歴史の転換点に現れる「大翻訳時代」とは?【学びのきほん 英語と日本語、どうちがう?】
鴻巣友季子さんによる「翻訳のきほん」指南 #2
日本を代表する翻訳家・鴻巣友季子さん。
鴻巣さんによる「言語の歴史と役割」「英文和訳と翻訳の違い」「直訳と意訳の違い」「翻訳を教える際に気をつけている5つのポイント」の4つの講義で、二つの言語の理解の深め方を学ぶ『NHK出版 学びのきほん 英語と日本語、どうちがう?』が発売となりました。
今回は本書より、「実は歴史が翻訳によってつくられてきた」ということについての解説を特別公開します。
歴史の転換点と大翻訳時代
人類の長い歴史において、その転換点にはしばしば、大翻訳時代とも呼べる翻訳の時代が現れました。これは世界史にも日本史にも共通しています。
まずは世界史から見ていきましょう。
古代ギリシアが最終的にローマ帝国に吸収されてローマ時代が始まりますが、その過渡期に当たるのがヘレニズム時代(紀元前三二三~紀元前三〇年)です。このころアレクサンドロス大王(紀元前三五六年~紀元前三二三年)という偉大な王が、ギリシアから東に向かって東方遠征を進め、大帝国を築きました。
ここに、アレクサンドロス大王の死後半世紀ほどして「大翻訳時代」が出現します。大王のヘレニズム文化の理念を生かす形で、プトレマイオス王朝のファラオたちが世界のあらゆる書物を一か所に集めてギリシア語に翻訳しようとしました。その拠点になったのがエジプトに建立されたアレクサンドリア図書館です。フェニキア語、ヘブライ語、エジプト語などあらゆる言語の書物が集められ(伝説では四〇万から七〇万巻とも言われます)、ここでギリシア語に翻訳されました。アレクサンドリア図書館は「ムセイオン」という研究機関であると同時に、世界最古の翻訳機関であり、翻訳学校でもありました。
なぜ、これほど翻訳に力を入れたのでしょうか。この時期は、大王の時代の巨大な帝国が分裂し、西からはローマの勢力が拡大し、その圧力が高まっていました。ギリシアの統一力に陰りが出ていたとも言えます。そこであらゆる書物をギリシア語に翻訳して、言語的な優位を保つという策に出たのです。「ギリシア語こそが学問の言語である」と宣言するようなことです。
言語で覇権を取ることは、他国や他民族を支配するための有効な手立てです。翻訳は、知の保存・再生・再構築に役立つものですが、同時に、文化的な覇権を得る上でも重要な役割を果たします。ギリシア語が共通語となって、ギリシアと東方を融合させたこの時代は、史上初のグローバリゼーションが起きた時代だとも言えます。
知恵の館とトレド翻訳学校
次に現れた大翻訳時代は、八世紀半ばから一三世紀半ばのイスラーム帝国・アッバース朝の時代に起こりました。八三〇年頃、アッバース朝第七代カリフ(最高指導者)のマームーンが、バグダードに「知恵の館」を設立します。「知恵の館」は、ギリシアをはじめペルシア、インドなど外来の文献を収蔵した図書館兼高等教育機関で、一〇〇年から一五〇年間ほど活動しました。ここがイスラーム帝国の拡大と、翻訳事業の中心地になったのです。
彼らはここで、ギリシア語の文献を片っ端からアラビア語に翻訳していきました。イスラーム帝国はビザンツ帝国(東ローマ)と接していたので、ギリシア語のできる人がかなりいたのです。アレクサンドリア図書館があらゆる書物をギリシア語に翻訳したように、イスラーム帝国もある意味、翻訳によって文化の覇権を取りにいったわけです。
「知恵の館」では、古代ギリシアが育んだ科学、哲学、医学など、きわめて多様な分野の知識の継承がおこなわれました。アラビア語への翻訳を通じて、知の再発見と再構築が大きく進められたのです。と言うのも、その頃のヨーロッパ中世社会は学問や聖典の言葉においてラテン語が支配的で、ギリシア語が読める人が少なかったのです。古代ギリシアの学問はほぼ忘れられていたと言えます。いま、私たちが古代ギリシアの文化や文明についてこれだけ知ることができるのは、アラビア語の翻訳を通して、西洋に逆輸入されたからだと言えます。もしこのときアラビア
語に翻訳されていなければ、古代の知の多くは失われていたかもしれません。
三つ目の大翻訳時代は、レコンキスタ(国土回復運動)と言われる時代と重なっています。レコンキスタは、イベリア半島などイスラーム勢力が領土を拡げていた地域にキリスト教勢力が再台頭してくる時代で、八~一五世紀終わりくらいまでを指します。
この時代に、トレド翻訳学派という人たちが出てきました。彼らはトレド翻訳学校を設立し、一二~一三世紀にかけて、神学や自然科学など多岐にわたる学術書をアラビア語から主にラテン語、一部はカスティーリャ語(スペイン語)に翻訳しました。「知恵の館」でアラビア語に翻訳された古代ギリシアの文献も、ここでラテン語などに「再翻訳」されて、ヨーロッパの文化に再編されたのです。
トレド翻訳学派を中心とする翻訳の広がりは一二世紀ルネサンスとも呼ばれます。ルネサンスとは一般的に、一四~一六世紀のヨーロッパで起きた文芸復興を指しますが、その手前に、それにつながる「翻訳の世紀」があったのです。この翻訳の世紀に、古代ギリシアの科学や芸術がアラブ世界を経由して西洋に逆輸入された。歴史上非常に大きな出来事で、一四世紀以降のルネサンスにつながっていきました。
さきほど私は、「知恵の館」でイスラーム教徒たちが古代ギリシアの文献を精力的にアラビア語訳していたとき、西洋では古代ギリシアの学問は忘れられていたと言いました。当時、西ヨーロッパでは教会権力が強大化し、人々はその権力に押さえつけられていました。権力というものは肥大化すると汚職などによって腐敗するものですが、当時のヨーロッパも然りで、社会が荒廃し、経済力も弱っていました。
そこに一二世紀ルネサンスが到来し、古代ギリシアの文献に再び触れることができるようになった。アラビア語から、当時の普遍言語であるラテン語に翻訳されたため、ラテン語が読める人たちはギリシア古典の文献を読めるようになりました。
このとき、古代ギリシアの叡智や精神に感化されて出てきたのが、ヒューマニズム(人間主義)です。人文科学(humanities)もここから来ています。教会権力から離れ、人間に立ち戻る。教会の言いなりになるのではなく、神の言葉を自分で読み、自分で考える。これがヨーロッパの芸術や学問の一大革新運動であるルネサンスへの大きな布石になったわけです。そしてそれは翻訳を通してなされたのです。
このように、歴史の転換点にはしばしば大翻訳時代が現れます。歴史は翻訳によってつくられていると言っても過言ではないでしょう。
続きは『NHK出版 学びのきほん 英語と日本語、どうちがう?』でお楽しみください。
著者紹介
鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)
1963 年東京都生まれ。翻訳家、文芸評論家。英語圏の同時代作家の紹介と並んで古典名作の新訳にも力を注ぐ。文芸評論、翻訳研究の分野でも活動。主な訳書にエミリー・ブロンテ『嵐が丘』、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』(新潮文庫)、マーガレット・アトウッド『昏き目の暗殺者』『誓願』『老いぼれを燃やせ』(早川書房)など、著書に『謎とき『風と共に去りぬ』』『文学は予言する』(新潮選書)、『翻訳教室』『翻訳ってなんだろう?』(筑摩書房)、『ギンガムチェックと塩漬けライム』(NHK 出版)など。津田塾大学言語文化研究所客員研究員。日本文藝家協会常務理事。
※刊行時の情報です
◆『NHK出版 学びのきほん 英語と日本語、どうちがう?』「はじめに」より
◆ルビなどは割愛しています
◆サムネイル画像出典:Wikimedia Commons