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哲学の限界を示した!? ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を分かりやすく解説

草の実堂

画像:今もなお人気を集めるウィトゲンシュタイン public domain
画像:今もなお人気を集めるウィトゲンシュタイン public domain

ウィトゲンシュタインの独特な文体

ウィトゲンシュタインの文章は、とてもユニークです。

「語りえないことについては、沈黙しなければならない」という有名な言葉があるように、彼の文章は短くて印象的な言葉が多いのが特徴です。

それぞれの言葉には深い意味が込められており、読者に深く考えさせるような表現が多いため、日本の俳句や短歌に近い方法かもしれません。

言葉と思考の関係

ウィトゲンシュタインが注目したのは「言葉」と「思考」の関係です。

人間は言葉を使って考えますが、そもそも「考える」とは「言葉(記号)」を適切につなぎ合わせる作業とも言えるでしょう。

物理学では「質量」「時間」「速度」「作用」「反作用」といった言葉を用いることで、自然現象を思考(理解)しようと試みます。

このように「思考」と「言葉」は切り離すことはできません。

言葉を使うことで、複雑な問題や難しい事柄について考えることができるのです。

言葉の習慣と奥深さ

日常において言葉を使うとき、私たちはあまり深く考えずに使っています。しかし言葉の意味を深く考えてみると、意外と難しい問題が隠れているのです。

その一例として「ある」(存在する)という言葉を考えてみましょう。

普段の会話では「ある」という言葉の意味は、比較的明確です。

「お母さんの眼鏡はどこにあるの?」「テーブルの上にあるよ」

この会話を通じて、眼鏡の具体的な場所が明確になります。

私たちが無意識に使っている、言葉の習慣(ルール)とも言えるでしょう。

しかし、より抽象的または哲学的な文脈になると、言葉の意味が曖昧になってきます。

「神は存在するのか?」「宇宙の始まりとは?」

このような質問に関しては「ある」(存在する)の意味が不明瞭になり、簡単には答えられません。

一見シンプルに見える言葉でも、複雑で哲学的な問題を含んでいることが分かります。

「言語ゲーム」とは?

画像 : 言語ゲーム イメージ 草の実堂作成

ウィトゲンシュタインは、言葉に「ゲーム」のような性質があるとします。

そして「言語ゲーム」と名付けました。

たとえば「幸せとは何か?」について考えてみましょう。

「幸せ」という言葉は広く使用されていますが、その定義は個人によって異なります。

ある人は「経済的な豊かさ」を幸せと捉えるかもしれません。その一方、別の人からすれば「家族や友人との時間」を幸せだと感じる場合もあるでしょう。

哲学者のアリストテレスは「幸福とは、徳に基づいた魂の活動である」と定義しました。しかし「徳とは何か?」「魂の活動とは具体的に何を意味するのか?」といった新たな疑問が生じてきます。

このように言葉を通じて説明しようとすると、新たな問題が次々と浮上してくるのです。

言葉から生じる問題の解決を試みると、新たな問題が生まれ、その新しい問題の解決を図ろうとすると、さらに別の問題が出現する…

このように言葉と問題が、無限に連鎖していく現象が出てきてしまうのです。

※イメージ画像

「語りえないことについては、沈黙しなければならない」

ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』という本の中で、「語りえないことについては、沈黙しなければならない」と書きました。

この意味は何でしょうか?

人間は言葉を通じて思考します。言葉がなければ、思考も生まれません。

そのため「言葉で表現できないことについては、無理に説明しようとせずに黙っているべきだ」という解釈が一般的です。

ウィトゲンシュタインは、自然科学の言葉だけが「語りうるもの」だと考えました。
なぜなら自然科学は、世界で起こっている出来事(現象)を言葉に変換する作業だからです。

「この石は重い」という感覚を「この石の質量は5キログラムです」という言葉に置き換えて、客観的に説明するのが自然科学の仕事になります。

主観的な感覚(重さの感覚)から、客観的で測定可能な数値(質量)に変換し、普遍的で理解可能な方法として示すのが自然科学の役割なのです。

倫理と哲学の限界

しかし、ウィトゲンシュタインは倫理(善悪の判断)について、独特の考えを持っていました。

「ある人が財布を盗んでいる」という事実があったとします。

この出来事自体は客観的に観察し、言葉で説明することができるでしょう。ただし「盗むことは悪いことだ」という倫理的判断は、この事実から直接導き出すことはできません。

ウィトゲンシュタインは「善悪の判断は世界内の事実ではなく、世界の外側に存在する」と考えていました。

一見難解ですが、以下のように解釈できるでしょう。

世界内の事実:私たちが観察できる現象や出来事(例:空が青い、リンゴが落ちる)

世界の外側にあるもの:人間の価値観や倫理的判断(例:神は存在するのか、嘘を付く行為は悪か)

つまり、倫理的な価値判断は「科学的に観察(測定)できる事実とは、全く異なる次元に属する」と、ウィトゲンシュタインは主張したのです。

ウィトゲンシュタインは更に踏み込んで「哲学は倫理を語ることをやめるべきだ」と主張しました。

哲学の役割:哲学の役割は、主に言語や論理の分析である。

倫理の性質:倫理的判断は個人の価値観に基づくもので、客観的な事実はない。

論理的分析の限界:倫理的判断は、事実に基づく論理的な分析では説明できない。

そして「倫理は哲学が扱うべき対象ではない」と結論付けます。

しかし重要なのは「意味がない」とは言っていないところです。

世界の存在に対する驚嘆

ウィトゲンシュタインは「世界が“ある”ということが神秘的なのである」とも述べました。

「世界が存在し、その中で私たちが生きている事実、それ自体が不思議で神秘的なことだ」という認識を示しています。

先ほど触れましたが、論理的に考えると「神は存在するのか」という問いに答えることは不可能です。

しかし信仰を持つ人は「心の中に神がいる」と感じるため、どちらが正しいかを決めることはできません。

人間はそれぞれ育った環境や経験が違うので、考え方や価値観が異なるからです。

そして人類の歴史とは、価値観の違いによって、人々が争い合ってきた物語であるとも解釈できます。

そのため「論理的に証明できないものには意味がない」と簡単に片付けることはできないのです。

ウィトゲンシュタインは、哲学が倫理的な問題から逃れられないことを理解していたのかもしれません。

参考文献:
ウィトゲンシュタイン(2003)『論理哲学論考』(野矢茂樹 訳)岩波書店
木田元(1993)『ハイデガーの思想』岩波書店
文 / 村上俊樹

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