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歴史を動かした絶世の美女たち!古代中国の美人15人

草の実堂

画像 : 楊貴妃 public domain

古代中国の美人たち

美は時代とともに変遷し、各時代ごとに異なる理想像が生まれた。

特に古代中国では、多くの絶世の美女が歴史に名を残している。

彼女たちは単に美しいだけでなく、時には王や権力者の寵愛を受け、国家の運命を左右する存在となることもあった。

今回は、古代中国において有名な美人を時代ごとにピックアップし、彼女たちの逸話や魅力を紹介していきたい。

殷時代の美人

妲己(だっき)

画像 : 妲己 wiki © Dharma

妲己は、殷末期の紂王(ちゅうおう)の妃であり、悪女の代名詞とされる。

妖艶な美貌で紂王を惑わせ、贅沢と暴政を助長し、王朝滅亡の一因となった。酒池肉林を楽しみ、比干の心臓を抉り出すなどの残虐な逸話が残る。

後世では九尾の狐の化身とされ、『封神演義』などで妖怪として描かれ、日本の玉藻前伝説とも結びついた。

春秋戦国時代の美人

西施(せいし)

画像 : 西施(せいし) public domain

西施(せいし 生没年不詳)は、その美貌によって「沈魚(ちんぎょ)」の逸話が生まれ、水中の魚でさえ彼女の美貌に驚き沈んでしまうほどだったと伝えられている。

西施は呉王・夫差の寵愛を受けることで、呉の国力を衰退させ、最終的に越の勝利に貢献したとされる。

夏姫(かき)

画像 : 夏姫(生没年不詳)『百美新詠図伝』public domain

夏姫(かき、生没年不詳)は、春秋時代の鄭の公族の女性であり、その美貌と波乱に満ちた人生によって歴史に名を残した。

彼女と関わった男たちは次々と不運に見舞われたり命を落としたため、「不吉な女性」としても伝えられる。

夏姫を巡る争いは戦乱を引き起こす一因となり、複数の国の政治を揺るがせたとされる。

『古代中国の魔性の女』男たちが次々と虜になり、国が滅んだ絶世の美女
https://kusanomido.com/study/history/chinese/syunjyu/100712/

趙姫(ちょうき)

また、秦の始皇帝の母・趙姫(ちょうき) も、美貌と知略を併せ持つ女性として有名である。

彼女はもともと商人・呂不韋(りょふい)の愛人であったが、のちに秦の王子楚(秦荘襄王)の妻となり、秦王政(のちの始皇帝)の母となった。

趙姫はその後、宮廷内で強い影響力を持ち、呂不韋と共に一時は秦の政治を左右する立場にあったとされる。

秦・漢時代の美人

虞美人(ぐびじん)

画像 : 虞美人 public domain

虞美人(生没年不詳)は、秦末から楚漢戦争期にかけての女性で、項羽の寵愛を受けた。

正史には彼女の生い立ちや最期についての詳細な記述はないが、垓下の戦いで項羽とともにいたことは伝えられている。

四面楚歌に追い詰められた項羽は、「虞や虞や若を奈何せん」と詠い、彼女との別れを惜しんだとされる。

後世の伝承では自害説や項羽が手をかけた説があり、その名は詩や京劇『覇王別姫』に残り、『虞美人草』の由来にもなっている。

王昭君(おうしょうくん)

画像 : 久隅守景によって描かれた王昭君 wiki © Sailko

王昭君(紀元前51年 – 紀元前15年)は、前漢の元帝に仕えた宮女で、中国四大美人の一人とされる。

荊州南郡秭帰(現在の湖北省興山県)出身で、宮廷に仕えた。

やがて、匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)が漢に帰順し、漢王朝の娘を妻とすることを求めた際、宮女の中から王昭君が選ばれて嫁いだ。
彼女は匈奴で「寧胡閼氏(ねいこあつし)」と称され、一男二女をもうけた。

後世には「彼女の美しさを見た雁が落ちた」という落雁伝説も生まれた。
彼女の墓は「青塚(せいちょう)」と呼ばれ、現在も内モンゴル自治区に残る。

趙飛燕(ちょうひえん)

画像 : 趙飛燕 public domain

趙飛燕(? – 紀元前1年)は、前漢の成帝の皇后であり、その美しさから「燕瘦(えんそう)」の異名を持つ。

細身で軽やかな舞が特徴で、成帝の寵愛を受け、妹の趙合徳と共に宮廷の権力を握った。

彼女は永始元年(前16年)に皇后となるが、子を産めなかったため、後宮内の争いが激化した。

成帝の死後、哀帝の支持を受けて皇太后となるが、王莽の台頭により庶人に降格され、自害に追い込まれた。

趙合徳(ちょうごうとく)

画像 : 趙合德『古今百美図』public domain

趙合徳(? – 紀元前7年)は趙飛燕の妹で、成帝の側室して寵愛を受けた。

姉以上に皇帝の寵を独占し、「温柔郷(おんじゅうきょう)」の異名を持つ。

後世の伝説では、成帝の他の妃が産んだ皇子を殺害したともされるが、確証はない。
成帝の急死後、彼女が関与したとの噂が流れ、孝元皇太后の調査が始まると、自ら命を絶ったとされる。

その死は、「紅顔禍水(美女は災いをもたらす)」の象徴として後世に語られた。

三国時代の美人

三国時代(220年 – 280年)は、魏・呉・蜀の三国が鼎立した激動の時代であり、その中で数多くの英雄が活躍した。

貂蝉(ちょうせん)

画像 : 貂蝉に密会しようとして董卓に追い返される呂布 public domain

貂蝉は、『三国志演義』に登場する美女で、『正史』には記録はない。ただし、モデルとなった侍女がいたという説もある。

物語においては、貂蝉はその美貌で、後漢王朝の実権を握った暴君・董卓の寵愛を受けることとなる。

その後、貂蝉は武勇で名高い呂布と恋愛関係になり、董卓を裏切る形で呂布と共に董卓を討つという、重大な役割を果たす。

甄氏(しんし)

画像 : 甄夫人像(清代) public domain

甄氏(183年1月26日 – 221年8月4日)は、魏の初代皇帝・曹丕の正室である。

もともと袁紹の次男・袁煕(えんき)の妻だったが、曹操の鄴攻略後に曹丕の妻となり、曹叡(そうえい)を産んだ。

後に寵愛を失い、221年に賜死(毒酒を下される)された。曹叡の即位後、名誉が回復され「文昭皇后」の諡号を贈られた。

隋時代の美人

蕭皇后(しょうこうごう)

画像 : 蕭后(說唐演義全傳) public domain

蕭皇后(567年 – 647年)は、隋の煬帝の皇后であり、南朝後梁の皇族の出身であった。

幼少期に家族を失い、苦労して育ったが、その聡明さと教養を評価されて煬帝の妃となった。
皇后として煬帝の遠征や巡幸に同行し、彼の暴政を憂いて『述志賦』を作って諫めたと伝えられる。

隋が滅亡すると突厥に送られ、その後唐の太宗によって長安に迎えられた。647年に没し、煬帝とともに合葬された。

唐時代の美人

楊貴妃(ようきひ)

画像 : 楊貴妃 public domain

楊貴妃(719年 – 756年)は、唐の玄宗皇帝に寵愛された美女であり、古代中国四大美人の一人に数えられる。

もとは玄宗の子・寿王の妃であったが、その美貌が玄宗の目に留まり、後宮に入れられ貴妃となった。
白く滑らかな肌と豊満な体型を持ち、唐代の理想の美を体現していた。

彼女の親族が権力を持つにつれ、政治への影響も強まり、結果として安史の乱の一因とされる。乱の最中、玄宗とともに逃れるが、馬嵬坡で兵士たちの要求により自害を命じられた。

彼女の美しさは白居易の『長恨歌』により後世まで語り継がれ、伝説となった。

宋時代の美人

章献明粛皇后(劉娥 りゅうが)

画像 : 宋真宗后坐像 public domain

劉娥(968年 – 1033年)は、宋の第3代皇帝真宗の2人目の皇后である。

もとは蜀の職人の妻であったが、その聡明さと美貌が真宗の目に留まり、側室となった。端麗な容姿と知性を兼ね備え、特に詩や音楽に秀でていたと伝わる。宮廷では慎み深く振る舞いながらも、巧みに地位を確立し、皇后に立てられた。

夫の崩御後は、幼い仁宗に代わって垂簾聴政を行い、国政を安定させた。政治手腕は高く評価される一方、強い権力を持ちすぎたため反発も招いた。

元時代の美人

奇皇后(き こうごう)

画像 : 奇皇后 public domain

奇皇后(1320年頃 – 没年不詳)は、元の順帝(トゴン・テムル)の皇后で、高麗出身。

幼くして貢女として元の宮廷に送られたが、美貌と聡明さで順帝の寵愛を受け、やがて次皇后の地位を得た。1353年には息子アユルシリダラを皇太子とし、宮廷で大きな影響力を持つ。1365年に正式に皇后に昇格し、政治にも関与するようになった。

しかし、明軍の攻勢によって1368年に元は滅亡し、順帝とともにモンゴル高原へ逃れた。

1370年に順帝が死去した後、彼女の消息は不明であるが、北元の皇太后として存命していた可能性がある。

明時代の美人

陳 円円(ちん えんえん)

画像 : 昆明市太和宮金殿にある陳円円の像 wiki © Gisling

陳円円(1623年 – 1695年)は、明末清初の伝説的な美女で、江南の名妓として知られた。歌や舞に秀で、その美貌から多くの権力者の寵愛を受けた。

明末の混乱期に武将・呉三桂(ご さんけい)の側室となるが、反乱軍の指導者・李自成(り じせい)によって捕らえられる。

この出来事がきっかけで、呉三桂は清に寝返り、明の滅亡を決定づけたとされる。

後に呉三桂とともに雲南へ移ったが、彼の反乱(三藩の乱)が起こると道士となり、静かに生涯を閉じた。

おわりに

古代中国の美人たちは、単なる容姿の美しさだけでなく、時には王朝の命運を左右する存在でもあった。
彼女たちは宮廷や歴史の渦に巻き込まれ、それぞれの時代で異なる役割を果たした。

戦乱の中で策略の道具となった者、皇帝の寵愛を受けて権力を握った者、外交のために異国へ嫁いだ者など、その生涯は多様である。

時代が変わっても、彼女たちの逸話は後世に語り継がれ、今なお多くの人々を魅了し続けている。

参考 :『史記』『漢書』『資治通鑑』他
文 / 草の実堂編集部

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