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眠いと思うから眠いんです。眠いと認めなければ、いくらでも時間がうまれてきます。

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眠いと思うから眠いんです。眠いと認めなければ、いくらでも時間がうまれてきます。

「散髪屋のオッチャンって、なんで風邪ひかないんですか?」


ひとむかし前のことだがマスターに、そんな疑問をぶつけたことがある。

馴染のお寿司屋さんで偶然一緒になり、お互いに一人だったので一緒に飲んでいた時のことだ。


「修行時代に淘汰されるんやと思います。お客さんからうつされやすくて休みがちやと、仕事にならないんですわ」

「マスターは、お客さんから全然うつされないんですか?」

「そうなんです、だから独立できたんやと思います」


おもしろい考察だ。

一人で切り盛りする散髪屋さんの多くは、なぜ風邪などで臨時休業をしないのか。しょっちゅう風邪をもらうような理髪職人は淘汰されるので、結果として強靭な心身のオーナーだけが生き残れる、という趣旨である。


確かにこのオッサン、もう70近いというのに、この店で呑んだくれた後、真冬に店前の道路で寝ていたこともあると、大将から聞かされたことがある。

大将がシャッターを閉める時に気がつくまで、数時間も寝てたというのだから、下手したら死んでいるレベルだ。それでも翌朝、キッチリと理髪店を開けたというのだから、並大抵の体力と抵抗力ではない。


「ところで大将も、ぜんぜん臨時休業しませんよね。独立してから50年、風邪で休んだことあるんですか?」

「ありまへんなあ」

「ほな大将も、よほど強靭なんでしょうねえ」

「ワシの場合は、ちょっと違いますなあ。風邪ひいても、気がつかなければええんですわ」

「…は?」

「風邪やと認めるから、しんどなるんです。認めへんだら、しんどありまへん」


やはりこのオッサンも、なかなかの狂人だ…。独立し長年一人で店を守り続けられる人というのは、どこか頭が捩(ね)じ切れている。

ワンオペの商売を成立させるというのは、きっとこういう人たちなのだろう。

そんなことを漠然と思っていたある日、さらに頭が捩じ切れている“狂人”に会い、衝撃の体験をする。


「そろそろ帰りましょう」

こちらも、もう随分と前の話だ。

陸上自衛隊で北海道の部隊を率いる友人から、実弾射撃訓練の見学行事に招待してもらったことがある。支援団体の幹部や地域の協力者を招き、自衛隊への理解を深めてもらおうというイベントだった。

北海道の広大な演習場で行われる訓練で、早朝に駐屯地に集合し、そこから自衛隊車両に乗って移動することになる。


その前日。

奈良から北海道に飛んだ私は指揮官を表敬訪問すると、その足で近くの居酒屋さんにご一緒することになった。地元の名物料理やお惣菜を次々にお任せで出してくれる、古民家風の居酒屋だ。

これまで北海道には何度も足を運んでいろいろな料理を頂いたが、こういった地元料理というのは初めての経験である。それだけに、手厚いもてなしのお気持ちを感じ、ついつい酒が進む。


余談だが自衛官、とりわけ高官を表敬訪問した際には概ね、対応が松竹梅に分かれる。

梅、すなわち仕方なく会うというレベルに分類されたら、面談時間はキッチリ15分。さらに13分頃には副官が入室し、指揮官にコッソリとメモを渡すフリをする。(指揮官に用件が入ったんだよ、わかるよね?)と、圧を掛ける演出だ。そしてその時、こちらから切り上げる物わかりの良さがないとメチャメチャ嫌われる。

竹、すなわちそこそこ人間関係があると思ってもらえている場合、お昼前に呼ばれたりする。そしてランチをご一緒しながら、たっぷり1時間ほど意見交換を楽しむ。

松、すなわち親しい関係だと思って貰えている場合、夕方にHQ(司令部)に呼んで頂ける。そして夜の部で居酒屋さんなどに行き、世間話を含めて交流を楽しむ。


この際、どういったお店にご一緒させて頂けるか、というのも楽しみの一つだ。

自衛隊の高官は例外なく、地元の「行きつけの店」をいくつも、前任者から引き継いでいる。そのため「副官に選ばせた店」なのか、「指揮官の店」なのか、すぐにわかる。


この日、お招き頂いたのは確実に指揮官行きつけの店だった。そんなホスピタリティと旨い酒に酔いしれている時、指揮官がふとこんな事を言う。

「桃野さん、まだ夜も早いですし、2軒目に行きましょう。行きつけのおしゃれなワインバーがあるんです」

明日は私ですら、駐屯地に朝7時には行かなければならない。指揮官は、それよりも早くおそらく5時くらいには、演習場に到着しなければならないはずだ。そのためお体が気にならなくも無かったが、せっかくのお誘いなのでご一緒することにした。


そして2軒目でも様々なお話を楽しみ盛り上がると、いつの間にか時間はまもなく0時になろうとしていた。

すると指揮官は、こんなジョークをいう。

「桃野さん、ご存知ですか?陸幕(陸上幕僚監部。一般企業でいう、本社に相当する組織)では深夜0時を過ぎると、『まだ午前中だな』といってさらに仕事をするような冗談があるんです。今はそこまででもないようですが」(どこまでバケモンなんだ…、まだまだ行けるってことか…?)


そう思ったが、さすがに指揮官のお体が気になり、聞いた。

「明日の朝、だいぶ早いとお聞きしていますが何時起きなのですか?」

「4時には起きて移動します。演習場でお待ちしていますね」

「4時!こんな時間まで大丈夫なのでしょうか」

「はい。私は遠方から来て下さった大事な友人に『そろそろ帰りましょう』などと、絶対に言いません」

(やっやっや…やべえ!!この人、本当にやべえ!!!)


背筋が寒くなるような気合を感じた。

この人おそらく、私の方から「そろそろ帰りましょう」と言い出さない限り、ここから演習場に向かう覚悟だ!こちらからすれば逆に、そろそろ帰りましょうと言い出しづらいと思っていたが、指揮官の気合を舐めていた。

「ダメダメダメダメ!だめです!もう今日は本当に、お心づくしの歓待を堪能しました!明日に備えて今日はお戻り下さい」

「私はまだ大丈夫ですが、本当にいいんですか?」

「はい、逆に私が起きられません!」

「ではお開きにしましょう、本当に楽しい一日でしたね。明日もぜひ、楽しんで下さい!」


翌朝、演習場に着くとケロッとした表情の気合漲る指揮官が、私たちを出迎えてくれた。嘘だろ…。指揮官より2時間は多く寝ている俺でも、若干辛いのに(泣)

それからだいぶ時間が経ったつい最近、当時のことをお聞きしたことがある。

「あの時、本当にお酒は残ってなかったのですか?」

「はい、もちろんです」

「不思議なんですが…。一体どうしてそんな事ができるのですか?」

「なんとかするんです笑」

大部隊を率いる指揮官の、クレイジーとも言える本気の覚悟を痛感した想い出の一つだ。


本当の“投資”

話は冒頭の、商売人のことについてだ。

なぜこの2人よりも、陸自指揮官のほうが“狂人”だと震え上がったのか。

もちろんこれは、どちらが優れているとか劣っているという話ではない。その上で2人の商売人は、自分や家族、顧客や取引先のために強靭な心身で長年、商売を成功させてきた。風邪をひいても気が付かなければいいという哲学は、なかなか真似できるようなものではないだろう。


一方の指揮官の方は、隷下部隊や部下のために体を張っているのは、当然のこと。さらに、なんら利害関係も、影響力すら皆無な一民間人のために時間を使い、相当な無理をすることも厭わない。

「眠いと思うから眠いんです。眠いと認めなければ、いくらでも時間がうまれてきます」という、こちらもなかなかクレイジーな哲学を語ってくれたこともある。そういう強さを「利害得失と一切関係なく」発揮できるというのは、とてもできることではない。


誰だってそうだろう。

見返りが期待できないビジネスに投資をする人はいないし、なんら学びになることもない人と過ごす時間に、価値を感じることは難しい。だからこそ、そういったところに本気の想いと熱量を突っ込める人こそ、実はすごい“投資”をしている。


言うまでもないことだが、自分の評価を自分で作ることなど、とてもできない。

しかしこういった“投資”を自然体でできる人の周りにはやがて、

「あの人、本当にすごい」

「心尽くしの歓待に、すっかりファンになった」

というポジティブな想いと声が、溢れるようになっていく。


それはやがて、本人不在の会合などでも“いい噂”になり、独り歩きを始めるだろう。当然、その上官にお会いした時にも好意的な評価を耳にいれるようになる。

「利害得失と一切関係なく、人のために何かができる人」が評価されるという考えは、別に目新しいものではない。


「利害得失と一切関係なく、体を削ることすら厭わないこと」となると、もはや“狂人のレベル”ということだ。

そしてそれが、やがてとんでもない資産になり信用・信頼に変わり、その人の人物像を作り上げていく。


これは民間でも、きっと同じことだ。目に見える、わかりやすい見返りのために投資をしているうちは、決して一流になれない。利害得失抜きに「体を削ってでも」、人や社会のために貢献できる人こそが、やがて一流と呼ばれるようになるのではないのか。

そんなことを改めて思い知った、友人との飲み会だった。

***


【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

結局、今も豪華牛肉弁当や唐揚げ弁当は一度も買ったことがありません。
だってビールのおつまみにならないんですもん…。

X(旧Twitter) :@ momod1997

facebook :桃野泰徳

Photo:Danis Lou

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