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#4 人々の「生」と「死」を分けたもの――諸富祥彦さんが読む、フランクル『夜と霧』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#4 人々の「生」と「死」を分けたもの――諸富祥彦さんが読む、フランクル『夜と霧』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

諸富祥彦さんによる、フランクル『夜と霧』の読み解き

“何か”があなたを待っている。 “誰か”があなたを待っている。

ナチスによるホロコーストを経験した心理学者フランクル。彼は強制収容所という過酷な状況に置かれた人間の様子を克明に記録し、「人間とは何か」という普遍の問いにひとつの答えを見出そうとしました。

『NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧』では、人は何に絶望し希望するのかについて、そして時として容赦なく突きつけられる“運命”との向き合い方について、諸富祥彦さんの解説で探っていきます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第4回/全4回)

第3回はこちら

「未来に希望を持つこと」が生きる力になる

 テレージエンシュタット強制収容所、アウシュヴィッツ強制収容所、ダッハウ強制収容所の支所、テュルクハイム病人収容所と四つの強制収容所を転々としながら、フランクルは約三年に及ぶ収容所生活を生きぬきました。

 当時ナチスの迫害を受けたユダヤ人は莫大な数に上りますが、フランクルのように生還できた人はそう多くはありませんでした。フランクルの場合、もっとも過酷なアウシュヴィッツ収容所にいたのが数日だけだったことが、彼が生還できた最大の理由の一つでしょう。

 一方で、命を奪われる前に、絶望してみずから命を断つ人もいました。収容所において「鉄線に飛び込む」ことは、自殺を意味していました。自殺の手段を考えずとも、高電圧がかかった鉄条網に触れればそれだけで死ぬことができたのです。

 そうした状況で、なんとかしのいで生きて帰ってこられた人と、亡くなった人との違いは何だったのでしょうか。

 人々の「生」と「死」を分けたものは何だったのでしょうか。

 その一つは、「未来に対して希望を持ちえているか否か」であったとフランクルは言います。

 そのことを端的に表すエピソードがあります。

 有名な作曲家兼脚本家だったある仲間が、フランクルにそっと打ち明けました。彼は一九四五年二月のある夜に、きたる三月三十日に戦争が終わり、自分たちも解放される夢を見たというのです。それ以来、彼にとって三月三十日が希望の光となりました。

 が、その日が近づいても戦局が好転する様子はありません。どうやら「正夢ではなかったらしい」という気配が濃厚になってきました。すると、彼は三月二十九日に突然高熱を発して発疹チフスを発病し、翌日にはひどい譫妄(せんもう)状態に陥って意識を失いました。彼にとって苦悩が終わるはずだったまさにその日、三月三十日の翌日に彼は亡くなったのです。

 それとよく似たエピソードが、もう一つあります。

 一九四四年の十二月のことです。クリスマスから新年にかけての期間に、収容所内でそれまでになかった数の死者が出ました。

 理由は、過酷な労働でも、飢餓でも、伝染病でもありません。「クリスマスには休暇が出て、家に帰ることができる」という素朴な思い込みが数か月前から被収容者たちを期待させ、その期待がみごとに裏切られた時に、多くの死者が出たのです。クリスマスに何も起きなかったことで、多くの被収容者は落胆し、力尽きて倒れていったのです。

 人間がどこまでも「時間的存在」であること、したがって、未来に希望を持つことが、いかに精神的な支えになっているかを示しているエピソードです。

 では、反対に、収容所での過酷な状況の中を生きながらえた人とは、どのような人だったのでしょうか。

 それは、未来に希望を思い描き、それを見失うことがなかった人です。ほかならぬフランクル自身がそうでした。

 フランクルには、自分が自由の身になったら、あの書きかけの原稿── 上着の胸ポケットにひっそりとしのばせ、これだけは奪われまいとしたものの、〝最初の選抜〟の時に奪い取られたあの原稿── を仕上げて世に問うという目標がありました。自分の最初の著作を刊行することは、彼自身の夢であり目標でもありましたが、日々の臨床活動の中で人々の苦しみに接していた彼は、自分の著作は苦難と闘っているすべての人から待たれている、みなが苦しみから救われる方法を求めている、だから何としてでもこの本を世に出さねばならない、という使命感に駆られていたのです。

 なんとフランクルは収容所の過酷な生活の中で、原稿の修復を行っていました! 夜寝る時間も惜しみ、ひそかに手に入れた小さな紙片の白地を塗りつぶすようにして、びっしりと文字をつづっていったのです。収容所に入った時に失われた原稿を、忘れないうちに復元しようとしたのです。

 強制収容所という同じ状況の下にあっても、ある人は死に向かい、ある人は生に向かいました。自分の未来に希望を抱くことができるか否か── そこに、人々を生と死に分けるものがあったのです。

感受性の豊かな人が頑丈な人より生きのびた

 そしてもう一つ、収容所内で生死を分けたものについて、フランクルはとても印象深いことを述べています。

 先ほど、収容所では、生きのびていくための「心の装甲」として、みな無感動、無感覚、無関心になっていったと言いました。そうした反面、それでもなお彼らの心を動かし、いざなうものが二つありました。

 一つはその時々の政治情勢や戦況、そしてもう一つは宗教的なものへの希求でした。

 収容所の生活の中で、それまで宗教に無関心だった人まで含めて、宗教的な関心が花開いていったのです。これは、どういうことでしょうか。

 収容所の中では、敬虔にぬかずく人の姿がしばしば見られたとフランクルは言います。

 新たに入ってきた囚人はそこ(収容所のこと=引用者注)の宗教的感覚の活溌さと深さにしばしば感動しないではいられなかった。この点においては、われわれが遠い工事場から疲れ、飢え、凍え、びっしょり濡れたボロを着て、収容所に送り返される時にのせられる暗い閉ざされた牛の運搬貨車の中や、また収容所のバラックの隅で体験することのできる一寸(ちょっと)した祈りや礼拝は最も印象的なものだった。

(同119頁)

 殺伐とした毎日の中でも祈ることを忘れず、感謝することを忘れないような精神の持ち主は、生きのびることができた確率も高かったのです。

 医療の世界でも、特定宗教の信仰を持ったり、特定の信仰はなくとも、人間を超えた崇高な何か──スピリチュアリティ──とのつながりを大切にする人のほうが、そうでない人よりも、寿命が長いことが多いとしばしば指摘されます。収容所の生活では、さらにはっきりとこの事実が示されたのです。

 なぜでしょうか。フランクルは言います。このような人々はもともと「精神的に高い生活をしていた感受性の豊かな人間」であり、そのために彼らは、収容所の苦悩に満ちた生活によっても、精神がさほど破壊されなかったのではないか、と。

 ではなぜ、彼らの精神は破壊されなかったのでしょうか。フランクルが指摘するその理由は、はっと目を見開かされるものがあります。

 なぜならば彼等にとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである。

(同121‐122頁)

 人に生きる力を与え、過酷な状況にあっても生きながらせしめたもの。それは、肉体の頑強さでも、世渡りのうまさでもなく、「精神性の高さ、豊かさ」であった。なぜなら、精神性が高く、豊かな人は、どんな状況にあっても、それに支配され押しつぶされてしまうことがなく、内面的な精神の自由さと豊かさという「もう一つの世界」への通路が開かれていたからである──。

極限状況において、人間は天使と悪魔に分かれた

 そしてもう一つ、フランクルが強制収容所の中で発見した真実。それは、強制収容所の極限状態にあって──死にゆく仲間のパンや靴を奪い取る者がいた一方で──みずからが餓死寸前の状態にありながらも、仲間に自分のパンを与え、あたたかい励ましの言葉をかけ続けた人がいた、という事実でした。

 フランクルは言います。

 典型的な「収容所囚人」になるか、あるいはここにおいてもなお人間としてとどまり、人間としての尊厳を守る一人の人間になるかという決断である。

(同167頁)

 多くの科学者は、人間は極度の飢餓状態に置かれると、仲間を殺し、人肉を食べてでも生きのびようとするものだと考えていました。しかし、フランクルが強制収容所の中で実際に目のあたりにしたものは、それとは異なる事実──極限状態において、人間は天使と悪魔に分かれた、という事実でした。

 収容所という極限状態にあっても、人間は一様に同じ状態になるのではないこと。その人がどのような人間であるかは、あくまで個人がとる精神的な態度によること。そして、その態度によって人間は天使にもなりうるし、悪魔にもなりうる、ということ──この事実をフランクルは収容所の中で発見したのでした。

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著者

諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)
明治大学文学部教授。教育学博士。臨床心理士。時代の精神と闘うカウンセラー。日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事など幅広く活躍。フランクル関連の著書に『「夜と霧」ビクトール・フランクルの言葉』(コスモス・ライブラリー)、『どんな時も、人生には意味がある。── フランクル心理学のメッセージ』(PHP文庫)、『人生に意味はあるか』(講談社現代新書)、近刊に『悩みぬく意味』(幻冬舎)、監訳書にV.E.フランクル『〈生きる意味〉を求めて』(春秋社)などがある。
http://morotomi.net/
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■「100分de名著ブックス フランクル 夜と霧」(諸富祥彦著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*本書における『夜と霧』引用部分はV・E・フランクル著、霜山徳爾訳『夜と霧── ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)を底本としています。ふりがなは、すべて編集部で付しました。

*本書は、「NHK100分de名著」において、2012年8月と2013年3月に放送された「フランクル 夜と霧」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに姜尚中氏の寄稿、読書案内、年譜などを収載したものです。

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