“極悪”行き16歳アジャさんに長与千種さんがかけた言葉~アジャコングさん(立川市出身)②
東京の多摩地域にお住まいの方、出身の方もそれ以外の方にも楽しんでいただきたいという番組。
MCは土屋礼央さん(国分寺市出身)&林家つる子さん(八王子市の大学出身)。
今週のゲストも、レジェンドプロレスラー、アジャコングさん(立川市出身)。ドラマ「極悪女王」で描かれている時代の女子プロレスの世界に憧れてプロレスラーを目指したアジャさん。16歳で“極悪”の道を言い渡された時のスーパースター長与千種さんと母の言葉とは!? 立川で生まれ育ったアジャさん、近年の立川の発展に戸惑う!
“極悪”行き16歳アジャさんに長与千種さんがかけた言葉~アジャコングさん(立川市出身)②
“クラッシュギャルズ”に憧れて女子プロレスラーの道へ!
土屋:さっそくゲストのご紹介です、先週に引き続き、プロレスラーのアジャコングさんです!
アジャコングさん:どうも! 今週もよろしくお願いします!
土屋:先週、アジャさんの話がおもしろ過ぎて。まだ学生時代にバレーボールをやり始めた話までしかいってない(笑)。プロレスまでたどり着いていない。中学時代にバレーボールや空手をやっていたと。そこからどうやってプロレスになるんですか?
アジャコングさん:私はそんなでもないですよ、大したことはないです。中学時代から女子プロレスが好きでずっとみてまして。ちょうどその頃、“クラッシュギャルズ”の人気が大爆発していて。それこそ、今のドラマ「極悪女王」の世界が世の中に蔓延している時だったんです
土屋:フジテレビでテレビ中継があって。
アジャコングさん:もちろん! しつこく現役を続けております(笑)。毎週月曜の夜7時のゴールデンタイムに女子プロレスがやっていて。今じゃ考えられないですけど。テレビにかじりついて観ていて。高校の進路を考える時にどうしようと。昔から体が大きかったので、近所のおじちゃん・おばちゃんに<プロレスラーになってお母さんを楽にしてあげなよ>って、“ビューティーペア”全盛期の頃から言われていたけど、<観るのはいいけど、痛いからヤだ!>と思っていて。
つる子:へえ。
アジャコングさん:”クラッシュギャルズ”が出てきた時、きれいに言うと憧れたんですけど、中学生的な打算的に言うと(毎日タダでクラッシュギャルズを観る方法はどうすればいいんだろう・・・)と言うことからですね。毎日見るにはお小遣いも続かないじゃないですか。
土屋:ああ、なるほど。
アジャコングさん:毎日見るには(女子プロレスに入れば傍で観られる!)と。
つる子:ファン心理からなんですね!
アジャコングさん:あれは私が女子プロレスの世界に入る直前のお話で。あのドラマのおかげで女子プロレスが見直されて、注目されてありがたいなと思って。見ていただいてありがとうございます。なので、年に1回ある全日本女子プロレスのオーディションを中学3年生の時に受けて。それに受かったので、高校に進学せずにプロレスに世界に。
土屋:テストは一発で受かったんですか?
アジャコングさん:一発で受かりました。
つる子:おお!
土屋:女子プロレスのテストに受かるためのトレーニングをしていたんですか?
アジャコングさん:一応、部活でバレーボールをやっていたのと空手をやっていたので、普通の女子中学生よりは運動をしていたかなと。それにプラスして近所の公園を走ったり、筋トレもやってテストにのぞみましたね。
土屋:テストに応募してくる人も多かったんじゃないですか?
アジャコングさん:私たちの時は書類審査で3000人くらい。
土屋:ええ!? ケタが全然違う!
アジャコングさん:“クラッシュギャルズ”の大全盛期ですから。3000人くらい応募してきて、最終的に10人受かったという。
つる子:3000人ですか、すごい。
16歳の新人アジャさん、極悪の道へ
土屋:アジャさんは、どういった経緯でヒール的なポジションになったんですか?
アジャコングさん:私は“クラッシュギャルズ”さんに憧れて女子プロレスに入ったんですけど、やっぱり“クラッシュギャルズ”になるのは、スター性があったり、かわいい子やボーイッシュな子を組ませて、第2のクラッシュギャルズを会社が作ろうとしていて。
土屋:なるほど。
アジャコングさん:女子プロレスは最初に練習生で入って、プロテストに受かって初めてプロになるわけなんですね。デビューして3ヶ月くらいした時に会社に呼ばれて、<おまえ、今日から極悪な!>って。
つる子:ああ~。
アジャコングさん:でも、そこにNOは無いわけですよ。NOと言ったら会社を辞めるしかないので。そうしたらプロレスラーの道が閉ざされるわけなんで。だから、はいとYESしか無いので、はいって。その時、16歳の私からすると、この世の終わりだと思うわけですよ。
土屋:そりゃそうですよね。“クラッシュギャルズ”を観て女子プロレスの門を叩いて・・・
つる子:“ダンプ松本”さんが大活躍されている時の・・・
アジャコングさん:今では“ダンプ松本”さんを尊敬していて。“ダンプ松本”さんや“ブル中野”さんがいてくれたので、今、私がアジャコングとしてやれているのはすごいありがたいなと思うんですけど。その当時のファン気質も抜けない16歳の少女からすると、どっちかというと<ダンプ松本、大っ嫌い!>で女子プロレスの世界に入ってきたので。
土屋:みんなにそういうふうに思われたんで。
アジャコングさん:なんなら率先して<帰れ!>コールをしてた方なんで(笑)。
土屋:そうだよ、“クラッシュギャルズ”を応援してたんだから。
アジャコングさん:“ダンプ松本”さんのクルマにイタズラ書きはしなかったですけど、<ダンプ、消えろーっ!>って散々言ってた方なので。
つる子:まさかその自分が・・・
アジャコングさん:そう、まさか自分がそっち側に入って・・・。しかも、“クラッシュギャルズ”の敵側に回るってことは、もうこの世の終わりだなって。
土屋:うわ、、、
つる子:“ダンプ松本”さんも当時そういう思いで・・・
アジャコングさん:そうなんですよ。今、ドラマ「極悪女王」を見て“ダンプ松本”さんの思いもわかるんですよ。当時15、6歳で、ファン感覚で女子プロレスの世界に入っているので。会社から言われて、この世の終わりだなーって思って、事務所の下でぐずぐず泣いていたんですよ。スーパースターってすごいなと思うんですけど、その時、“長与千種”さんが通りがかったんですよ!
土屋:はいはい!
アジャコングさん:(毎日タダで見られる!)(すごく仲良くなれる!)と思っていたら後輩になるわけで仲良くなんかできるわけないわけですよ。先輩に自分から口なんか聞けないので。ましてや、“クラッシュギャルズ”さんは忙しくて。試合に来てすぐ次の芸能の番組に行って、終わってまた試合に来て、また芸能の番組に行ってだから、会う暇なんか全然無いくらい。しかも、プロレスの試合の後の歌のコーナーを最前列で観ていたんですけど、悪役になったら見れないわけで。そんな思いで泣いていたら、そこに“長与千種”さんがたまたまお仕事で事務所に来ていて。<新人、なに泣いているんだ!?>って言われて。
土屋:うん!
アジャコングさん:(えっ!? “長与千種”に声をかけられてる!!!)って。泣きながら“長与千種”さんに<今、会社に極悪に行けって言われて・・・長与さんのファンだったんですけど、これでお別れです・・・>って言ったら、“長与千種”さんが<同じ会社なんだからお別れもあるかよ。いいから泣きやめ!>って言われて。それでも泣いてたら<しょうがねえな! これやるから泣き止め!>って長与さんがバックから取り出したサングラスをもらって!
土屋:おお!
アジャコングさん:長与さんが<いいか、ヒールになるんだったら、泣いた顔を人に見せたらダメだろ。このサングラスが似合うヒールになって長与千種のところまで上がってこい!>って! なんてカッコいいんだ! ほんと、ドラマのスーパーヒーローですよ!
土屋:ああ、すごい! 「極悪女王」のシーズン2が見えてきたよ!
つる子:ほんとに!
アジャコングさん:そこで切り替えてヒールになろうと思って。でもなんせ、憧れの“長与千種”さんから物を頂けるという。まして、新人なんで接点も無いんで話しかけることも出来なかったのが、話し掛けてもらって、サングラスをいただいて。
土屋:でも、ヒールになるわけじゃないですか。お母さんに伝えた時のことを覚えてますか?
アジャコングさん:母親に電話をして<会社からおまえは今日から“極悪”!って言われた>って言ったら、母親は<まあ、そういう世界だからしょうがないよ>って。うちの母親は、プロテストに合格した時に、最初は反対されていたんですよ。一発勝負でダメだったらちゃんと高校にも行くって言って。で、受かったことを伝えた時も<ああ、そう。お母さんはアンタが見せ物になるから反対してた>って。<見せ物になるつもりはないよ! みんなに見てもらうようにする! スーパースターになる!>って言って啖呵きって出ていったら、今日から“極悪”と言われて。
つる子:はい。
アジャコングさん:<髪の毛も金髪にする><ああ、いいよ><家も帰れないかも><全然いいよ、帰ってきな>って。ヒールになったことは母親として内心は不安はあったと思うんです。でも、<頑張って行くしかないんでしょ? プロレスラーになりたかったんでしょ? あなたのやりたいことをやるためにはそうやるしかないんでしょ。頑張りなさいよ>って。<でも嫌ならいつでも帰ってきていいよ>って言われて。そう言われると反発心も生まれて、絶対に帰りたくないし。
つる子:ああ。
アジャコングさん:母親に電話しても<つらくなったの? 帰ってきてもいいよ><全然帰らねえし!>って言って、電話を切ってから泣くんですけどね。
土屋&つる子:ああ~。
アジャコングさん:(なんで!? 帰りたい!って言いたいから電話してるのに~)って。
悪徳レフリー阿部四郎さんに可愛がってもらったアジャさん
土屋:なかなかお母さんのいる「立川」方面には帰りたくても帰れなかったんですか?
アジャコングさん:母親は「昭島」に残って、私は寮に1年いた後、都内で一人暮らしを始めて。でも、「立川」は(全日本女子プロレスの悪徳レフリーで有名な)“阿部四郎”さんは、多摩地域のプロモーターだったんですよ。それで、「立川競輪場」の駐車場で毎年、試合をしていて。
つる子:多摩だったんですね!
アジャコングさん:「立川」、「昭島」、「福生」、「八王子」、「東村山」とか。
土屋:女子プロレスのポスターがいつも貼ってあったよ!
アジャコングさん:多摩地域でやっているのは、あれは全部、“阿部四郎”さんがプロモーターだったんで。
土屋:そういうことだったんだ! 多摩地域で試合した後は、美味しいごはんを食べたりは?
アジャコングさん:いや、試合してもすぐ帰るという。ただ、“阿部四郎”さんに私が「立川」出身ということを知ってもらってから、母親が「立川大会」を見に来たりすると、“阿部四郎”さんが<チケット? いい、いい。あげる!>って言って。“阿部四郎”さんも「東村山」の方だったんで、私はすごい可愛がってくれましたね。
つる子:へえ!
アジャコングさん:“阿部四郎”さんが晩年、レフリーをされなくなってから、「立川」でお店をやられていて。<ちょっと小遣いやるから顔出しに来いよー!>って言われて「立川」のお店に顔を出しに行って。そしたら“阿部四郎”さんの知り合いのお客さんを呼んで<アジャが来てくれたんだよ!>って散々お世話になって。残念ながらもうお亡くなりになったんですけど、そういう意味では多摩つながりで“阿部四郎”さんにすごい可愛がってもらいました。
土屋:はい!
アジャコングさん:<頑張れよ!>って“ダンプ松本”さんに声かけていた時のように、同じように声をかけてくださって。
つる子:良い方だったんですね。
アジャコングさん:ほんとに良い方。
土屋:そうやって多摩ともつながったままで。
アジャさん、立川の発展に驚く「なんだ、この吊ったやつ(=モノレール)は!?」
土屋:大人になってからは、「立川」や多摩はどんな地でしたか?
アジャコングさん:うちは母親も亡くなってしまったので、多摩の実家が亡くなってしまって帰る機会が減ってしまって。あんまり行くことが無くなったんですけど、逆にお仕事で「立川」や「昭島」に講演会をさせてもらったりして。なにせ、「立川」は変わり過ぎていて、わけがわからない!!
土屋:「WILL」の時代の「立川」を知ってる人からすると、別の町ですよね! モノレールがあることもびっくりですよね!
アジャコングさん:「立川駅」を出て、<な、なんだ、この吊ったやつ(=モノレール)は!?>って。
つる子:(笑)。
土屋:立川は昔、なんも無かったんだから!
アジャコングさん:たしかに、デパートや百貨店はありましたけど、でもどういうこと!?っていうくらい。しかも、「立川駅北口」を出て少しの、それこそ「立飛」のあたりは、「イケア」があって「ららぽーと」があって。どういうことですか!?って。
土屋:ほんと、なんにも無かった!
アジャコングさん:しかも「立川市役所」も全部、移ったでしょ? 「立川市役所」って昔、「立川駅南口」の暗い汚ねー所にあったんですよ!
土屋:まあまあ、否定はしない(笑)。
アジャコングさん:私はいまだに本籍地は「立川」にあるので、パスポートの期限が切れると「立川」に取りに行くんですよ。南口だと思ったら、北口!? え、どこにあるの、わかんない!って。南口にあった、「立川市民会館」の横にあった小汚ねー庁舎だったはずなのに!?って。何年か前にパスポートの申請で北口の庁舎に行った時、(え、なにこのすごい庁舎は!)って。
つる子:(笑)。
土屋:今だから言うけど、親から<「立川」の南口にだけは行くな!>って言われてた(笑)。
アジャコングさん:そう! 今でも賑やかな繁華街ですけど、私の中学生くらいの時代は小汚い映画館の中で不良たちが禁煙って書いてある下で一生懸命タバコを吸っていて(笑)。そういう不良学生が集まるような喫茶店がいっぱいあったんですよ!
土屋:あった、あった。
アジャコングさん:私自身はちゃんとした不良というか・・・(笑)。
土屋:不良という時点でちゃんとはしてないですけど(笑)。
つる子:(笑)。
アジャコングさん:私は「昭島」に引っ越したというのもあって。「立川」時代の同級生たちがね。あの頃、ドラマ「金八先生」の三原じゅん子さんに憧れたりした、グレたスカートが長い子たちが増えていてそういう喫茶店にいるんですよ。で、私は土日に遊びに行くんですけど、<これから走りに行くんだけど、行く?>って誘われて、<うーん、そろそろ帰らないとお母さんに怒られるから>と言うと、その子たちは幼馴染なので私の母に悪さしてゲンコツで殴られていたので、<ヨウコおばちゃんは怖いから帰った方がいいね>って言われて、すんなり帰してもらっていました(笑)。
土屋:それが今は「立川駅南口」はほんとに別の世界になっていて。
アジャコングさん:南口には、美味しいごはん屋さんなどがいっぱい出来ているみたいですね。なので、今度ちゃんと探索して観たいなと思ってるんですよ。
土屋:アジャさんの人生のおいて、「立川」は誇りの地という感じですか?
アジャコングさん:そうですね。「立川」で生まれ育って、「立川基地」を見て、「立川競輪場」で女子プロレスを見たというのもあるので、すべての私の原点は「立川」から始まって、「昭島」などの多摩地域で育ってきているので、多摩の誇りはありますね。
土屋:ちょっとこれはネットフリックスのロケ地として立川を! 「シン・ゴジラ」に続いてね!
アジャコングさん:そうなんですよ、「シン・ゴジラ」でも都内はやられてしまうんですけど、「立川」は最終防衛地点なんですよ!
つる子:(笑)。
土屋:アジャさんに防衛大臣になっていただいて(笑)
アジャコングさん:「立川」で止めますから!
(TBSラジオ『東京042~多摩もりあげ宣言~』より抜粋)