【静岡の高校サッカー戦後史Vol.64】清水商業が1987年度、全国総体準々決勝で帝京と激突!三浦文丈の先制ゴールも…
【清水商⑨】光る堅守で4度目総体
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。静岡サッカー応援アプリ「シズサカ」でまとめてご覧いただけます。
1985年(昭和60年)度の全国選手権を制し、冬を舞台に、初の高校チャンピオンの座に就いた清水商は、1年置いた87年度、全国総体出場を決め、今度は夏制覇に挑む。
この年度の清水商は、新チーム発足後の新人大会で優勝し、春休みに韓国へ遠征した県高校選抜に、主将の岩科信秀(矢崎計器)以下8人を送り込んだことなどから、総合評価は高かった。
平岡宏章を軸にした堅守
総体県予選は準々決勝で清水東を3−1で倒して、準決勝に進出した。「ベスト4の顔ぶれをみて、いけると思った」(岩科)といい、準決勝は沼津学園(現・飛龍)を4−0と圧倒した。
決勝は浜名と対戦。前半2分、岩科が決めたPKの1点が決勝点となった。MVPはセンターバックの平岡宏章(J清水スタッフ)。FWからコンバートされたばかりで「夢中だった」というが、平岡を軸にした堅守は光り、浜名の追撃を振り切った。
宿敵帝京に1−3
総体本番は4年ぶり4度目。九州学院(熊本)に2−1で競り勝つと、山城(京都)を4−0、作陽(岡山)を5−0と圧倒し、準々決勝で帝京(東京)と対戦した。
開始40秒、ゴール前の混戦から三浦文丈(横浜Mスタッフ)が決めて幸先いいスタートを切った。しかし、礒貝洋光、森山泰行、遠藤昌浩ら後のJリーグ組をそろえた、強力布陣の帝京の反撃に逆転を許し、1−3で屈した。帝京には練習試合で「こてんぱんにやられた」(岩科)苦い経験があり、本番で借りを返すことができなかった。
選手権予選決勝で東海大一と激突
夏の全国制覇は逃した。だが、2度目の冬の全国一を目指して臨んだ選手権県予選は、総体予選と同様、着実に勝ち上がって決勝に進出した。相手は東海大一。前年度の全国選手権で初出場初優勝をやってのけ、1年後も主将の沢登正朗(サッカー解説者)をはじめ、実力派で固めていた。
実力伯仲同士の対決。岩科は「東一に勝たなければ、全国も勝てない」と受け止めていた。
V決戦は土曜日の午後開催だった。当時は週5日制実施前で、清水商は午前の授業をこなして試合に臨んだ。守りのかなめの平岡が受けたのは体育。マラソン大会の練習で、手を抜くことはできなかったという。授業に全力投球したことで体力を消耗、試合が始まると足にけいれんを起こし、途中退場した。
結果は0−2。東海大一に代表の座を譲った。(敬称略)