戦国大名が作った法律「分国法」とは? 今川家・伊達家の法を紹介いたそう!
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。これよりは我が、「戦国がたり」の時である!!「戦国がたり」では戦国の文化の話や史跡訪問記、人物紹介など歴史にまつわるさまざまな話を皆に伝えておる。本年(2025年)は大河ドラマ『べらぼう』に合わせ、江戸の話も致しておるわな!して、本年度最初の「戦国がたり」となる此度は、ちと難しい話をいたそうと思う。題して「戦国の法律、分国法について」じゃ!皆にもわかり易きようになんとか致すで恐れずについてまいれ。いざ参らん!!
戦国の条例、分国法
現世の日ノ本には様々な法律があるわな。
憲法、民法、行政法、刑法と様々な形で人権なるものを守り、泰平の世を保つ上で必要不可欠なものであろう。
それに対して、我らの時代は現世のものから見れば無秩序で力あるものが好き勝手をする時代に映るやもしれん。
無論、現世と比べれば荒々しい時代であったことは間違いないのじゃが、我らの時代にも法律と呼べるものがあったのじゃ!
じゃが、戦国の世の日ノ本は様々な勢力が争いあっておったで、日ノ本共通のものではなく、各家が制定しておった。
今の法律で言うところの条例に近いと言えるかもしれんな!!
条例とは地方公共団体が国の法律とは別に定める自主法のことじゃ!
最近で言えば名古屋市にて“えすかれーたー”なるもので歩いてはならないとの条例が出たことで話題になったわな。
ちと話が逸れたが、これよりは我らの時代の法律である各家の分国法を紹介してまいろうではないか!!
今川仮名目録で定められた「喧嘩両成敗法」
先ずは分国法の代表的存在である「今川仮名目録」である。
勿論、今川家の作った法であるわな。
今川氏親殿が作り、のちに義元殿が手を加えたのじゃが、早速中身を見てまいろうではないか!
今川仮名目録において最も有名な法は、「喧嘩(けんか)両成敗法」であろう。
現世の者にも聞き馴染(なじ)みのある言葉ではないか?
内容としては、「喧嘩に及んだ者は理由を論ぜず、双方ともに死罪とする」といったものである。
喧嘩で死罪⁉と思うた者もおると思うが、我らの時代においての喧嘩は刀を交えたり集団同士の争いを指しておったで、そこまで過度な規定ではないことは先に申しておこうかのう。
して、この喧嘩両成敗法は中世から近世、近代へと時代を進ませた重要な法である。
と申すのも、この法律は“自力救済”の否定に他ならないからじゃ!!
自力救済というのは、問題に対して自らの力をもって権利を勝ち取ることじゃ。
金を貸しておる者が返済がない折に、刀を突きつけ“返済しなければ殺す”と脅し返済させるとか、殺めて持っておった金を奪うなどがその例じゃ。
自力救済は古くよりされてきた行動規範で、我ら武家社会においては尚更なのじゃが、武力を持っての権利獲得が横行すると治安の悪化につながるのじゃ。
故に今川家では諍(いさか)いは全て今川家が裁き、喧嘩を仕掛けた側も応じた側も同等に死罪とすることで、自力救済を完全に否定したわけじゃな!!
この喧嘩両成敗法は南北朝の時代あたりから高札などで見られ始めたのじゃが、大々的に施行したのは今川家が初めてである!
今川仮名目録の影響を受けてか、「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)」や長宗我部家の分国法でも喧嘩両成敗法は採用されておるし、西洋でもこの自力救済の禁止をもって近代国家とするほどに先進的で重要な新たな規範であったことも覚えておくが良い。
死闘を禁じた喧嘩両成敗法に続いて、なんと子供の喧嘩についても取り決めがなされておる!
十一条には「子供の喧嘩ならば仕方がないが、親が制止すること。親が扇動するようなことがあれば親子ともに成敗の対象とする」。
十二条には「子が誤って友を殺めた場合は成敗してはいけない。ただし15歳以上ならば免れない」とのことじゃ。
十二条は現世における少年法とよく似ておるように感じるのう。
斯様(かよう)にして厳しい規範を定めつつも確と柔軟さも兼ね備えておったのじゃ。
今川仮名目録ではこの他にも土地の管理についてや借金についてなど、三十三条にわたって様々な取り決めがなされておる。
中でも「領民は駿河と遠江以外の者と結婚してはならない」の条文は、現世の大学生入試なるもので時折出て参るとして有名だそうじゃな。
拾得物にまつわる取り決めもあった塵芥集
続いて紹介致すのは「塵芥集」。
伊達家が作りし分国法である。作ったのは伊達政宗の曽祖父にあたる伊達稙宗(たねむね)殿である。
塵芥(ちりあくた)に至るまで、様々なものを規定したことからの名付けであろうか。
百七十一条にもわたるその条文は現世の刑法に近いものを中心に様々な規定がなされておる。
この塵芥集は中々賛否の分かれる分国法で、苛烈で知られる稙宗殿の気質も表れているとされておるが、いくつか面白き規範も定められておるのじゃ。
それが、拾得物にまつわる取り決めじゃ!
「道で物を拾ったものは立て札をしてそれを知らせなければならず、拾ってもらった持ち主はその十分の一を拾い主に支払うべし」といった趣旨のことが記されておる。
随分と現世のものにも馴染みがある法律なのではないか?
こんな規定が我らの時代にもあったことは驚きであろう。
他にも、「道路を占拠して使用の為に用いてはならない」等、現世にも通じる法律もあれば、「鷹の餌にする為に犬を殺すのは構わないが、人の家の犬は殺してはならない」等と戦国ならではの定めも多くある。
この法でわしが注目しておるのは同士討ちについての規定である。
我らの時代は、戦の中での混乱で誤って味方の隊と交戦状態に陥ることがしばしばあった。この時、味方が討ち取られてしまった際の処遇についての取り決めである。
塵芥集では同士討ちは敵に討ち取られたと同等の「名誉の戦死」と扱う記載がされておって、処遇の難しかった同士討ちの明確な規範を作ったのじゃ。
賛否両論分かれる法ではあるけれども、戦国でも随一の規模を誇る分国法として重要な存在であるといえよう。
終いに
此度の話は如何であったか!!
中々厄介な話題にふれたのじゃが、楽しめたかのう。
何故此度この話を記したかと申せば、
今川仮名目録の制定が大永6年(1526)4月14日、
塵芥集が制定されたは天文5年(1536)4月14日、
ちょうど10年違いで同じ日に制定されたのじゃ!
我らの時代もいわゆる人権に近しい考え方があったことや、秩序ある社会を作るための努力が行われておったことを知ると、戦国時代の見え方が大きく変わるのではないか?
とっつき難い話だとは思うが、この機に我らの時代の法律に触れてみては如何であろうか。
無論現世の法律も興味深いでな! 併せて楽しむのも一興である。
法が国家を作るという言葉があるように、我らの時代でも現世でも実に肝要なる話故に、皆の興味のきっかけになったならば嬉しく思う。
それでは此度の「戦国がたり」はこれにて終いといたそう。
これよりも歴史の面白き話を伝えて参るで楽しみに待っておるがよい!
また会おう、さらばじゃ!!
取材・文・撮影=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)
前田利家
名古屋おもてなし武将隊
名古屋おもてなし武将隊が一雄。
名古屋の良き所と戦国文化を世界に広めるため日々活動中。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』をきっかけに、戦国時代の小話や、戦国ゆかりの史跡を紹介している。