「大人の女子校」がひっそりと解散していた。
2023年の夏、「大人の女子校」がひっそりと解散していた。
キラキラ起業女子の巣窟として、かつて一部の主婦層の間で隆盛を誇ったあのグループが、静かにその幕を下ろしていたのである。
大人の女子校メンバーとして熱心に活動し、イキっていた昔の知人たちは、今頃どうしているのだろうか?
*この記事は2022年7月にBooks & Appsに掲載した拙稿「私はこれまで、折に触れてキラキラ起業を叩いてきた。それがインチキだからである。」の続編である。
調べたところ、「大人の女子校」コミュニティ内でインチキセミナー講師やキラキラ起業コンサルをしながら「ハンドメイドで食べれている」と胸を張っていた知人たちは、さすがにセミナー業はやめているようだった。仲間内で中身のない高額セミナーやコンサルを売りつけ合うビジネスモデルは、もはや成立していないらしい。
だが、驚いたことに、アクセサリー制作だけは今も続けているようだ。
正直言って意外だった。てっきり、コミュニティーが崩れたら作家活動もやめるとばかり思っていた。
利益率の低いアクセサリーの制作と販売をするかたわら、利益率の高い「好きなことを仕事にする方法」などの情報商材を仲間に売って稼ぐのが、彼女たちの成功法則だったのだから。
アメブロで集客できる時代が終わり、キラキラ起業仲間のコミュニティが崩壊しても、地道に制作を続けていることには見直しの気持ちを抱いた。
とはいえ、世の中は甘くない。
インフレが進み、米や卵といった食料品ですら値上がりが続くなか、庶民の可処分所得は明らかに減っている。どんなにバカでも、もはや高額セミナーやキラキラ演出のためのお茶会に金を出せる主婦は少ないだろう。
キラキラ起業女子だけでなく、普通のハンドメイド作家たちにとっても厳しい時代がやってきている。
一昔前は、庶民にとって「ちょっとした生活の楽しみ」だったハンドメイド雑貨やアクセサリーは、いまや贅沢品という位置付けに変わってしまった。
生活必需品でなく、貴金属のジュエリーやブランド品と違って資産価値もないため、それらにお金を使うのは無駄遣いとみなされるようになったのだ。
こんな世の中では、売れっ子の作家ですら以前と同じようには作品が売れず、苦戦している様子が方々で見受けられる。
インフレで材料費も配送料も上がっているというのに、ハンドメイド作品の値段は一昔前と変わっていない。値上げすれば売れなくなることを、作っている本人たちが誰よりもよく分かっているのだろう。
価格が据え置かれ、利益率が落ちていくなかで、それでも細々と制作を続けているのは、賞賛に値する粘り強さとも言えるし、過去の幻想から抜け出せない執着とも取れる。
彼女たちがこれまでつぎ込んできた時間と労力と費用を思うと、儲からなくなったからと言って、今さら事業をたたむ選択肢はないのかもしれない。
ハンドメイド作品の販路は、かつてはイベント出店とネット販売が主流だったが、近頃は委託販売という形で活動する作家も多い。百貨店や商業施設はもちろん、TSUTAYAや書店、カフェの一角まで、様々なリアル店舗がちょっとしたスペースを貸し出して、ハンドメイド商品を並べている。
お店側からすれば、これは割のいいビジネスだろう。場所を提供するだけで、賃料と手数料が入ってくるのだから。
だが、借りる側にとってはどうだろうか。集客力の高い施設であればあるほど手数料は高額になり、売上の6割を持っていかれることもある。そこから原材料費と諸経費をさし引けば、手元に残るお金はごくわずかしかない。
さらにその収入から税金や社会保険料を支払ったら、いったい手取りはいくらだろうか? これで本当に「食べていける」のか?
実際には副業どころか、お小遣い稼ぎとしても厳しいレベルだと思われる。
何個作って、何個売れば、まともな生活費になるのか。想像するだけで気が遠くなりそうだ。
「大人の女子校」の主催者だった2人の動向も追いかけてみた。
1人はグループを引き継ぎ、「オカザキマネジメントラボ」という名に改称して活動を続けたが、どうやらうまくいかなかったようだ。次に「自分軸ライフマネジメントコーチ」を名乗ってサロンを立ち上げている。しかし、それも失敗に終わり、現在は会社員として働いている。
もう1人は起業コンサルを続けてはいるが、もはや「すごい人」として讃えられていた頃の輝きはない。あの虚飾のコミュニティの中でこそ成立していた「人気」や「カリスマ性」は、外に出ればただのまぼろしに過ぎなかったのだろう。
「大人の女子校」がなぜ解散したのか、正確な理由はわからない。公式なアナウンスもネット上には見つからなかった。だが、社会の変化、そしておそらくは内部分裂。そういった要因が重なって、崩壊に至ったのだろう。
大人の女子校は、全盛期には3000人近い会員がいたという。バカを3000人も集めたら、グループをまとめるのはさぞかし難しかったに違いない。
バカを束ねるのにも才覚が要る。
組織のトップには強烈なカリスマ性が求められるのはもちろん、管理能力の高さも必要だ。もとは「イケテナイ主婦の集まり」だった「大人の女子校」主催者たちに、それらを求めるのは酷だったのかもしれない。
結局、「キラキラ起業」とは何だったのだろう? 強いていうなら、自己実現という名の消費だろうか。
おしゃれなカフェ、ホテルのラウンジ、あるいは誰かの自宅リビングを“サロン”と称して、写真映えするお菓子と紅茶を囲みながら「自分らしく働くとは?」などと語り合う。
現実より「それっぽく見える写真」のほうが重要で、本質より「共感を呼ぶエピソード」が大切だった。そこには、中身が乏しいからこそ演出に頼らざるを得なかったという哀しさがある。
キラキラ起業が死に、虚飾のコミュニティが消えて、元メンバーたちに残されたのは「素の自分」で稼ぐしかない現実だけだ。本物のスキルも、プロの目も、社会に必要とされる知識も持たず、素の自分で生きていくのは想像以上に過酷だろう。
それでも、過去の夢にすがって生きていくのか。あるいはようやく幻想を手放し、地に足をつけて働く道を選ぶのか。
どちらでもいいが、また妙な自己啓発に走るのだけはやめてもらいたいものだ。
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【著者プロフィール】
マダムユキ
ブロガー&ライター。
「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。最近noteに引っ越しました。
Twitter:@flat9_yuki
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