【歌人上坂あゆ美さんインタビュー】初のエッセー集発刊。幼稚でダサかった自分を「お焚き上げ」
2022年に歌集「老人ホームで死ぬほどモテたい」(書肆侃侃房)でデビューし、切れ味鋭い作風で、短歌界のみならず日本の文学界全体に驚きを与えた歌人上坂あゆ美さん(沼津市出身)。初のエッセー集「地球と書いて〈ほし〉って読むな」(文藝春秋)は、「老人ホーム―」のバックグラウンドとなった半生をたどる。大学入学までを過ごした沼津、奔放な両親や姉への愛憎を、あえて「平熱」を保った文体でつづる。赤裸々ではあるが、下品さがないのは筆力ゆえだろう。まるで自伝のような作品について、上坂さんと語り合った。
(聞き手=論説委員・橋爪充、写真=本人提供〈人物〉、久保田竜平〈本〉)
私のような「宇宙人」に向けた「地球の歩き方」
-「老人ホームで死ぬほどモテたい」の解説で歌人東直子さんが「今を生きる一人の女性のサバイバル記録」と評しておられますが、「地球って書いて〈ほし〉って読むな」はその実践編であるような印象を受けました。さまざまな媒体で書かれたエッセーと書き下ろしが収録されていますが、まとめるに当たってどういう本にしようと思いましたか。
上坂:10代の頃に自分が知りたかったことを書いています。当時は集団になじめず、周囲と衝突して、ハブられたりして。でも間違ったことをしていないと思っていて。自分だけ地球になじんでいないような感覚ですね。それで、当時の私のような「宇宙人」に向けた「地球の歩き方」のようなものを考えていました。「老人ホーム-」で書いた人生遍歴を膨らめ、足していくことでメッセージが強固になりました。
-自伝として読めるような構成です。中学生時代から今に至るまで、各時代をもれなく書いていますね。
上坂:おかげさまで「老人ホーム-」がちょっとヒットしたことで、急にエッセーの仕事をいただくようになって。その都度何も考えず、面白いことだけを書いていたんです。今回、本を出すとなって、人生の話を一冊にまとめたいと思って、(原稿初出の)各社さんに頭を下げて収録させてもらいました。結局、私が面白いと思うものって、人生の生き抜き方の話に帰結するんです。だから、良いと思うことを書いていったらこうなった。まとまりはあまり考えていませんね。
-歌集と同じようにかなり踏み込んだ内容ですね。しかも歌集よりごまかしがきかない形です。ある種の覚悟を感じます。ためらいはなかったんでしょうか。
上坂:ためらいがなさすぎるがために、今までたくさん事故が起こっておりまして。問題なく地球を歩ける方からすると「こんなことを書いてもいいのか」と思われそうですが、私の中にためらいはないんです。とは言っても、自分なりに地球の歩き方を把握してからは「むやみに人を傷つけるのはよくないな」という配慮はあります。
-各エッセーの後に短歌を一つ入れています。本文との関係性について、どう整理したんですか。
上坂:もともとは編集さんの提案です。多くの作家が、自分にとって大事なモチーフを何回も書いていますが、私も同じだと思うんです。ただ、エッセーだと言い過ぎちゃって奥行きを作るのが難しい。「起承転結。はい、おしまいです」となりやすい。脳の滞在時間が短くなっちゃうんですよね。短歌は脳の滞在時間を長くすることができる。「これってどういう意味だろう」と考えるのが良さなので。エッセーの後ろに入れることで、奥行きを出すことがうまくいっていると思います。
沼津は悪くないんです
-沼津で過ごした10代までの「ままならなさ」が描かれていて「どうしても東京で一人で生きていかなくてはいけない」という切実さのようなものが伝わってきます。興味深いのは「地方都市」とか「沼津」ではなくて、「家族」という共同体からの離脱がテーマになっている。あらためて、「沼津」(=故郷)や「家族」というものに対してどんな思いがありますか。
上坂:沼津は悪くないんです(笑)。自分の置かれた環境を全て否定することで自分の居場所を得る、みたいな気持ちって若い頃にはあると思うんですけれど、私はそれが強いタイプだった。どこの街に生まれてもこういうことになっていたような気がします。「老人ホーム-」を出した後ぐらいから「なんであんなに(沼津を)憎んでいたんだろう」って。
-誰でも多かれ少なかれ、そうしたことはありますよね。
上坂:大人になってから沼津の名所にいまさら行ったりして。住みやすい、いい街ですよね。沼津には沼津の文化がある、と初めて気づけた。やっぱり当時は見ないふりをしていたんでしょう。
-「家族と真逆に生きる」が生存戦略であり、アイデンティティーだったと書かれています。この作品はその過程を記録したものであり、揺り戻しの過程を記録したものでもあるように感じました。
上坂:家族については多分「憎むことにしていた」というのが正しい表現で。自分がなじめない文化(この場合は家族ですが)に、「こいつら何にも分かってない」というラベルを貼ることで、自分を「分かっている側」に置いていた。雑なラベルを貼って「選ばれた側」に立つといったことをやっちゃっていました。でもそれってダサくて、幼稚な行為ですよね。
-家族に対する感情はなぜ変わっていったんでしょう。
上坂:ちゃんとわかりたいって思ったんですよ。一個人として家族と出会い直したという感覚ですね。捉え直した結果、やっぱり父親はクズだなと思ったし、母親はいいやつだな、姉はやっぱりイヤだなって。
-25歳から短歌を作られていますが、家族に向ける感情の変化は創作も関係しているんでしょうか。
上坂:関係はないですね。人生を一生懸命やった結果得た感覚です。人間って経済的余裕と精神的余裕と時間的余裕の三つがないと人に優しくなれないと思うんですよ。10代の頃はそのいずれもがなかった。仕事を頑張ったり、転職して余裕を得られたのが25歳前後。だから、エッセーや短歌は、幼稚でダサくて余裕がなかった自分をお焚き上げするみたいな感覚で書いています。
母は本当に「いいやつ」。出会えて良かった
-お母さんについての記述が際だって変化しているように感じます。後半では「彼女が私の母ではなくて、その辺の飲み屋で会った人だったとしても、私は彼女のことがきっと好きだ」と書いています。
上坂:10代の頃は、父母姉をグループとして見ていて、そのグループが私と合わないという感覚でした。私のことなんか誰も分かってくれないというヒロイズムみたいなものが、自分の居場所を支えていた。母にとって、私は扱いづらい子供だったでしょう。でも愛情を込めて育ててくれた。とはいえ「お母さんありがとう」と真っ正面から言えるような人間性はなかったんです。母は本当に「いいやつ」だし、出会えて良かったなと言う感じですね。
-お父さんについても詳細に記述されていますね。「顔とコミュ力だけで生きてきた」美容師で、「浮気にギャンブルにとやりたい放題」と書かれていますが、読み手としてはかなり魅力的な人物であるように感じられます。
上坂:そう感じていただけたことはうれしいです。確かにうちにいなかったら面白いと思います。SNS越しで見るぐらいがちょうどいい存在ですね。近寄りたくはない。
-記述や文体が感傷的になりすぎないところが読みやすさにつながっているのではないでしょうか。
上坂:ヒロイズムに酔っていた自分を本当に恥ずかしいと思っているし、同情されたくない。楽しく生きていきたいという気持ちがあるから、(記述が)ドライになっているのでしょう。
-過去の自分を突き放している部分があるんですね。
上坂:人生その繰り返しです。昨日の自分も恥ずかしいですし。「あれを言わなきゃ良かった」とか。でも、それを繰り返してしか生きられない。私、人よりメタ認知が強いんです。そういう性質が文章に出ていると思いますね。
-自分がいる風景を鮮やかに切り取りますよね。
上坂:自分の中ではiPhoneのOSのアップデートに近いですね。2.0を反省して3.0になるという。自分が犯した過去の出来事はごめんなさい、でも3.0なのでもうしません。そういうことを繰り返しやっている。
つまんないことを書きたくない
-究極的には、「自分も世界も変わりゆく」ことを短歌という表現を交えて説明しているような気がします。短歌を糸口にしたご自身の活動も、2年間で世間の受け止め方が変わったのではないでしょうか。今後の表現活動について、どのようにお考えですか。
上坂:面白いことだけを書きたい。作家として生きていくと、締め切りに合わせて(原稿を)出さなくてはならない。それが嫌なんですよ。だからやりたいことだけをやりたい。
-上坂さんはいわゆる「作家」とは異なる存在ですもんね。
上坂:別に書かなくても死んだりしませんから。私は私が幸せになることの方が大事。お金や名誉に目がくらんでつまんないことを書きたくないっていうのは、今後の表現活動の指針として強くあります。