた」のような明るめの曲をいただいたときは “嬉しい!” と感じていたので、当時からそういう曲調が好きだったのかもしれません。
――「ミス・ファイン」はポップなキャンパスソングで、ライブでも盛り上がるナンバーですよね。その一方で、ひとみさんは玉置浩二さん作曲の「恋」(1983年9月)のようなシックなバラードも歌われています。
石川:最初は “私に歌えるかしら” と思った作品も歌っていくうちに愛着がどんどん沸いてきて愛おしくなる。ですからどの歌にも思い入れがあるし、曲名を見ただけで、その頃のことを思い出します。歌と記憶がリンクしているのはそれだけ自分のなかに染み込んでいるのでしょうね。今回のベスト盤に収録された楽曲がなければ今の私はないわけですから、これからも1曲ずつ大事に歌っていきたいです。
―― “歌えるだろうか” と思った曲があったということですが、具体例を挙げていただくとすると。
石川:サードシングルの「あざやかな微笑」ですね。前作の「くるみ割り人形」とは全く違う、大人っぽい恋の歌で、初めて聴いたときに “どう歌ったらいいのだろう” と。「くるみ割り人形」と同じ路線が続くと予想していたので驚きましたし、難しい歌でもあったので、私にとっては挑戦でした。レコーディングではディレクターさんから「♪でも止まれ!止まれ」の “ま” を強く歌って、と言われたのですが、それがなかなかできなかった記憶があります。
どんなに疲れていても大丈夫で、むしろウキウキしていました
―― 制作の流れとしては、まずデモテープを渡されるところから始まる感じでしょうか。
石川:はっきり覚えていないのですが、デビュー曲の「右向け右」(1978年5月)は事務所にあったピアノに合わせて歌ったのが最初だったと思います。ほかの曲もそうだったんじゃないかなぁ。詞はあとから来ることが多かったので、メロディから覚えていたような気がします。
―― 当時は連日生放送の歌番組があって、レコーディングはそのあとに行なわれていたようですが、ひとみさんも前回のインタビューで夜11時過ぎにスタジオ入りすることが多かったとおっしゃっていました。
石川:その日の仕事が終わってから夜中にレコーディングしていましたが、私は歌うことが大好きなので、どんなに疲れていても大丈夫で、むしろウキウキしていましたね。サウンドシティというスタジオで録ることが多かったんですけれども、そこのソファに座ってスタッフの皆さんと “今日はどれをやろうか” と話をするところから楽しくて。曲が決まったらオケを流してくれるのですが、それを聴きながら心の準備をしていく過程がたまらなく好きでした。
―― 歌入れはどういう形で?
石川:まず通しでツルっと2回くらい歌って、それを自分で聴いたあとに、また通しで2回ほど歌う。そのあとディレクターさんから言われたポイントを含むフレーズを歌うことが多かったように思います。
―― 当時は今のように簡単に修正できなかったので、フレーズごとに短く歌って、それを繋ぎ合わせて完成させていた方もいたようですが、ひとみさんは実力派だけあって、通しで歌うことが前提だったんですね。
石川:切って歌うと気持ちも途切れてしまうじゃないですか。たとえどこかで音がずれたとしても通しで歌って、何テイクか録ったあとにみんなで聴いて、どのパートがよかったかを確認する。それを踏まえて自分なりの修正をしていく感じでしたね。
―― ペースとしては1日1曲でしょうか。たくさん歌うと声が続かなくなりますよね。
石川:私は歌うほどに声が出るタイプのようで “疲れたでしょう” と言われても “まだまだ歌えます!” みたいな(笑)。ギャラリーがいると燃える性分なので、ブースに入って歌う私を見てくださるスタッフさんが多いほどテンションが上がっていました。アルバムのときは悩まなければ2曲はレコーディングしていたと思います。
―― ひとみさんでも悩まれることがあったんですね。
石川:ありますよ~(笑)。要求されていることがどういう意味なのか分からなかったり、自分の考えとはちょっと違うなと感じたりすると悩みました。そういうときは指示された通りに歌ってジャッジしてもらうこともあれば、自分が思うように歌わせていただくこともあって。なかなかうまくいかなくて涙が出ることもありましたが、歌と向き合えるレコーディングは至福の時でした。
当時、歌番組は多かったんですけど、歌うのは音合わせとリハーサル、本番の3回くらい。私は学生時代、1日2時間は歌っていましたから、“せっかく歌手になれたのだから、もっと歌いたい!” と思っていたんですね。そういうフラストレーションがあったので、精いっぱい歌えるレコーディングや、コンサートのリハーサルは最高に楽しかったんです。
―― それほど歌がお好きなひとみさんですから、ディレクターがOKを出しても納得がいかなくて “もう1回歌わせてください” とおっしゃったこともあるのでは。
石川:あったと思いますが、“やっとOKをいただけた!” と喜んだことの方が多かったですね。歌にはそのときの自分がすべて出ていますから、今でも当時の音源を聴くと “このときは体調が今ひとつだったな” とか “このフレーズはあのときのものだな” というのが分かります。“今ならこういう風に歌えるのに” と思うこともありますけど、最初に歌った形を崩して歌うのはいやなので、なるべく原曲通りに歌うことを心がけています。聴いてくださる方もレコードやCDの歌い方に馴染んでいらっしゃいますからね。
「まちぶせ」はデビュー前のレッスン課題曲
―― 僭越ながら「まちぶせ」のリフレインの「♪胸の奥でずっと~」で少し声が掠れるところは、主人公の切ない想いが伝わってきて絶品だなと思いました。
石川:ありがたいことに、そう言っていただくことが多いんですけれども、あれは意識したものではなくて、通しで歌ったテイクのいくつかで自然と声が掠れていたものが採用されたんです。「まちぶせ」はデビュー前のレッスンの課題曲で、三木聖子さんのレコードをすぐに買って練習したほど思い入れのある歌でしたから、その頃から自分の歌い方が染み付いていたのでしょうね。誰にも言っていませんでしたが、歌の世界に区切りをつけようと考えていた時期で “この歌が最後なら悔いはない” と思っていたので、それまでの楽曲とは違う感覚で思うままに歌ったのですが、それがよかったのかもしれません。
―― その「まちぶせ」は起死回生の大ヒット。歌手・石川ひとみの代表作となりました。その魅力は令和の今も色褪せず、Spotifyの再生回数は980万回以上(2025年4月現在)。近年はベトナムの首都ハノイにオープンした “まちぶせパブ” が話題となるなど、人気は海外にも波及しています。
石川:“まちぶせパブ” のことは『あさイチ』(NHK / 2023年1月18日放送)で知りました。店長さんが私のファンらしくて、私が歌う姿をかたどったステンドグラスもご自分で作られたそうで。そういうお店が海外にあるとは想像もしていなかったのでびっくりしました。
―― 店長はベトナム人で1990年のお生まれとか。2022年には、星屑スキャットのギャランティーク和恵さんが東京の牛込柳町に “喫茶まちぶせ” を開業しましたし、「まちぶせ」の輪が時代や国境を超えて広がっていることを感じます。
石川:ありがたいことですよね。最近はSNSに海外の方からの書き込みもあって、歌い続けてきてよかったと思っています。
クラブで注目されている「恋のディスコ」
―― 今回のベスト盤にはシティポップブームの中心人物である林哲司さんが作曲を手がけた「さよならの理由」(1983年8月発売のアルバム『プライベート』に初収録)や、クラブで注目されている「恋のディスコ」(1980年2月発売のアルバム『ひとみ…』に初収録)など、アルバムからも3曲がセレクトされています。
石川:「さよならの理由」は当時からお気に入りで、ファンの皆さんの間でも人気が高い曲ですからライブでもよく歌っています。「恋のディスコ」は洋楽のカバーなんですけど、これまでほとんど歌ってこなかったので、DJの方たちに人気と聞いて驚きました。アルバム曲なのに、どうやって知ったのかしらと不思議な感覚もあります。
―― もう1曲、「思いがけない序章(プロローグ)」は4作目のアルバム『Inside/Outside』(1980年10月)のA面1曲目でしたが、今回はエピローグを飾る位置に収録されています。
石川:この曲を歌う機会もあまりなかったような気がしますが、アルバムにも素敵な作品がたくさんありますので、これからもいろんな形で皆さんにお届けできればと考えています。
後編は現在Eテレで再放送中の『プリンプリン物語』や、5月に開催される47周年記念ライブに関するお話などを伺います。
Information
石川ひとみ 高音質ベスト盤
▶石川ひとみGOLDEN BEST 1978‐1983
2025年4月23日(水)発売
UHQCD1枚組
Information
石川ひとみライブ
▶ Billboard Live YOKOHAMA
2025年5月25日(日)
1st ステージ:開場 13:30 / 開演 14:30
2ndステージ:開場 16:30 / 開演 17:30
▶ Billboard Live OSAKA
2025年5月30日(金)
1st ステージ:開場 16:30 / 開演 17:30
2ndステージ:開場 19:30 / 開演 20:30